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フレームの中の光

今日もまた、踊り場へ向かう。昼休みは五階。業務時間後のひとときは三階。
踊り場は、ひとやすみできる、私の居場所。

***

職場の同僚は優しい人が多い。だから、決して嫌いではないし、尊敬している。
ただ、私は人見知りだ。忙しくて家より職場にいる時間のほうが長いのに、今、職場の部屋は少人数になるよう振り分けられ、どこにも人がいる。咳を一つ溢す、食事を抜く、それだけで心配をかけてしまう。息がしづらい。でも、帰れない。外で息抜きする間も惜しい。

そんなとき見つけたのが、踊り場。
たまたまいつものように階段を上っていた。
私にあてがわれた部屋は二階にあるので気づいていなかったが、三階以上の踊り場には窓があった。
そこから見えるのは、空と山。晴れれば青空が覗く。夕方ちょうどよいタイミングに行ければ、夕焼け空が窓枠いっぱいに広がる。
ここには、現実と隔絶されたような静けさと美しさがある。誰にも邪魔されない。
今日からここを、私の新しい居場所にしよう。
そうして、お昼や夕方に訪れる日が増えていった。

***

仕事でミスをして、上司に怒鳴られた。
今日も急ぎの仕事が終わらず、まだ帰れない。でも、もう無理…一旦休憩。
階段へ向かう。夕方だけど、五階に行こう。今は誰にも会いたくない。

いつもの場所へ行くと、幸い人はいなかった。
しばらく壁になんかかり、深いため息を吐く。
確かに自分のミスだ。私が悪い。でも、忙しくて、上司はそんなのおかまいなしに次から次へと仕事を降らせる。マルチタスクの苦手な私の脳は、とっくの昔にキャパを超えていた。
そんな私に追い打ちをかけるように、同じ部署の先輩からもど正論のお叱りを受けて、反省を示したものの、弱音を吐こうものなら新入社員気分はおやめなさいと。
私の心は折れかけていた。
でも、上司と先輩以外にこのことを知る人はいない。これ以上他の人にまで何か傷つくことを言われたら、しばらく立ち直れない。いい人たちだと知っているからこそ、もしもが頭を過って怖い。
だから、人から離れたこの場所で、心を鎮める。そっと涙を拭いながら、気丈に振る舞えるよう笑顔の練習。

「こんなところでどうしたの。」
「え!?あ、えと、」
「大丈夫?壁に寄りかかって、体調悪い?」
「いえ、すみません、ちょっと疲れて休憩してました。元気です!自販機に寄ってすぐ戻ります。」
「就業時間過ぎてるし、そんな焦んなくていいよ。誰にも言わないし。」
「ありがとうございます。それじゃあ、」
「ねぇ。知ってる?」
「え、何をですか。」
「ここさ、眺めいいんだよね。俺、たまにここから景色見て、さ、もうひとがんばりするか!って気合入れんだ。おすすめ。」
「ここからの景色、綺麗ですよね。実は、私も、お気に入りなんです。」
「そっか、知ってたか。いいよね。」
「はい。」
「今日天気いいからさ、もうすぐじゃないかな、夕焼け。業務時間外だしさ、ちょっと見てかない?」
「でも、急ぎの仕事、残ってて」
「顔色、悪いよ。本当はあんまり、体調良くないんじゃない?無理はよくないよ。俺たちの仕事は、遅れても、誰も死なない。でも、無理したら、君の命に関わる。最近根詰めてただろ。はい、これ、ちょっと温いけど、ホットのお茶な。もう冷え込んで来たかんな。」
「あ、ありがとう、ございます。」
「こんなときでもなきゃ、仕事落ち着いたらみんなで飲みに行きたいけど、そうもいかないしな。またここで、相談でも愚痴でも何でも聞くよ。」
「先輩が心配して温かいお言葉をくださっただけで、すごく、元気をいただきました。最近、失敗ばかりで、当たり前にできてたこともできなくなって、自分がだめな人間に思えてくるんです。今日は本当にただちょっと疲れただけなんですけど、体調きついときもあって、休みたいけど休んでる暇もなくて。怒られてばっかりで、でも、今部屋も分かれてるし、誰も気づかない。こんな話、自分からするのも申し訳なくて。だから、しんどい思いをしてることやがんばりを見てくれてる人がいる、それがわかっただけで、本当に救われました。」
「そっか。そんな大したことしてないけど、声かけてよかったわ。君はさ、ちゃんとがんばってる。仕事量のほうがおかしい。部署も違うし、権限もないし、何もできなくて本当悪いけどさ。話聞くくらいならいつでもできるし、好きなもん教えてくれたら差し入れするしさ、これからは、他の人に話しづらいこと、俺には言ってくれたらうれしい。接点ない分、いろいろ細かいことはわからんけど、だからこそ言いやすいこともあるんじゃないかな。口の堅さは折り紙付きだから安心して。てゆうか、ただコミュ障なだけなんだけど(笑)」
「コミュ障だなんて、とんでもないです。営業しんけん丁寧で、先生から好かれてるじゃないですか。私こそコミュ障やけん、先輩はすごいです。」
「真剣丁寧?丁寧さが真剣ってこと?」
「あ、すいません、『しんけん』って方言で、『とっても』って意味です。」
「そうなんだ。方言いいね、もっと聞かせてよ。」
「いやいや、すみません、さっきはつい。うちの方言敬語がないからだめです。気をつけます。」
「いいのに。そんな年変わらんし。」
「だめです。」
「はは、頑なだなぁ。あ、見て!」
「わぁ、綺麗。」


いつしか空は、淡い藍色と橙色のグラデーションに染まっていた。
「あれ、一番星ですかね。」
「ん~…本当だ。他に見えん。よく見つけたね。」
「星眺めるの、好きなんです。最近視力落ちてて、見えにくくなってるんですけど。」
「俺なんか眼鏡かけててもあんまり見えないから、裸眼で見えるだけうらやましいよ。大事にしたほうがいいよ。」
「はい。あ~、私、がんばります!」
「今日、遅いし、また明日の自分に任せてみらん?もう十分すぎるくらいやってるよ。後数時間やるより、休んで英気を養って、また明日からがんばろうぜ。休むのも仕事のうちってな。」
「そんなこと言われたら、お言葉に甘えたくなっちゃうじゃないですか。」
「甘えろよ。」
「…先輩!」
「ん?」
「そういうこと、誰にでも言っちゃだめですよ。本当、天然なんですから。」
「心外だなぁ。一応、ちゃんと、人によって言葉は選んでるつもりだよ?君はひとりでがんばりすぎ。味方は俺だけじゃないよ、知ってるだろ。ちゃんとさ、俺だけじゃなくて、そういう人たちに甘えろよ。手抜いてる奴にはこんなこと言わない。」
「先輩、本当、天然ですね。抜けてます。まぁ、そこも含めて、みなさんに愛されるんでしょうね。」
「よくわからんけど、まぁそういうことでいいよ。とにかく、少し休んでいって、帰ろう。暗くなったし、送るよ。」
「いつもひとりで帰ってますし、大丈夫ですよ。」
「それがおかしいの。危ないから、それに通り道だしね。帰りましたーって嘘吐いて残業されたくないし。」
「信用ないですね。わかりました。」
「素直でよろしい。」
「満天の星空も綺麗ですけど、あまり星のない、こんな夜空もいいですね。」
「ああ。いいな。一筋の希望って感じがする。」

あたりはすっかり暗くなり、山の端に、一番星が静かに瞬いていた。

🌟

2023.1.23
いぬいゆうたさんに朗読していただきました。


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