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夏の約束

桐の箱に納められたそれを使わないまま、二年が過ぎた。

***

二年前の秋、幼なじみの光一、優花と、久しぶりに再会した。三人の就活が終わった頃合いに、光一の呼びかけで、おつかれさま・おめでとう会をしようと集まったのだ。
ふたりとも変わらず、地元の公園を駆け回っていたあのときの面影を残しながら、あどけなく笑う。思い出話に花を咲かせていたら、時計の針は日付が変わる時刻を指そうとしていた。

店を出て、駅の改札前まではあっという間だった。
「今日は久しぶりに会えて楽しかったよ。光も、優も、元気そうでよかった。」
「本当にね。灯ちゃんも全然変わんなくて安心したよ。」
「灯子もまた戻って来いよ。俺たちいつでも待ってるからさ。東京で就職しても、体に気をつけてがんばれよ。」
「わかった。ありがとう。ふたりも、こっちで元気でね。」
「灯ちゃん、たまには弱音吐いたっていいんだからね。がんばりやでかっこよくて強がりで、でも繊細で寂しがりやなの変わんないんだから。そっちには、わかってくれる友だちいるの?」
「うん。大丈夫。優は優しすぎるから、社会人になって騙されないか心配だけど、光がいるから安心かな。光、頼んだよ。」
「おう、任せろ。」
「じゃあ、またね。」
「ねえ、光、優。」
「なんだ。」「なあに。」
「来年の夏さ、また会いたいな。」
「「もちろん。」」
「本当?じゃあ、そのとき、やりたいことがあるんだけど。」
「なになに。」
「これ。」
私は、おもむろに鞄から桐の箱を取り出した。
「え、なにこれ、高そう。」
「この前、たまたま見つけて、三人でやりたいなって衝動買いしちゃったの。季節は過ぎちゃったから、来年。」
「開けていい?」
「うん。」
優花がそわそわしながら蓋をとる。
「わぁ、かわいい。線香花火?」
「そう。素敵よね。」
「いいな、必ずやろう、来年。」
「「「約束。」」」
指を絡ませ、来年の夏を思いながら、笑顔で互いを見つめ合う。
「じゃあ、またね。」
改札を過ぎても手を振るのを止めないふたりに手を振り返し、エスカレーターに足を踏み入れてからは振り返らなかった。

***

卒業式は開かれなかった。
感染症が瞬く間に世界を変えた。
証書を受け取り、学友とお別れ会もできないまま、学舎で別れを惜しみつつ、互いの門出を祝った。

入社して、仕事を覚えるのに必死で、気がつけばお盆だった。
あの約束の夏だ。しかし、当然、花火をできるご時世ではなく、それどころか帰省すら叶わない。
親に連絡してから、優花に電話をかけた。

「灯ちゃん、久しぶり。元気?」
「うん、久しぶり。元気。優も元気そうだね。よかった。」
「うん、元気だよ。光くんも元気にしてる。今日シフト入ってて仕事なんだけど。」
「そっか。大変そう。」
「でも、ちゃんと休みとれてるし、充実してるみたいだよ。」
「ならいいんだけど。優は?」
「私も。仕事もプライベートも楽しいよ。」
「よかった。」
「灯ちゃんは?無理してない?」
「まあ、大変だけど、なんとか踏ん張ってる。大丈夫、心身ともに元気だから。」
「よかったー。ふたりで灯ちゃんのこと心配してたんだよ。たまに連絡しても、返信返ってこないこともあるし、こんなときだし、体調崩してたらどうしようかと。」
「ごめん。忙しくて、返信する余裕なくて」
「ううん、元気ならそれでいいの。本当だよ。」
「…ありがとう。正直、不安だった。」
「ん?」
「返信溜めてたの、申し訳ないとは思ってたの。でも、返す余裕なくて、時間ができても愚痴をぶちまけちゃいそうで、そんなの嫌で。いろいろ考えてたら結局連絡できなくって。」
「そうだったんだ。愚痴なんていいのに。光くんに言いづらいなら、せめて私には言ってよ、水くさいなぁ。」
「優。本当に、優しいんだから。甘えちゃいそうになるから、嫌なの。」
「甘えてよ。灯ちゃんはいつも私のこと優しいって言うけど、それは灯ちゃんだからだよ。灯ちゃんと光くんが、ひとりぼっちの私に手を差し伸べてくれたから、今の私があるの。灯ちゃんは、私の心に明かりを灯してくれて、光くんが光を差してくれたの。大切なふたりだから、私も大事にしたいんだよ。光くんはすぐ頼ってくれるけど、灯ちゃんはなかなか見せてくれないからなぁ。」
「そんな風に考えてたんだ。」
「そうだよ。光くんも、灯ちゃんのこと大事に思ってる。灯ちゃんはひとりじゃないんだからね。それだけは絶対忘れないで。」
溢れる涙を何度も拭って、やっと返事をする。
「ありがとう。忘れない。私にとっても、ふたりはかけがえのない唯一無二の存在だよ。優花、本当にありがとう。本当は寂しかった。連休もお盆も帰省できなくて、慣れない土地で、慣れない仕事でいっぱいいっぱいだった。でも、今日、元気出たし、これからはちゃんと話すから、聞いてくれる?」
「「もちろん。」」
「え?光?」
「今来たとこ。灯、元気そうだな。」
「うん、優のおかげで元気出たとこ。」
「俺だけ仲間外れかよ。」
「しょうがないじゃん、拗ねないの。」
「光も心配してくれてたって聞いた。ありがとね。これからはちゃんと連絡するよ。」
「そうして。また三人で話そうぜ。」
「うん、そしていつか会えたら今度こそ、」
「「「あの約束、果たそう。」」」
終話ボタンをタップし、桐の箱を見つめ、また流れ出した涙を拭い続けた。

***

それから一年と二ヶ月。
まだ状況は変わらず、あれから帰省は叶っていない。
でも、ちょくちょく三人で連絡をとりながら、仕事にも慣れ、順風満帆とは言わないがこの生活も徐々に軌道に乗ってきた。

桐の箱はあれ以来まだ開封されていない。
しかし、いつの日かきっと、三人で線香花火をしよう。近況を語らいながら、暗い中に灯る花火の光に照らされるふたりのあどけない横顔を見られる日が必ず来る。
そう信じて、今日も仕事に向かう。

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