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守りたい灯り

 飛び起きると、辺りはまだ暗闇に包まれていた。時計を見れば、深夜二時を回ったところだ。寝直そう。いつもならそう思うのに、胸がざわざわと落ち着かない。顔を洗い、コートを羽織り、鍵と財布を握りしめ、玄関のドアノブに手をかけた。
 外はしんとして、冷気が満ちていた。月も星も雲に覆い隠され、周りの家もみな灯りが消えている。ぽつぽつとともる街灯の先にある、ぼんやりと光を放つ電話ボックスへ、吸い込まれるように向かった。
 重い扉を開け、受話器をとる。十円玉を一枚入れ、慣れた手つきでボタンを押す。コール音が耳に響く。
「はい、山あいタクシー。」
「入山二丁目の電話ボックスまで、一台お願いします。」
「了解。」

 しばらく待つと、ヘッドライトを光らせ、見慣れた車がやって来た。
「お客さん、今日は早いね。どこまで?」
「海まで、お願いします。」
「海?」
「はい。近くの海まで。」
「了解。」
 車が走り出す。しばらくすると山道に入り、曲がりくねった道が続いた。

***

 僕は朝に弱い。その上、このところ残業が多く、寝不足が続いている。そのため起きるのがぎりぎりになり、このタクシーに何度もお世話になっている。さっきはタクシーでも間に合わない時間に目が覚めた夢を見て、飛び起きた。正夢になるのが怖くて眠れず、ふと、昔一度だけ訪れた海を、また見たくなった。

***

「着いたよ。」
 運転手の声が、ぼうっとしていた僕を現実に引き戻す。開いたドアから降りるが、波の音も潮の香りもしない。
「あの、海までとお願いしたんですが…」
「向こう行ってごらん。足元に気をつけて、ほら。」
 手渡された懐中電灯で足元を照らしながら、半信半疑で歩みを進める。
 すると、街の灯りが視界に飛び込んできて、その先に海が広がっていた。ごくり、と息を呑んだ。
「ここ、いいだろう。お望みの海も見える。」
 営みの灯りが、やわらかく、でも確かな明るさをもって、点在している。
「お客さんたちが守ってくれてる街灯りだ。」
「どうしてそれを。」
「送った後、職場に入ってくのが見えたから。気に障ったなら申し訳ない。」
「いえ。あの、ありがとうございます。」
 僕は、点いて当たり前の電気を灯し続けるために、仕事をしている。停電の復旧の遅さ、電気料金の値上げに苦情が入ることはあっても、感謝されることなどめったにない。驚きと嬉しさで、目の前の灯りが滲んだ。玉の光が海と混ざり合い、煌めきを増す。
「こちらこそ、この景色を、俺たちの暮らしを守ってくれて、ありがとうな。」

***

「今日もありがとうございました。僕は、あなたのおかげで仕事を続けられてます。」
「そりゃあよかった。またいつでも呼んでくれな。」
「はい。」
 タクシーのライトが小さくなっていく。空が白み、周りの家にぽつぽつと灯りが点り始めていた。この灯りを守りたい。仕事を志した初心を思い出しながら、僕は決意を新たにするのだった。

(1197字)

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