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noteの記事を10日連続投稿して感じたこと

正確にはこの回を含めると14日連続投稿になるのだが、ここまでで感じたことをまとめてみた。

外出が減った
それはそうである。ほとんどの時間を執筆や改稿作業に費やしているのだから。
外出は業務スーパーでの買い出しのみ。
当然、飲みに出かけることもなくなった。

無駄遣いしなくなった
外出しないのだから当たり前なのだが、お金のありがたみを感じ、無駄な支出がなくなった。
これは、記事が売れたことが関係している。
もちろん振り込まれるのは先のことだが、財布の中の今ある現金が、売れた記事の代金のような気がしてきたのである。それで、使うのを躊躇うようになったのだ。
こんなことは初めてである。
雑誌で連載していた頃は、銀行口座にポンポン入金されていても、そんな感慨を持たなかった。
おそらくこれは、購入者の顔が見えるからであろう。さらにその購入者と遣り取りができるのだ。一人ひとりにお礼が言えるのである。いわば手売りに近い。
そうなると当然感謝の念が湧き、現在の財布の中身が違って見えてくる。この二百円は未来の二百円だ、あだおろそかにはできないな、と。
現金だけではない。そのような意識が働き、Amazonの「ブラックフライデー」でもなにも買わなかった。

毎日が充実している
朝起きたら執筆または改稿、そして推敲を重ね画像を選択し、なければ新たに撮影し、投稿。その後は翌日の記事の素案作り。送られてくる「スキ」に喜び、その人のページに目を通してみる。
すると、気づけばもう夜中である。
毎日が、ほぼこの繰り返しであった。
ということで、久しぶりに充実した日々を送らせてもらっている。

創作の勘が戻ってきた
「文芸とは文の芸事である。毎日の修練が大事」。
これは私の師でもある、芥川賞作家のH氏からいただいた言葉である。
心に刻んでいたつもりだが、ついついおろそかになっていた。そのせいで勘が鈍っていた。この曇りを、noteにて取りのぞけた気がする。
noteでの作業が修練になっていたのだ。

エロサイトを覗かなくなった
老いてもやはり男なのだ、やはりつい観てしまう。そして気づけば数時間が経っている。これがなくなった。

※私は下ネタ嫌いで通っている。これは読まなかったことにしてほしい。

ということでまだ他にもありそうだが、今思いつくのはこんなところである。
といって、連続投稿の記録を伸ばすつもりはない。
それが目的ではないのだから。
それに、たまには飲みに出かけたい。
だが今は、書くことが、推敲することが楽しい。
ごめんね、横須賀のママたち。

数十年愛用しているシャープペン。
手に馴染むようカスタマイズし、もはや原形を留めていない。

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