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神影鎧装レツオウガ 第九十四話

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Chapter11 決断 01


 五辻辰巳《いつつじたつみ》が怪物を消し飛ばした。マリア・キューザックは、その一部始終を横目で見ていた。
 怪物――リザードマンと呼ばれるトカゲ頭の禍《まがつ》の群れを、その中核を成していた標的《ターゲット》Sごと、一撃で壊滅させたのだ。
 大分手こずらされたが、これでもうトカゲ頭の増殖はあるまい。
「お見事。あれだけ密集してたのを一撃なんて、流石はヴォルテック・バスターね」
 言いつつ、鎧装姿のマリアは指揮棒を振る。正面の曲がり角から現われた二体のリザードマンが、マリアの操るライフルに撃ち抜かれて倒れた。
「ふ、う」
 短く息を吐きながら、マリアは素早く周囲を見回す。幻燈結界《げんとうけっかい》に沈む、ごく平凡な町並み。
 七月下旬、世間では夏休みが始まったばかりで、強い日差しが容赦なくアスファルトを焼いている。
 誰が知ろう。そのひなびた風景から薄墨一枚を隔てた上に、両手に余るほどの禍が、リザードマンが群れ成して蠢いている事実に。
「GRAAAA……」「GRAッ! GRAAAAッ!」「GRAAAAAAA!!」
 其処此処の小道から。塀を飛び越えながら。或いは曲がり角の向こうから。
 ひょろ長い顔をしたトカゲ頭の群れが、ぞろぞろと沸いて出てくる。
「標的Sは、もう消えたってのに……!」
 十中八九、標的Sが消滅する前に生産した禍だろう。やはり対応が遅かったか。
「二人しかいないし、しょうがない、かっ!」
 思考を切り替え、マリアは小刻みに指揮棒を振る。旋回する三挺のライフルが、間断なく銃声を歌い始める。
「GRAAAAAAAA!?」
 降り注ぐ弾幕に晒され、ばたばたと倒れ伏していく禍共。しかして頭数と殺意に任せたリザードマンの勢いは止まらず、遂に三匹のトカゲがマリアへと肉薄。丸盾に銃創を刻みながら、両刃剣を振りかぶった。
「GRAAAAAAAAAッ!」
「ふッ」
 しかしてその斬撃に、マリアの指揮棒は先んじた。
 マリアの右側、遠心力を存分に乗せられた手斧が弧を描き、リザードマン三匹を纏めてなぎ倒した。
「GRAAAAAAAA!?」
 断末魔を上げるトカゲ三匹。ライフルの弾幕に晒されていた残りの群れも、後を追うように霊力光となって消えた。
 生まれる僅かな空白。秒単位の安全圏の中で、マリアは小さく息をついた。
「ふ、ぅ」
 これまで一体、どれだけの禍を倒してきただろうか。一ヶ月近くもこんな状況が続いているとあらば、なるほど確かにファントム・ユニットへもお呼びがかかろうと言うものだ。
「……一ヶ月、か」
 マリアは呟いた。
 そう、一ヶ月だ。モーリシャス本島、及びその東沖のEフィールドで行われた偶発戦闘から、もう一ヶ月以上の時間が経過したのだ。
 状況は、あれから大きく変わった。ファントム・ユニットや凪守《なぎもり》のみならず、世界中の魔術組織が打撃を受けたのだ。
 しかもその影響は、現在進行形で今日まで続いている。マリアと辰巳がこうして禍の調伏に動いているのも、その延長の一つなのだ。
 ザイード・ギャリガン。グロリアス・グローリィの首魁が満を持して発動した計画は、ファントム・ユニットの強襲を受けてなお、甚大な被害をもたらしたのである。
 しかして今現在、マリアの注意と思考は、それと別の方向へ向いていた。
 即ち。今現在コンビで戦っている同僚、ファントム4こと五辻辰巳の方へと。
「は、あ、あッ!」
 右前方。屋根の上を駆けながら禍を殴り倒していく黒い鎧装を、マリアは目で追う。
 正拳、裏拳、肘打ち、二段蹴り。真横からの斬撃を軽くいなし、懐に潜り込んで別のリザードマンへ投げつける。相変わらず恐るべき技量だ。つい先日まで謹慎を受けていたとは、とても思えぬほどに。
 だが。
「そろそろ、マズイかな」
 マリアは指揮棒を操作し、旋回させていた手斧を辰巳に向けて飛ばす。それと同じタイミングで、辰巳は新たなリザードマンの顔面へ鉄拳を叩き込んだ。
「ハ、あ?」
 もとい、叩き込もうとした。
「GR、A?」
 辰巳の拳は空を切った。リザードマンの顔面を、音も立てずにすり抜けたのだ。
 たたらを踏む辰巳とリザードマン。突然の事態に禍と顔を見合わせた辰巳は、視界の端で己の拳が一瞬揺らいだのを見て取った。
 それはさながら、電波干渉を受けたテレビ画面にも似ており。
「コイツ、は」
 顔をしかめる辰巳。その隙にリザードマンが剣を振りかぶる。
「GRAAAAAAAAAッ!」
 斬。
 響く刃音は、けれどもリザードマンの斬撃ではない。ひょろ長いトカゲ頭、その側面へ叩き込まれた、斧の一撃によるものだった。マリアの先程の投擲は、この援護が目的だったワケだ。
「気をつけて下さいよ、今のファントム4は分霊《ぶんれい》なんですから」
 通信機越しに耳を打つマリアの声に、辰巳はヘッドギアのコメカミ辺りをつついた。
「ああ。分かってる、つもりだったんだがな。流石にガス欠か」
 ――そう、今の辰巳は分霊だ。そもそも本人は天来号《てんらいごう》の隔離区画で、今も厳重に拘留されている。
 その分霊術式も利英《りえい》が直々に調整した特注品なのだが、いかんせん辰巳の激しい戦闘技法に加え、長時間の戦闘、更には大出力術式――ヴォルテック・バスターを四発も使ったとあらば、流石に霊力も枯渇しようというものだ。
「にしても、随分とナイスなタイミングだったな? 何かコツでもあるのか?」
「忘れたの? コツも何も、私には看破の瞳があるんだよ」
「ああ。そうだった、な」
「GRAAAAA!」
 背後。辰巳へ忍び寄っていた新手のリザードマンが、ここぞとばかりに剣を振り上げる。
 斬。
「――ついでに、少し貸しといてくれるか?」
 そのリザードマンが間合いに入る一瞬前の隙を縫い、辰巳は振り向きざまの斬撃を放った。
「G、R、AAA」
 くずおれるリザードマン。振り抜かれた辰巳の左手には、先程マリアが放った手斧が握られていた。
「仕方ないですね」
 傍らのライフルを連射しつつ、マリアが指揮棒を振る。フェイスシールド裏へ投射されるパラメータから、霊力経路が解放されるのが見て取れた。
 そこへ自分の経路を繋ぎつつ、辰巳は左手首へ手を伸ばす。そこへ装着されていたのは青いEマテリアルではなく、利英謹製の模造品たるI・Eマテリアルが三つ。
 一列に並んだその石のうち、先頭のものが輝きを失っている。霊力が枯渇した証拠だ。
『そんなトキもあろうから! 事前に未然にこうした用意をさせちゃってもらうぜ遺影イエーイ!』
 連日の徹夜で目を真っ赤にさせていた利英を思い出しながら、辰巳は手首を操作。備わっていたダイヤルを、二つ目のI・Eマテリアルに合わせた。
 途端、辰巳の鎧装に引かれた青いラインが光る。体内に新たな霊力が充ち満ちていく。
「毎度の事ながら良い仕事だ、ぜッ」
 かくて充填完了もそこそこに、辰巳は手近なリザードマンへと間合いを詰める。斧を振るう。間合いを詰める。鉄拳を繰り出す。間合いを詰める。蹴撃を放つ。間合いを詰める――。
「ふ、ぅ」
 そんなルーチンワークを、どれだけこなしただろうか。
「終わりましたね。お疲れ様です、ファントム4」
 気付けば、リザードマンの群れは全滅していた。
「ああ」
 半ば上の空気味に頷きながら、辰巳は路肩に寄りながら鎧装を解除。マリアも電線上から飛び降り、同じく私服に戻る。
「しかし、中々充実した寄り道になっちまったな」
 商店街の時計を見上げれば、時刻は十二時少し前。すっかり昼飯時だ。分霊体の辰巳は空腹なぞ覚えないが、それでも先方には少し迷惑をかけてしまうか。
「仕方ないでしょう、今まで以上に人手が足りないんですから」
 リストデバイスでメールを送信した後、マリアは辰巳を見やる。
「またいつ緊急招集がかかるか分からないんですし、早く済ませてしまいましょう」
 微笑むマリア。だがその表情は、どこかぎこちない。
「……まったくだな。んじゃまぁ、遠慮無く行ってみるか。同級生の実家にさ」
「ええ。たのしみ、ですね」
 二人は、淡々と歩みを進めた。


 特務退魔機関凪守、特殊対策即応班ファントム・ユニット。
 そこに所属するファントム4こと五辻辰巳は、現在その凪守の拘束下にある。
 インペイル・バスターを用いた、想定外の方法での霊泉領域《れいせんりょういき》潜行。そこで接触した謎の男と、霊泉領域へ生じた謎の断裂現象。何よりその断裂を生み出した五辻辰巳の、ゼロツーの隠されていた力。
 それらを危険視した上層部により、ファントム4は拘束される運びとなってしまったのだ。
 そんな辰巳が分霊とはいえこうして出歩いているのには、これまた色々と理由がある。
 まぁ最大の理由は、巌《いわお》の尽力による賜物なのだが。
「しかし本当に増えてたんだな、禍」
「そうなんですよ。もう日常茶飯事ですね、あれくらいだと」
「うッへ。これもアフリカのアレの影響だ、ってか」
 モーリシャス島からアフリカ大陸へと逃走したグロリアス・グローリィの巨大戦艦、スレイプニル。その巨大な船体が赤い壁――Rフィールドの中へ姿を消してから、禍の出現数は世界各地で爆発的に増大した。あらゆる魔術組織の対応能力がパンクするほどに。
 それに対応する戦力を一人でも確保するため、という名目が辰巳の分霊作成の後押しにもなったのだが――今辰巳が出歩いているのは、禍を警戒するための巡視、ではない。
 辰巳とマリアは、ある人物の精神状態の予後調査をするため、この商店街にやって来たのだ。
 禍と遭遇したのはあくまで偶然、の筈である。
「……ここ、ですね」
 スマートフォンのマップ機能で位置を確認したマリアは、観念したように顔を上げる。
「……ここが、そうか」
 コメカミをつつきながら、辰巳はその二階建ての建物を見上げる。
 商店街の端、十字路の脇。夏の日差しを反射する、オレンジ色の壁の二階建て。その隣に、同じくオレンジ色の看板がちんまりと立っていた。
 看板にはこう書かれている。
 フラワーショップきりみや。
 誰あろう、霧宮風葉《きりみやかざは》の実家が営んでいる、花屋であった。


「こん、に、ちわ」
 おずおずと、マリアはフラワーショップきりみやの玄関を開けた。辰巳もそれに続く。
「はい、いらっしゃいませー」
 真正面、レジに立つ店員が朗らかに挨拶する。その店員の名前を、辰巳とマリアは良く知っていた。痛いほどに。
『まず結論から言おう。霧宮くんは生きている』
 一ヶ月前。Eフィールド上での戦闘が終わった直後、オウガのコクピット。
 一向に目を覚まさない風葉を診察した利英は、確かにそう言った。
 その言葉通り、私服にエプロン姿の店員――風葉は、接客用の笑顔を貼り付けてこちらを見ていた。夏休み中のため手伝いをしているのだろう。
 知らず、辰巳は片手を上げていた。
「やぁ、久し振りだな」
 接客用の笑顔が、怪訝顔に変わった。
「……? ん、と。あのぅ。どちら様ですか?」
 首を、傾げた。まるで、初対面の相手を見るように。
「……、……。あぁ」
 辰巳の腕が下がる。記憶の利英が説明を続ける。
『ただし、辛うじて、だ。身体的な外傷はともかく、精神及び霊力経路、特に霊泉領域が非常にまずい事になっている。このままでは命にかかわる』
 ――どうにも、ならないってのか。
『ぬかせ。それを防ぐための術式はいくつも造られてるし、何よりそれをさせないために僕が来たんだ』
 ――じゃあ。
『ただし、そのためには。精神の破損箇所ごと彼女の記憶を切り取り、初期化する事になるがな』
「あのう? お客さん?」
 辰巳は我に返った。風葉はいつの間にかカウンターを超え、近くへ歩み寄って来ていた。
 表情は、相変わらずの怪訝顔。
 ああ、こんなにも。
『霧宮風葉は命を取り留めるだろう。だが』
 こんなにも、近くに居るのに。
『だが。ファントム5は、消滅する』
 なんと、遠いのだろうか。
「――。や、すまないな。こっちが一方的に知ってるだけの話だ」
「はぁ」
 コメカミをつつきながら目を逸らす辰巳に、風葉はますます眉間の皺を深めた。
「あと、買い物に来たのは本当だ。このメモにある花を用意して欲しい」
「ん、あ、はい。分かりました。えぇと」
 辰巳に背を向けた風葉は、売り場に並ぶ花々の中を、手慣れた手付きでひょいひょいと選んでいく。資料の上では知っていたが、実際には初めて見る風葉の一面。
 辰巳は、目を細めた。
「お待たせしました。これで間違いないでしょうか?」
「ああ、大丈夫だろう。多分な」
「適当ですねぇ」
「信頼してるって事さ。それだけな」
「ん、ん」
 目を点にする風葉であったが、それでも支払いは滞りなく終わった。
 お釣りを渡すまでの間、風葉の目は赤髪の外人――マリアにちらちらと視線を向けていた。きっと、珍しかったからだろう。
「……私の事、覚えてませんか? 霧宮さん。クラスメイトのキューザックなんですけど」
 たまらず、マリアは声をかけていた。
「えっ? あ、あぁー。言われてみれば確かに。え、っと。こっちでは初めまして」
「……。うん。初めまして」
「そのう、どうしてウチに? 何か用事でも?」
 辰巳と同じく初対面の、しかも外人を前にした風葉は、あからさまに動揺していた。
「……実は私、この夏期休暇中にまた引っ越す事がきまってしまいまして。クラスメイトの方に挨拶しておきたかったんです」
「ああ、そう、なんですか」
 けど、それがどうして私に――と風葉が続けるより先に、マリアは頭を下げていた。
「ありがとう、ございました」
 礼を伝えたかった。そしてそれ以上に、顔を見られたくなかった。
「あ、いえ、こちらこそ?」
「では、さようなら」
 くるりと背を向け、マリアは早足でフラワーショップきりみやの玄関を出て行った。
「俺も行かせて貰うよ。予後調査も問題無さそうだしな」
「は?」
「こっちの話さ」
 目をしばたかせる風葉だったが、辰巳もまたすたすたと行ってしまった。一番印象深い顔を見る事で、記憶が戻ってしまわないかを確かめていたんだ――などとは、言える筈もなかった。
「……ヘンなの」
 訝しみつつ、風葉はエプロンを外す。
「ま、いいや。それよりご飯ご飯、っと」
 扉を開け、風葉はぱたぱたと廊下を進む。突き当たりを曲がり、洗面所で手を洗おうとした矢先、母の麻子《あさこ》と鉢合わせた。
「あ、丁度良かった。今呼びに行こうと……あら風葉、どうしたの?」
「え? 何が?」
「何が、ってアナタ、泣いてるじゃない!」
「え」
 思わず、風葉は目元を拭う。
 指先には、小さな雫が伝っていた。

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【神影鎧装レツオウガ 人物名鑑】
霧宮麻子

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