神影鎧装レツオウガ 第九十六話
Chapter11 決断 02
月面。
モノクロフィルムよりもくっきりと、白と黒が分かたれた死の世界。
深夜の墓場より静まりかえったこの場所に、動くものなぞ何一つ無い。
筈、だった。
「あン?」
地平線の近く。宇宙と地面の境目辺りに、何やら蠢く点が一つ。よくよく目をこらしてみれば、それは一台のバイクであった。
排煙代わりの霊力をたなびかせ、地面の凹凸やクレーターを飛び越えながら、こちらへと一直線にやって来る車体。
その、シルエットは。
「レックウ、か?」
山道じみた悪路にもかかわらず、みるみる内に近付いて来るレックウ。だがそのカラーリングは、ファントム5が駆っていたものとは明らかに異なっている。
ライダーの鎧装と同様、紫色のラインを車体に刻むレックウは、程なく扉の前で停車。降車したライダーは気密ケースを手に取り、扉を潜ってやって来た。
「ここは静かで良いな。ちまたの煩わしさが嘘のようだ」
「そりゃそうだろォよ。月のド真ン中なんだからなァ」
即ち、隔離棟の面会室へと。
面会室は四畳ほどしかないのだが、びっくりするほど何も無い。目につく物と言えば、真っ白い机と、椅子と、床。そして入って来た扉、のみである。
「幾ら強力な霊力フィールドが張られてるから、ッてもよォ。壁と天井が無エってのはチョイと開放感が溢れ過ぎてンな」
「そうか? 僕は悪くないと思うけどな」
傍らの机に荷物を置いた後、やって来たライダー――冥《メイ》は、一つ大きく伸びをした。
「けどまぁ、確かに名前は大仰過ぎるかもね。特殊霊力犯罪者特別隔離監視棟、何てさ」
座りつつ、冥は肩をすくめる。
今冥が言った通り、面会室に隣接しているこの場所の正式名称は、特殊霊力犯罪者特別隔離監視棟と言う。ある人物を拘束するため、複数の魔術組織が合同で造り上げた最新の牢獄だ。
大層な名前を裏打ちする、幾十もの見えない霊力障壁。監視どころか近付く事さえ厳しく制限されている上、衛星軌道上からは、万一に備えた狙撃衛星が常に狙っているという鉄壁ぶり。
もはや牢獄の範疇を超えきった頑健さであるが、しかしてその外観はどう見ても巨大な鳥籠であった。
床は直径八メートルほどの円形。丁度時計の文字のように等間隔で柱が並んでおり、五メートルほどの高さで孤を描いて閉じている。中央にはベッドとサイドテーブルが据え付けられていて、件の囚人はベッド上で気怠げに立体映像モニタを眺めている。どこかの動画サイトのようだ。
「何ならアンタも入ってみッか? ファントム3さんよォ。寝心地サイコーだゼ? 何せ墓場みてェに静かだからなァ」
「良いねぇ。諸々の仕事が終わったらそうさせて貰おうかな」
冥は気密ケースを開ける。出て来たのは花用のハサミと、小ぶりなバスケットと、オアシスと呼ばれる緑色の立方体吸水スポンジ。そして色とりどりの花の束――即ち、以前辰巳《たつみ》がフラワーショップきりみやから買い付けた品であった。
「さて。語りたいコトは色々あるんだが、まずは状況の整理から始めようか。色んなコトが立て続けに起こったからねぇ」
既に水を含ませてあったオアシスをバスケットへ入れた後、冥は右手にハサミ、左手に花を持った。
「特筆すべき点は幾らでもあるんだが……最初に挙げるとすれば、やはりスレイプニルの行方だろうな。時系列的にも最初だ」
ぱちん。ぱちん。ぱちん。
茎の長さ、花の色、刺す角度。諸々を滑らかに処理しながら、冥はアレジメントを組み立てていく。
「アフリカ大陸へ到達したスレイプニルは、地中に姿を消した。と言っても、穴を掘ったんじゃあない。かねてから造っていた巨大な空洞へ、船体をすっぽり収めたんだ。発進した時と同様、縦向きにね」
「ヘェ、ドリルでもついてたワケか」
「まさか。幻燈結界《げんとうけっかい》による透過と、十中八九モグラによる下準備の賜物だろうさ」
モグラ。
トガリネズミ形目に属する小動物、の事では勿論無い。
モグラとは、古くから魔術組織に伝わっている俗語《スラング》の一つだ。土木掘削系の術式を用いて、表社会に知られる事無く、地下資源を秘密裏に採取する犯罪者達の総称であるだ。
「鉄。石油。コバルト。アルミニウム。金銀宝石など各種貴金属。そして、ウラニウム。軽く挙げただけでも、アフリカの地下には今も莫大な資源がいびきを立てている」
厳重な隠蔽と、周到な術式。この二つを用意出来れば、隣国どころか海底からトンネルを掘る事すら、造作も無いのだ。
無論、重犯罪である事は言うまでも無い。
「そうしてモグラが掘り返した坑道の跡地を――あるいは、元から格納庫にするつもりで拡張してたのかな。とにかくスレイプニルは地下に消えた。その上Rフィールドまで展開して引きこもってしまった。これが一つ目」
ぱち、ぱち、ぱちん。淀みなく動く冥のハサミ。単調な音色が鳥籠の中へ満ちていく。
「二つ目は、時を同じくして各魔術組織の幹部達が行方不明になった事だ。それも相当数が、な」
――ザイード・ギャリガン配下に居たメガネの男、サトウ。行方不明の死者に分霊を憑依させて操っていたこの魔術師は、実は数多くの生者達にも憑依、潜伏していたのだ。恐らくは辰巳が見たローブ男同様、霊泉領域の奥底へ。
そしてその憑依被害者こそ、前述の行方不明幹部達であった。
モーリシャスの絶景を舞台にした会合の招致と、アフリカから得られる霊力の取引。それらをグロリアス・グローリィは生業としていたのだから、魔術組織の上役とサトウが顔を合わせる状況は、数え切れないほどあっただろう。
「幸い、幹部達はすぐに見つかった。ただし、彼等の霊力は再起不能なまでに減衰していたがな。吸い出されたのさ。強制的に、潜伏していたサトウの分霊によってね」
ぱちん。
また一本茎を切りながら、冥は上空に輝く地球を見上げた。
「かくてサトウの分霊共は、それぞれが実体と大量の霊力を得た。そして、始めたんだ。破壊活動を、な」
こうしている今も、地球のどこかへまた一人潜伏していたサトウが現われ、禍《まがつ》を召喚し、元気に暴れ回っている事だろう。
破壊と混乱を目的とした、テロリスト同然の所行。その有様を見かねた各魔術組織は、サトウの分霊を国際手配した。更に、新たな名前も与えた。
それが、標的《ターゲット》S。佐藤《サトウ》という名前は日本で最も多い名字であり、凪守《なぎもり》にも同じ名前が何人もいるため、こうした通称が付けられたのだ。
「丁度先日同僚《ウチ》のファントム4と6が交戦したが、いやまったく、思っていた以上にタチの悪いヤツだったようだ」
肩をすくめながら、冥はオアシスにまた一本花を刺した。
「連中、隙あらば幻燈結界を壊そうとするからなぁ。何としてもこちらを消耗させてやる、っていう熱意が透けて見えるようだ」
――単に禍が発生しただけなら、幻燈結界を展開しておけば、檻の中の獣と同じに出来る。
だが標的Sは、まず最初にその檻を壊そうとするのだ。以前、日乃栄《ひのえ》霊地に現われたキクロプスのように。
ひょっとすると、あのキクロプス自体が幻燈結界への攻撃を確かめる試金石だったのかもしれないが、今となっては詮無い事だ。
「で、三つ目は今挙げたファントム4こと五辻辰巳が、凪守上層部の命によって拘禁された事だ」
有り得ない方法を用いた霊泉領域への接続。そこで繰り広げた戦闘と、異様な力の萌芽。更には二年越しで明らかとなった「ゼロツー」という正式名に、同じ顔を持ったゼロスリー――グレン・レイドウとの関係性。その他、言いがかりじみたものも含めた諸々の指摘。
例を挙げれば枚挙に暇がないが、とにかくファントム・ユニットは槍玉に挙げられた。
正直なところ、標的Sの混乱を収めるスケープゴートにされた側面も否めない。
或いは、凪守上層部へ未だ潜伏している標的Sが意見を誘導しているのかも知れない。
ともあれ一ヶ月近くの間、ファントム4は天来号の隔離ブロックに拘束されていたのだ。
「ま、その拘束も先日ようやく緩んだ訳だがな」
冥はハサミを机に置いた。フラワーアレンジメントは、そろそろ完成間近であった。
「そして四つ目は……キミの存在だ。ハワード・ブラウン」
「ホ。光栄だねェ」
口笛さえ吹きそうな表情で、籠の中の男――ハワードは、口角を吊り上げた。
「捕虜として押さえたまでは良いものの、そこから先がまた侃々諤々ものだった。何せキミは、ブラウンの名字を名乗っているからねぇ」
――イギリスに本拠を置く魔術組織、BBB《ビースリー》。その名の由来は、最初期に組織を立ち上げた三人の魔術師に端を発している。
即ちブルー《Blue》、ブラック《Black》、ブラウン《Brown》である。
今でこそ多様化し、細分化し、膨れ上がったBBBであるが、それでもブラウンはBBB内最有力派閥の名前であり。
更にファントム・ユニットに拘束されたハワード・ブラウンは、その名字を名乗っていて。
結果。BBBは、荒れに荒れた。ともすれば、凪守以上に。
「元が寄り合い所帯だ、ってのはどこの魔術組織にも共通する点だけど……如何せん、BBBはその側面が強すぎたからねぇ。そこへでっかい楔が打ち込まれちゃったもんだから、もうガッタガタでさ」
権謀術数。それ自体は大して珍しいものではないが、ハワード閥は今までに無い巨大な隙を晒してしまった。そして他の派閥が、それを見逃す筈がなかった。
「蜂の巣をつつく、ってのはまさにあの事だね。毎日賑やかなものさ。ファントム・ユニットにまだファントム6が居る事を、誰も指摘しに来ないくらいにね」
ファントム6、即ちマリア・キューザック。
彼女はそもそも祖父スタンレー・キューザックが、巌《いわお》との繋がりを元に送り込んだ助っ人――という名目で、キューザック家がBBB内でより上手く立ち回る足がかりを、フェンリルを掴むために送り込まれた間者であった。
それが諜報対象とああまで親しくなる事は、流石のスタンレーも想定外だったろうが――どうあれ、マリアは目的を果たした。もはや彼女が凪守に居る理由は無い、筈なのだ。
だというのに、ソレを指摘する者は誰も居ない。指示したスタンレー当人でさえ、帰還を保留したほどだ。それだけ混乱が逼迫しているのだろう。
「アフリカのRフィールドは確かに脅威だ。けど全貌が見えない上、身内の足並みが揃ってないんじゃ攻めようが無い。だったらそれを揃えるため、何より利益を掻っ攫う為、BBB《みうち》の仲間《てき》を叩く……ま、良くある事さ。昔っからね」
「はン。流石カミサマのお言葉は含蓄が違うねェ」
「ふふ、褒めるなよ。面映ゆくなっちゃうじゃあないか」
立体映像モニタを消去し、ハワードはようやく冥へと向き直った。
「ここ一ヶ月、すっかり世間に疎くなっちまったからなァ。そのテの話はいくら聞いても飽きねェよ。けどなァ」
ハワードは腕を組む。値踏みするように、冥を見据える。
「本題はソコじゃ無ェだろ。古今東西、過去現在未来。捕虜がされる事なンざァ、情報収集か交渉ぐらいなモンだ」
口元が、三日月のような孤を描く。
「俺に何を求めてンだ? 冥王ハーデス様よ?」
「ふふ、実直じゃないか。流石は王《ファラオ》だ」
互いに笑顔を貼り付けたにらみ合いは、しかし数秒。先に動いたのは、冥の方であった。
「では単刀直入に言おう。ハワード・ブラウン。ザイード・ギャリガンを裏切るつもりは無いか?」
「……、……。……ア?」
冥の提案に、さしものハワードも目を点にした。
【神影鎧装レツオウガ 裏話】
ハワード・ブラウンについて
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