05_重力02_ヘッダ

神影鎧装レツオウガ 第三十二話

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Chapter05 重力 02

 きんこんと鳴るチャイム。よいしょと教卓を降りる温井《ぬくい》先生。わやわや騒ぎ出すクラスメイト達。
 いつもの風景、いつもの日常。眠ってしまいそうなくらい平和な眺めだ。
「はふ」
 あくびを噛み殺しながら、風葉《かざは》は小さく背を逸らした。おしりが少し痛い。
「座りっぱなしだからなぁ」
 教科書類をしまった後、風葉は辰巳《たつみ》の方に振り返る。幻燈結界《げんとうけっかい》の薄墨がすうと教室を包んだのは、その直後だった。
「時間通りだな」
 と、言ったのは辰巳である。いつもと違って随分と落ち着いているが、さもあらん。今回の発動は禍《まがつ》の出現ではなく、事前に巌《いわお》が予定していたものだからだ。
 うっかりしまい損ねた消しゴムを小突いた後、辰巳は風葉の席へ向かう。
「で、霧宮《きりみや》さん。分霊術式の準備は出来てるかい」
「ん、大丈夫、だと思う」
 頷き、風葉はリストデバイスを操作。投射される立体映像モニタへコマンド入力した後、告げる。
「セット! マリオネット!」
『Roger Marionette Etherealize』
 かくて術式は発動し、霊力光が投射。立体映像モニタから伸びる光線は、凄まじい速度で一つの形を、人間の姿を組み上げていく。
 そうして十数秒も経たぬうちに出来上がったのは、霧宮風葉とそっくりな等身大の霊力人形、すなわち分霊《ぶんれい》であった。思わず風葉は感嘆する。
「おおー」
「うん、まぁ何とかなるだろ」
 背丈、顔つき、肌の色。どれをとっても本人と大きく変わった点は無い。自律意志こそ備えていないが、その辺は幻燈結界が誤魔化してくれる。他の生徒達に怪しまれる心配は無い。
 ただ唯一違うのは、本物に比べるとやや胸が膨らんでいる辺りだろうか。本人代理となる分霊は、術者の願望が反映されやすかったりするのだ。
 だがまぁ、五辻辰巳はそう言う所まで気が回る人間でもなかった。
「どれどれ、じゃあ私もちょっと試させて貰おうかな」
 そう言って、風葉はおもむろに分霊のほっぺたをつついた。柔らかい触感ではあるが、人の皮膚とは少し違う感じだ。それにまったく表情を変えない。
「何か、全然反応しないね」
「そりゃそうだろ。組み方によっては意識を投影したりとかも出来るけど、今作ったコレは不在を誤魔化すだけの案山子だからな。そこまで反応する造りじゃないさ」
「そっか」
 納得したのかしないのか、風葉はまだ分霊のほっぺたをぷにぷにしている。分霊はやっぱり表情を変えない。
「それにしても、さ」
 不意にぷにぷにを止め、振り向く風葉。
「なんだい」
「何か、意外とヒマだよね」
「まぁ、な。てっきり忙しくなると思ってたんだが」
 コメカミをつつきながら、辰巳は今までの経緯を思い出す。
 ――二日前、辰巳と風葉は怪盗魔術師エルド・ハロルド・マクワイルドの挑戦を受けた。
 この報告を受け、凪守《なぎもり》上層部はファントム・ユニットに行動方針を通達。
 小難しい文面は色々と踊っていたが、要約すると二文字に収まる。
 待機、である。
「怪盗エルドがファントム・ユニットを利用しようとしているのは、火を見るよりも明らか。故にひとまず様子を見る、か」
 先日通達された待機命令の理由を反芻する辰巳。
 ――幾らファントム・ユニットの戦闘力が高かろうと、怪盗が名指しした連中をわざわざ現場へ投入する訳にはいかない。
 現地のイギリスにも戦力はあるし、人造Rフィールド対策にしても、風葉のフェンリルが絶対必要な訳でも無い。
 応援要請もあろうが、その辺は別の戦力を出向させれば済む事だろう。
 以上が概ねの待機理由である。
 一応、理に適ってはいる。例えそれが、巌へ圧力をかけたい連中の差し金だとしても、だ。
 だがエルド・ハロルド・マクワイルドは、ファントム・ユニットを名指したのだ。それも、わざわざ分霊を日本へ派遣してまで。
 辰巳か、風葉か、あるいはそれ以外の何かを利用するために。
 敵はきっと、こちらの予想もつかない手段でファントム・ユニットを現場へ引きずりだそうとするだろう。
 時間はあまりない。故に巌は風葉に分霊術式を習得させてまで、準備を急ピッチで進めているのだ。
 が、そんな裏事情など知る由も無い風葉は、しげしげと分霊を突っついたり眺めたりしている。
「あと、五日だよね?」
「ああ。ニュートンの遺産は現地時間の午後三時にイギリスの空を横断する筈だ」
 当時の事故以来、ニュートンの遺産は衛星高度の少し上を周回している。軌道は山の天気のように安定しないが、数ヶ月に一度必ずイギリスの上空を通る時がある。結界保持の霊力を補充するためだ。
 そして怪盗エルドが予告状で指定したタイミングが、まさにその日であった。
 本当に、時間はあまりない。
「で、これから私は……えぇと、例外登録、とかいうヤツをしに行くんだよね?」
「そうだ。レツオウガの時は、人造Rフィールドがあったからな」
 ――実のところ、今のままでは風葉のフェンリルは全力を出せない。本物のRフィールドを封じ込めるために張られた、世界規模の北欧神話抑制結界があるせいだ。
 レツオウガに搭乗していた時はそうでもなかったが、あれは今し方辰巳が言った通り、人造Rフィールドが抑制結界を阻んでいたからである。
 あれだけ強力なフェンリルなのだ、この先必ず必要になる。故にその例外登録をするため、風葉はこれから出かける事になったのだが、巌はついでにもう一つの問題へ手をつけた。
 それは、霧宮風葉が高校生である事だ。
 仮に怪盗エルドを退けたとしても、黒幕を叩き潰さぬ限り、ファントム・ユニットへの攻撃は続くだろう。敵の目的はEマテリアルなのだから。
 そして風葉のフェンリルは未だ引き剥がす目処が立たず、事態が起こる度出撃する羽目になる公算が高い。
 凪守が本業の辰巳はそれでも良いだろう。
 だが、繰り返すようだが風葉は学生なのだ。
 幻燈結界で欠席を誤魔化せても、知識の空白までは補えない。
 こうした状況が長く続けば、見えてくるのは赤点、留年、退学である。スカウトした巌としても、そうなるのは流石に本意ではない。
 故に状況を改善すべく、巌は風葉に分霊術式を習得させたのだ。
 一口に分霊と言っても色々あるが、風葉が覚えたのは日常生活補助用のものである。
 これは当人の姿形と行動パターンを模し、かつ見聞きした情報を記憶する事も出来る術式だ。
 この分霊を授業に代理出席させ、用が済んだら風葉本人に記憶を統合させようという訳だ。
「……と、それより五辻くんも急がないと。休み時間なくなっちゃうよ」
「ん、おお。そうみたいだな」
 話し込んでいてすっかり忘れていたが、二年二組にはもう誰も残っていない。次は実習の時間のため、皆着替えに行ってしまったのだ。
「売り物の花の準備、だったか。具体的に何するんだ? こやしとか撒くのか?」
「もう咲いてるんだから肥料はいらないでしょ。ていうか行けば分かるんだから、早く行った方が良いって」
「まあそうだな」
 コメカミを小突いた後、辰巳は腕時計に手をかけ、立体映像モニタを投射。
「んじゃ、ここからは別行動だ。後は――隊長に従ってくれ」
 立体映像モニタ上のアイコンを操作し、辰巳は幻燈結界からの除外処理を実行。瞬きする間に薄墨色が全身を覆い、辰巳は日常側へ塗り変わる。
「隊長、ね」
 独りごちる風葉。考えるまでも無く、それは五辻巌の事だ。
 確かファントム・ユニットの執務室へ招かれた時も、辰巳の態度はこんな感じだった。
「何か、ぎこちないよね」
 前にも感じた疑問に首を傾げながら、風葉はリストデバイスを操作。自分の分霊も同様の薄墨に沈み、無表情に風葉の席へ立ち尽くす。後は放って置いても授業に出てくれるだろうし、不具合が起きたら辰巳がフォローしてくれる筈だ。
「よし」
 頷き一つを教室に残して、風葉は教室の扉をすり抜けた。

◆ ◆ ◆

 同じ頃、天来号にあるファントム・ユニットの執務室。
「うん……うん、そう。じゃあよろしく頼むよ、アリーナくん」
 定位置の机に座る巌は、通話を終えて立体映像モニタを消去した。
 息を一つ吐いた後、巌は椅子の背もたれに手をやり、大きく身体を捻る。ぼきぼき、と背骨がいい音を立てた。
「骨の折れる仕事だな」
 ぱちん、と音を立てて冥《メイ》のハサミがバラの茎を切った。見やれば机の上には鉢植えが一つ置いてあり、足下には次の花がバケツの中で切られるのを待っていた。
 冥は今、趣味のフラワーアレンジメントの真っ最中なのだ。
「まぁねー。けど、賽は投げられちゃったからさ……さてと」
 机上に散らばる書類を調えた後、巌は立ち上がる。
「そろそろ霧宮くんを案内しなきゃならん時間だから、ちょいと行ってくるよー」
「ああ」
 バラを刺す位置を調整しながら冥は言う。半分上の空な感じだが、まぁ心配する必要は無いだろう。
「んじゃ留守番よろしくなー」
 ひらひらと手を振り、巌は執務室を出た。
 後ろ手に扉を閉め、いつもの足取りで廊下を進む。
 直進、直進、突き当たって左。
「ひゃ!?」
 そうして曲がった直後、巌はなぜか霧宮風葉と出くわした。転移区画はまだまだ先のはずである。
「あれ、霧宮くん? なんでここに?」
「いや、あの、その」
 場違いな制服姿の風葉は、照れくさそうに頬をかく。
「実は、道に迷ってしまいまして」
「……キミ、実は結構方向音痴だったりするんじゃーないか?」
 呆れ半分、苦笑半分。巌は細い目を更に細める。
「まー、迎えに行く手間が省けたから良いさ。ちゃっちゃとフリングホルニに行こうかー」
 エッケザックスが所有している、思わず舌を噛みそうになる船の名を呼びながら、巌は再び歩き出した。

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【神影鎧装レツオウガ 用語解説】
分霊

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