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私にとって、noteを書く意味とは。

今から1年ほど前、
まだ、noteを始めて4日目。

私はこんな記事を書いていた。

内容としては、
noteを始めてみたものの、
誰にも読まれない寂しさから、
〝とにかく誰かに読んで欲しい!〟
〝とにかく誰かの反応が欲しい!〟と暴走し、
よりにもよってnoteを旦那に読ませてしまったという哀れな私の転末を綴った話になっている。

その頃、大学時代のサークルの友人が
たまたまnoteをやっていてフォローしてくれて、
この記事を読んで
「マジで笑ったわ!」
みたいなラインをくれたのが死ぬほど嬉しかった。

その友人からの反応が、
当時の私のnoteを書く意味みたいになっていた。


すぐに高校時代の友人もフォローしてくれて、
noteを始めて1週間後に書いたこの記事に
めちゃくちゃ共感してくれた。

内容は、小さい子連れてるお母さんの格好って似たり寄ったりじゃね?でも、そうなっちゃうんだよ!みたいな私の見解を
くだらなさ満点に書いた記事。

彼女はこの記事を「自分のTwitterに載せていい?」と尋ねてくれて、
とにかく自分の文章を読まれたいと渇望していた私は「え?!いいの?!嬉しいー!!!!」と
二つ返事どころか、一万こ返事で快諾した。

彼女はTwitterのフォロワー数がもうすぐ1万人にも届くようなスーパーウーマンで、
高校以来会ってないけど、SNSで見る限り、めちゃくちゃ生き方が格好良くてオシャレだ。
そんな彼女が私なんぞの記事を面白がってくれただけでなく、Twitterに載せてくれた。
そのおかげで、この記事だけ
noteのアクセス数がめちゃくちゃ増えた。

しばらくしてサークルの先輩も2人、
私のnoteをフォローしてくれて
過去に書いたものも次々にスキしてくれた。
コメントまでくれた。
自分が書いたものに反応がもらえるのって
こんなに嬉しいのか…と
嬉しさをスルメイカのように噛み締めた。

私のnoteをフォローしてくれている方の中で、
私が実際に会ったことがあるのはこの4人だけだ。

最初はこの4人と
当時スキしたりフォローしてくれた方々のお陰で、
noteを書く楽しさを感じさせてもらった。

当時はたまにフォローの通知が届き、
「おぉ!なんかフォローされた!」と
ちょっと浮かれるのも束の間、
フォローをし返さないと
すぐにフォローから外されている
という現象が良く起きた。

そんなのはよくあることだったので、
〝なるほど、これがSNSか…〟と
ふむふむと思っていた私は
例にならってフォローしてみたり、
自分からフォローを外したこともあった。
顔が見えないのを良いことに
まじでクソバカ野郎だった。
まじで菓子折りもって謝罪案件だった。

顔が見えない誰かという存在は、
時として数字でしか表されず
自分の想像力だけでは現実として感じられないものになってしまう。
私も過去を振り返ってみて
顔が見えない誰かと繋がっているという意識が低かったな、あの時は想像力が欠如していたな、と思う。
悔やんでも悔やみきれないが。




ところがある時に、
ふと気が付いた。

私はスキされる数を増やしたい!
フォローしてくれる人を増やしたい!

という目的で、
noteを書いている訳ではなかった。

心の中を文章にして発散させたい。
思ったことを整理したい。

それだけだった。

書いた文章を自分以外の誰かに読んでもらって、
笑ってもらったり共感されたりしたら
そりゃあ嬉しいけど、
そこへの執着心みたいなのは余り無い。

勿論、読んでくれる人は多ければ嬉しいけど、
その為に自分から事務的にフォローして、スキして、コメントを書きに行って…
ということをやる程ではないな…と。
そういうのは
ちゃんと心が動いた時にやるべきだな…と。

そう思ってからは何となく
自分とnoteの付き合い方が定まった。



ある日、noteの『今日の注目記事』に選ばれた。

アクセス数、スキの数、コメントが
突然増えた。

ひぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!

私のiPhoneが鳴り止まず、
旦那が

「え?!何?!どうしたの?!」

私が震える声で説明するも
noteのシステムがよく分かっていない旦那は

「えーっとつまり、
インフルエンサーになったってこと?!」

…いや、全然違う。

でも分かる。

そう勘違いしちゃうくらい
大してSNSをやっていない私たちにしたら
信じられないくらいの通知が届いた。

注目記事に何回か選ばれたお陰で、
私の文章は沢山の人に読まれ、
少しずつフォローして下さる方も増えた。

コメントで交流する楽しさを感じ、
noteでしか知らない
顔も知らない誰かを身近に感じ、
思いを馳せることが増えた。

今では、記事を読んで下さる方や
フォローしてくれた方々のお陰で、
noteを書く楽しさを感じさせてもらっている。



1年前の
2回目の育休真っ只中の私。

コロナ禍で子育てをして
誰かに何かを聞いて欲しい孤独な私。

心の中を発散させるべく
noteの扉を恐る恐る開いた私。

1年という歳月は、
長男も次男も大きくなり、
私も仕事に復帰し、
生活が大きく変わっただけじゃなく、
私にとってのnoteという存在が、
大きく変わった時間でもあった。

顔が見えない誰かという存在は、
時として数字でしか表されず
自分の想像力だけでは現実として感じられないものになってしまう。

だけど、そこには誰かがいる。

私と同じように、誰かがいる。

顔が見えないからこそ
自分の内面を飾ることなく晒すことが出来て
それに共感してくれたり
認めてもらえたりすると
本当の友達とか、それ以上に心の繋がりが生まれる場合もあるんだな、と
noteの世界を見ていて思うようになった。


私にとっての現在のnoteは、
仕事と子育てや家事で疲弊した心の癒しの場。

そして、noteを書く目的は、
子ども達が巣立った家で
旦那と2人読み返して楽しむ為。

いつか子ども達に読ませて
〝私はこれほどあなた達を愛していたよ〟と
面と向かっては言えない思いを伝える為。

いつか息子のお嫁さんに読んでもらって
〝こんなくだらない夫婦喧嘩をしていたのよ、私〟と
笑ってもらう為。

今の幸せだった記憶を
遠い未来の私へ届ける為。


いつまで続くかは分からないけれど、
私にとってnoteを書く意味は
未来の自分へのプレゼントみたいなものだ。

そんな気持ちで
これからも日々を綴っていければと思う。


ところで、注目記事に選ばれる文章って、
なんか自分が書いたものの中でも
ちょっと良い話のヤツなんだけど
私の書く話が、くだらねぇ話9割、
ちょっと良い話1割で構成されている事実は
今回フォローして下さった方には
いつ発覚してしまうんだろう。

という、一抹の不安を
現在はこっそり抱えている。

まぁ、抱えてるだけで
書く内容は全然変えないので悪しからず。

こんな私ですが、
どうぞよろしくお願いします。

いつもありがとうございます。

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