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#3. 「葬儀の日に初めて見た父の背中には無数の傷があった。」マレーシア人の友人が話してくれた彼の両親の壮絶な人生


続きます。

定年を迎えた元外交官のマレーシア人デイビッド(仮名)

彼が、仕事を通じて知り合った日本人との出会いが、戦争中に日本軍から酷い虐待を受けたデイビッドのお父様が日本への態度を軟化させて行くきっかけとなった、というお話の続きです。

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ホンダのアコードを運転しながら、助手席の奥様シンシア(仮名)と後部先にいるわたしに、デイビッドは語り続けた。

「まだ、わたしが30代の頃、仕事を通してある日本人の年上の友達が出来たんだ。彼は、ペナン州のバターワース(Butterworth)に工場を建設した日系製造業の駐在員だった。

その広田(仮名)という男は、とても愉快な男だった。わたしよりも少し年上だった。

意気投合し、ある日ペナンにある実家に招待した。

広田の存在について時折父に話してはいたけれど、実際に会わせる時には緊張した。もしかしたら父が手放せずにいる怒りの矛先が彼に向くかもしれない、と思ったから。

ただ、その心配は杞憂に終わった。

広田は、アクセントのある英語で、一生懸命に身振り手振りを使って、いかにマレーシアでの暮らしが母国日本と違うか、を面白おかしく語り、その場にいるみんなの笑いを誘った。父も笑っていた。

そして、バターワースで出会ったマレーシア人たちの協力にどれほど感謝をしているか、自分がマレーシアという国のためにどんな貢献が出来るか、を若いながら常に考えていることを教えてくれたんだ。

腕を組んで黙って彼の話を聞いていた父は、静かに席を立ったかと思ったら、自分が大切にしまっていた上等なウィスキーを戸棚から出してきて広田に勧めた。

あの日のことを、わたしはたぶん忘れない、と思うよ。

広田のような人を通して、過去の拭いがたい忌まわしい記憶が、次第に癒されていくのだろうね。僕は、その美しい瞬間を目の当たりにした。

ただ、だからといって、過去に受けた傷が無くなるわけじゃないんだ。

どうやってその過去に折り合いをつけて行くかは、本人にしかわからないけれど。

とにかく、僕の印象では、その日を境にわたしの父は、日本を、そして過去に起きたことを「赦す」ことにしたようだった。

当時、わたしは父が、そんな堪え難い虐待を日本軍から受けていたことを知らなかったから、なぜ父がそんなに日本という国を毛嫌いしているのかに思いが及ばなかったけれど、葬儀の日に見た背中と、兄が話してくれたことが、全てを物語っていた。

マレーシア人に限らず、当時を生きた東南アジアの人々には、同じく過去に受けた傷とそれを癒して行く過程というものがあるはずなんだ。」

デイビッドは、隣にいるシンシアの方を見た。後部座席にいるわたしの方を振り返ってわたしをまっすぐに見た時のシンシアの目は、とても穏やかで優しかった。

そして
「この人よく喋るでしょう?」
と言って笑った。

それから、前を向いて座り直したシンシアは、こう囁いた。

「こういう話はね、する相手を選ぶものなのよ。」
そう言った時のシンシアの表情は、後部座席にいるわたしには見えなかったけれど、その場の空気がとてもリラックスしていたことを今でも覚えている。

わたしは、お聞きした話を忘れないように、何度も何度も頭の中で反芻していた。

そして縁があって出逢った二人から、そして亡くなったデイビッドのお父様から、わたしが託されたことについて思いを馳せていた。

まもなく、その日の目的地、プチョンにある学校に到着した。

その学校は4歳から15歳までの子どもたちを受け入れ、寄付やボランティアからの支援を受け難民たち自身が自治で運営している。ミャンマーから迫害されてマレーシアに逃れてきたチン族が設立した学校だけれど、民族にかかわらずビザを持たず公立の学校に通えない子供を多く受け入れている。

デイビッドとシンシアは、子どもたちから大歓迎を受け、校長先生の案内で全てのクラスを周った。

校長先生は、自身も難民で、13歳のときに知人を頼って親元を離れてマレーシアにやって来た若干21歳の青年だ。

デイビッドは一人一人の生徒に話しかけ、特に年齢が上の子どもたちから困っていることや将来の夢などについて詳しく聞いていた。

大学で英語を教える教授であるシンシアは、子どもたちと共に寄贈された本たちが並ぶ図書室に行き、その子に合わせた本を選んでくれた。

また訪れることを約束し、2時間ほどその学校で過ごした後、またクアラルンプールに向かう車の中で、デイビッドは今度はお母様の壮絶な人生について話してくれた。

続きは、またいつか。

トップ画像は、マレー半島とペナン島をつなぐペナンブリッジ。
バターワースは半島のペナン州にあります。

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