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#1. 「わたしには日本人の血が流れているの。」マレーシア人の友人が語った亡き曽祖父の話。

カレン(仮名)に初めて会ったのは、私が毎週通っていた取引先のそばにあるカフェだった。

カレンは、そのプラスチックのテーブルと椅子を並べただけの小さなカフェを一人で営んでいた。よく来る客のわたしが日本人だとわかると、片言の日本語で話しかけてくるような明るい性格で、とても印象に残っていた。

毎週その店に立ち寄るようになり、カレンとは次第に親しくなり、店内に人が少ない時は、わたしがどうぞと声をかければ(マレーシアでは良くあることだけれど)私の隣に座っておしゃべりするようになった。

ある日、同じように店に現れたわたしを見るなり、ぎこちない表情を浮かべたカレンは、わたしのテーブルに注文を取りに来ることもせず、違う方向を向いて立っていた。小さな背中が緊張しているように見え、声をかけてはいけないような雰囲気だったのを、今もよく覚えている。

その日、わたしはカレンの心情を察して、別のお店でお茶をして、済んだら声をかけずにそのまま立ち去った。

それから1週間後。

再びその店の前を通り過ぎると、いつもと変わりないカレンの姿があった。笑顔で近づいてくると、いつものように片言の日本語と英語でジョークを言いながら注文を取り、しばらくして私が頼んだ食事を持って戻ってきた。

キョロキョロと周りを見渡し、他にお客さんがいないことを確認すると、カレンは、その日初めて自分から「ここに座ってもいいかしら?」とお客さんである私に尋ねた。

「もちろんどうぞ。」

先週の様子を覚えていたわたしは、いつもと変わりない様子のカレンにホッとして、喜んで席を勧めた。

プラスチックの椅子に浅く腰掛けると、カレンは何かを言いたげに口を動かしたけど、また口を瞑ってしまった。目だけはわたしの方を見つめていた。

どう表現すればいいか分からないけど、何か言いたげな、でも何から話せばいいか分からない、そんな様子が見て取れた。

「ねぇ、カレン。先週は元気なさそうだったけど何があったの?ちょっと心配しちゃったよ。」

話し出すきっかけになるかも、と思い、わたしからまずカレンに水を向けた。

遠くの方を一瞬見つめたカレンは、意を決したように姿勢を正し、きちんと座り直した。

「あのね、わたしあなたにずっと言わなかったのだけど。」

しばらく沈黙が続いた。

「実はわたしには日本人の血が流れているのよ。」

一瞬、何を言われているのか理解できなかったわたしは、じっとカレンの目を見つめたまま次の言葉を待っていた。

そんなわたしの様子を気遣うように、カレンは続けた。

「急にそんなこと言われても驚くわよね。

実は、わたしの父方の曽祖父は、日本人なの。曽祖父は昨年103歳でこの世を去るまで、とても元気だったのよ。祖父や父から聞いた話も、あなたに聞いて欲しいことがたくさんあるの。近いうちに祖父に具体的に話を聞いてから、いつか友達であるあなたに話そうと思っていたけれど、もしかしたらそれも叶わないかもしれないわ。先週、実はショックなことがあって。わたしの祖父が、隣国のタイの国境近くで拘束されたと知らされて。」

103歳。

その年齢を聞いて、わたしはハッとした。

「カレン。103歳ということは・・・。

お曽祖父さまはもしかして戦争中にマレーシアにやって来たということ?」

カレンは、こくりとうなずいた。

「そうなの。」

「曽祖父は、イギリス占領下のマラヤに日本軍の兵士として、中国の戦地から派遣されて来たそうなの。戦争中のどこかの戦地で、左足を負傷して切断するという目に遭い、足手纏いになるからという理由で、本来ならば自決をするはずが、上官に逃がされて生き延びるチャンスをもらったそうよ。足を引きずりながらジャングルへ逃げ、そこでオランアスリ(マレーシアの原住民族)の女性から助け出され一命を取り留めた。そのまま戦争が終わっても、日本への帰国をすることなく、後にその女性と家庭を持ち子供を授かった。それがわたしの祖父よ。」

あまりのことに、わたしは言葉を発することが出来なかった。

カレンは俯いたり、時おり遠くを眺めたりしながら、延々と話を続けた。

「曽祖父が日本人だと周囲の人に気付かれたら大変なことになるでしょう。なので、曽祖母は、まずその村から夫を連れて逃げたのよ。行き先は、国境を超えてタイのシンゴラ(ソンクラー)へ。そこまで行くのに、倒木を切って作った義足をつけて、二人で何日もかけて歩いたそうよ。そこで、なんとか新しい生活を始めることになっても、曽祖父は言葉を発すれば、現地人でないことに気付かれてしまうので、外では耳が聞こえないふりをして生活したそうよ。家族とは、家の中でだけ、主にタイ語と中国語で話していた。日本軍にいた頃は、位の高い人だったそうで、とても頭が良かったそうよ。だから言葉も問題なく身につけて、ひ孫であるわたしにもたくさん為になる話をしてくれたわ。」

「ただ、曽祖父は、日本のことは一切語らなかった。自分が死んだら全て処分して欲しい、と言い残していたので、遺留品は何も残っていないの。わたしが見たことがある曽祖父の持ち物は、兵隊が着る制服と帽子。祖父に聞けば日本名が分かると思うけれど、今となっては・・・。タイで拘束されてしまった祖父が生きているかすら分からないわ。祖父はムスリム(イスラム教徒)なので、紛争のある地域で弾圧されて地元の警察に投獄された、とだけ親族に聞かされて。現在どこにいるのかすら分からないの。もう少し早く聞けば良かったわ。」

カレンは、青ざめた顔に時々笑みを浮かべながら、淡々と語った。

「それから、昨年103歳で亡くなるまで元気だったと言ったけど、亡くなる直前は衰弱して横になっていることが多くなってね。そんな時、曽祖父はうわごとのように、わたしたちが分からない言葉を発したり歌を歌っていたのよ。今思えば、きっとあれは日本語だったんじゃないか、と思うの。」

「夫を見送って安心したのね。オランアスリの曽祖母は後を追うようにして亡くなったわ。そう、二人とも103歳まで生きたのよ。そして、とてもとても仲が良かったの。」

続きます。

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