ベトナムで暮らします
この春からしばらく、ベトナムで暮らします。
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昨年末に起き上がれなくなるほど体調が悪くなり、台湾生活を切り上げ日本に帰ってきました。4年ぶりに京都の自宅でのんびり暮らしています。
このまま関西近郊で就職しようかな? せめてバイトでも始めようかな? フリーランスとして京都を拠点としてまた働こうかな?
休んでいる間に「これからのこと」をふわふわ長い時間をかけて考えました。抱えていた仕事もすべてなくなり、本当にゼロから何をすればいいんだろう…と。
せっかくすっからかんと無職になったんだから、これは自分の好きなことをするチャンスだなぁ。何もしがらみがない今こそ
好きなことして生きていく
を、やってみようと思いました。時間が有り余る中で本を読んだり、自分logのようなブログを始めたり、ここnoteに徒然なるものを書いたり。
手を動かすことといえば、掃除に目覚めて拭き取るほこりを探すほど家をキレイに片付けました。料理のレパートリーも30以上増え、今まで時間がなくて諦めていたIllustratorソフトの練習をして、ipadで絵を書くようにもなりました。
自分がやってみたいな。と思っていたことをひっそり楽しむ毎日。そんな日々の暮らしの中で、好きなことで生きていくためのヒントがみつかればイイなと願いながら。
結局、これで生きていきたい。とか夢中になって延々とやり続けたい。そこまで思えるモノゴトは見つかりませんでした。
どれもやっている時間は楽しいんだけど、生きていくという重い言葉と重ねることはできなかったのです。したくなかったのほうが正しいかな。
こんな風に、日々自分探しに迷走していると、旧友が自分のお父さんがベトナムで働ける人を探しているねんと教えてくれました。
仕事内容はベトナムの会社で日本の企業に電話で問い合わせをする。そして日本語学校で、ベトナム人相手に日本語会話の練習に付き合うというものでした。
1日に働く時間は5時間ほど。お給料もベトナムで暮らしていくには、まぁ不自由ない額でした。もちろん日本円で換算すると、落ち込む報酬です。だから考えない…考えない。
どう? 行かへん?
と聞かれて即答でした。
私、それ行きたい!
何をして食べていくか、ずっとずっと迷っていました。でもこの時私はあっさりと食べていく仕事を決めることができたんです。
そのとき
そういうことだったんだな
って気づきました。
私は何をして食べていくかよりどこに住んで生きていくかが大事なんだなぁ。好きなとこに住んで生きていきたいんだな。
私は寒い天候が本当に苦手です。冷え性というわけではないんだけど、寒くなるとカラダが固くなって、すぐにぐじぐじと物思いにふけってしまいます。冬の中であちこち移動して、精力的に活動している人を見て、宇宙人みたいっていつも思う。
そして太陽の光を浴びないと、しゅんとなります。曇りや雨の日が続くと、良からぬ事を考え悲劇の主人公みたくなります。雨の日はしとしと雨音を聞いてゆっくり過ごせるから好き。こんなことを言う人も私にとっては宇宙人です。
京都の冬は、暖かい気候と日光どちらもありません。寒くてちょっと薄暗い。侘び寂びの世界。
素敵な人がたくさんいて、面白いスポットがあるのに、私のカラダになじまないなぁ、なんでだろうとこれまでずっと思っていました。なんで私は京都が苦手なんだろうって。
うん。
その場所に「いい仕事がある、お金をたくさんもらえる」より「寒くない・太陽がさんさんと降り注ぐ」が私にとっては大事。この天候条件2つのうち1つもない場所では腰を据えて生きてはいけないのです。
もちろん中短期で寒くて、薄曇りの場所に居られます。でもしばらくすると、暖かくて明るい場所に行きたくなるんです。
だから私の理想は南国と日本を行ったり来たりしながら、働き遊ぶこと。
とまぁ、何かちょっと言い訳じみたことを書いているのかも。自分にこれでいいんだと言い聞かせているみたい。せっかく日本に戻ってきたのに、また海の向こうに渡るなんて…。
でも、大好きなワンピースをきて薄いカーディガンを羽織り、ビーチサンダルをパタパタと鳴らしながら歩ける場所にしばらく行ってこようと思います。そこで書くことも編集することも続けていきます。
北京、台北に続くハノイ。東南アジアに住むのは初めてなので、実はすごく緊張しています。どうか毎日心地いい疲労感を抱えて、ぐっすり眠ることができますように。
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