過去の「助けて」と言えなかった私に伝えたいこと
本当に体調が悪くなって、身動きがとれずどうしようもなかったのに、私は身近な人に助けを求めることができなかった。というよりも、誰かに助けを求めるという発想がなかった。
これまでの私といえば、どんな場であっても色んなことを任せてもらえることが嬉しかったし、できることが増えるたびに楽しくなってた。誰かの役にたっていることが私に充実感、おおげさに言うと生きてる実感を与えてくれた。
私がいないとこの場は回んないな…(キラッ
こんな状態になると鳥肌が出るくらいテンションがあがり、前進していく原動力になった。必要とされてる…生きていける!
でもね。
そんな私が何もできなくなっちゃった。ただベッドの中で横になることしかできなくなっちゃったのです。ある日突然。
こんな状況になると、とたん今までの私をカタチ作っていたみんなの役に立っている充実感や、助けてあげているという上から目線のプライドたちがすーっとどこかへ行ってしまった。
はい、丸裸になったのです。
ずっとずっと私は助ける側だと思いこんでいた。だからこそずっとずっと助けて欲しいと口に出せず、強がって抱え込んでばかりいた。そんな訳で自分の力ではどうにもならない事態になっても、頼み方ひとつ分からなかった。
今思うと、
本当に辛いと言えれば、原稿の締切を伸ばしてもらうことも、仕事を代わってもらうことも、洗濯や掃除をしてもらうことも、きっと可能だったと思う。本当に今辛くて困っているのって真剣なトーンで友達に相談できたと思う。
でも、全部しなかった。ううん、できなかったんだな。
誰かの助けが必要な自分を経験した今、思う。SOSを出すにも、きっと練習がいるんじゃないかって。火事に備えて避難訓練をするように。小さなコトをお願いする練習をしておかなければ、大きなお願いをいきなりすることは、きっとできない。
相手の目を見て、まわりくどい表現じゃなくてダイレクトに◯◯で困っているから助けて。こんな風に。
それはきっと、
両手をふさいでいる荷物を持ってもらうことでもいい。
コンビニでついでにコーヒーを買ってきてもらうことでもいい。
自分に降りかかる災難に備えて、SOS訓練をする。今はそんな風に少しずつお願いの練習に励む毎日です。
みんな、本当にやさしい。心配しないで、頼んでみていいんだよ。あなたもいつも周りの人を助けているじゃない?おあいこ、おあいこ。
過去の自分に言ってあげたい。
そして助けてが言えないあなたにも。
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