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星のおはなし

将来の夢

小学生の頃、うんちく家か、科学者になりたかった。理科だけ得意だったのも影響しているのかも。研究者になりたかったのだ。

宇宙との関係性

家にいっぱい星の図鑑があった。とても面白くて読んでいて楽しかった。お店で星に関する中古本を見つけると、買ってくれと親にねだっていた。

本当になるために必要だった進路(世界線)

まず、中学に上がりたての頃、勉強はしっかりしていなかったのだが、孝行については調べていた。理数科のあるとある高校に行くと、でかい望遠鏡があるとホームページに書いてあった。行きたいとは思ったが、地元では一番頭のいい高校だった。調べていた中学一年生の頃に、腹をくくって勉強しているべきだった。

そして、その高校に進学してから工学部や理工学部のある大学へ行くべきであった。うちの家はお金がないので、国公立難関大学に行かせてくれと死ぬ気で頼むのが理想。そして塾へ通わせてもらい合格へ。

高校の時、物理が好きだったので本当にそのまま進んでほしかった。それと、偏差値が50行かない高校にしか行けない学力しかなかった自分が情けない。中学二年生から入った塾で死ぬ気で勉強して、地元では中間ぐらいの高校にしか入れていない。

現在、天文指導員として

今は、天文指導員になった。大学一年生の時に、天文指導員になれるチラシを見つけた。それは、学芸員がいる子供向け施設で天文指導員にならないかというものだった。去年の夏の終わりに、講習に参加し、全講習をを履行し、見事天文指導員へ。このような形でも、自分の好きなものに関われて本当に良かった。この文章を打っていて泣きそうである。あくまでボランティアだが、ボランティアとは呼びたくない。天文指導員として胸を張りたい。

天文指導員の講習と活動

星座の見つけ方や、星座を軽く覚えた。だが、コロナの影響でしばらくなかったため、がっつり忘れた。テキストなどを基に思い出していきたい。あとは望遠鏡を組み立てたり、野外での星の観察の補助などを行う。

僕は第九期であり、周りは皆50代過ぎの方ばかりだ。わかくても40ぐらいだ。そして、天文指導員の免許の写真写りは、人生の中で最もいいものになった。何かで写真が必要になったときは、この写真を使うことを全力で勧めたい。

天文指導の先生

新しく赴任した人は、台湾の大学院で星の研究をしていた人だった。元々いる人は、京大で宇宙を勉強していて、好きな星を聞くと専門領域過ぎて誰もわかっていなかった。もう一人の人もすごい人だ。

ちなみに、ライトは赤色灯が良い。ルーメンが低く、星探しの時に暗闇に目が慣れやすい。

天文指導員の仲間

天文指導員の先輩であるおばさんがいる。そのおばさんの孫か何かがハワイに在住しているという。講座の補助で来ており、ちょうど僕は講座の前に、TOEICの単語を勉強していたところ話しかけられた。おばさんはTOEICの点数を聞いてきたが、まだ受けていないと答えた。おばさんは僕の参考書をメモしていた。そして、孫はTOEIC満点であると告げられて、萎えた。

Newtonのsincostan

先日Newtonという有名な週刊誌を買った。微分積分特集ともう一個なんか買った。いろいろ書いているが積読男のためあまり読めていない。だが、星と星の間の距離を測るのに三平方の定理を使うのだという。まさか、こんなところで使われていたのかという驚きが半端なかった。三角形の骨組みの箸にも使われているそうだ。

高校生へ

もともと自分は何になりたかったのか振り返ったほうが良い。そして、数学や物理などの計算分野は絶対に投げ出さずにやるべきだ。世の中には数学が絶対に必要だ。こんな低学歴の自分にいわれるのもしゃくに障ると思うが、絶対に計算はできる人間は勝つものとなる。

最後に

このまえ、ペルセウス座流星群の極大の次の日に友人と空を見上げていた。友人とともに、流れる流れ星を見て感動していた。そのままずっと上を向いて、目を離せなかった。たまにしか流れないが、確実に流れる。そんなたまにしか流れない流れ星をみて、ふけっていた。

何年たっても好きなものは好き

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