ちゃんとしたことに対する嫌悪感。
このタモリさんの言葉を見た時、思わず笑った。
分かる。
なんか分かる気がする。
パラパラとしか読んでませんが、タモリさんにとっての「偽善」という話が面白かったのでチラッと紹介。
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セレモニー、予定調和、出来レース。
これらのことが、タモリさんは嫌い。
おそらく、これらに共通するのは
「ちゃんとしている」ということ。
それに対する嫌悪感。
なんとなく、分かる気がするのです。
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4〜5歳から「偽善」について考えていたというタモリさん。
幼稚園入園にあたり、事前見学に行くことに。
そこで見た光景。
園児たちの歌声、それに合わせてお遊戯をする園児たち。
「偽善」そのものの光景に、タモリさんは絶望。
子ども心に「とても恥ずかしく、バカバカしく思えた」と言う。
結局幼稚園には入園せず、小学校入学まで孤独な日々を過ごした、というエピソード。
(タモリ学より要約)
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このエピソードを読んで、高校時代のクラスメイトが話していたことを思い出す。
クラスメイト、小学1年生の時に
「美術コンクールに入賞する絵」の共通点を見つけたという。
それが、
「画用紙いっぱいに、大きく描かれていること」
小学1年生にして、この法則(?)に気が付き
図工の授業ではそれを意識して描いていた。
思惑通り、彼女の描いた絵はコンクールで入賞。
先生や親にも褒められた、と話していた。
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これが「偽善」なのかは分からないが
話を聞いていると、彼女はそれを面白がっていたように思えた。
タモリさん同様、画用紙いっぱいに元気よく描くことを「バカバカしい」と思いながらも、その行為を面白がる。
冷静に考えると、「ちょっと怖い小学生だな」とも思う。
でも、面白がることで見えてくるものって、あるんじゃないかなぁ。
芸人のネタも、嫌いなものを面白がっているケースって多いですよね。
面白がって、それを笑いに昇華させているケース。
バカリズムなんかは、まさにそれかと。
あと柳原可奈子とか。
あ、2人ともめちゃくちゃ好きです。
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で、冒頭の
「ちゃんとしたことに対する嫌悪感」
ちょっとズレてるかもしれませんが、
社内でのやりとり(テキスト上)で、
冒頭に「お疲れ様です」
終わりに「よろしくお願いします」
を欠かさず入れる人。
そう、どんなときも。
大切な挨拶であることには、間違いない。
でもチャットのような比較的フランクな場でも、毎度毎度律儀に入れてこなくても良いのでは?と思ってしまうのです。
あと
何に対して
「よろしくお願いします」
なのか、よく分からない場合がある。
私は何を「よろしく」されたんだろうか?と思ってしまう。
あ、怖いですか。怖いですよね。
文脈で理解できる場合は良いんですが、そうでない場合は
「確認よろしくお願いします」なのか、
「返信よろしくお願いします」なのか、
具体的に書いてもらえると嬉しいなあ、なんて。
その方が、お互いスムーズだと思うんですよね。
って、やっぱり怖いですか。そうですよね。
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ということで、
タモリさんの本の紹介と
ちゃんとしたことに対する嫌悪感、って話でした。
タモリさん、やっぱり面白いな〜。
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