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「置き場所」としてのnote

西加奈子「うつくしい人」

他人の目を気にして、びくびくと生きている百合は、単純なミスがきっかけで会社をやめてしまう。発作的に旅立った離島のホテルで出会ったのはノーデリカシーなバーテン坂崎とドイツ人マティアス。ある夜、三人はホテルの図書館で写真を探すことに。片っ端から本をめくるうち、百合は自分の縮んだ心がゆっくりとほどけていくのを感じていた。

本の概要より

西加奈子さんの本、初めて読んだのですが…
前半に出てくる、絶妙に嫌味を含んだ表現がなんとも言えず、個人的にはツボでした。

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で、今日はこの話に出てくるバーテンの坂崎のセリフから考えたこと。

バーテン坂崎の働くホテルには、図書館がある。
その図書館は旅行に来た人が本を「置いていく」場所らしい。

そこの本を「読む」人はほぼいないので、
だったらいらないのでは?という百合に対しての、坂崎の言葉がこれ。

「(中略)吸収するだけじゃなくて、置いていくことも必要なのかもしれない、と思います。」

うつくしい人p206ー207

おそらく
旅行に限らず、何かを「吸収すること」だけが全てではない。
何かを「置いていく」=忘れる、捨てる
ことも大切なんじゃ?ということかなと。

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毎度、例えがnoteになってしまうのですが…

noteに記事を書くことも
「置いていく」
ことの一種なのかなと。

日常生活で色んなことを知ったり、考えたりします。

でも、吸収だけでは溢れてしまう。
だから、定期的にどこかに「置く」「捨てる」「忘れる」ことが必要だなあと。

noteに書くことで、考えや出来事が整理される感覚。
これは書いたことのある人なら、一度は感じたことがあると思います。

で、書いたものはだいたい忘れてます。

自分の過去記事のタイトルを見返しても
「え、これ何書いたんだっけ?」
というものが多い。
なんなら、書いたことすら忘れてるケースも。

でも、それでいいんじゃないかと思ってます。
むしろ、覚えてなくてちょうどいい。

きっと、脳の容量って減ることはあっても老化と共に増えることはないんじゃないか?と思うから。詳しくは知らんけど。

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以前、ミニマリスト関係の本にハマって読んでいた時期に

「家の広さは変化しない。だから、モノを入れたら、その分減らさないとモノは溢れる」

という、今考えると至極当然のことが書かれていたのですが、当時の私は「そうだよなあ」と深く頷いていた。

それが腑に落ちてから、モノに限らず
記憶やデータも、すべて同じことだよなと。

「インプットしたら、アウトプットせよ」

自己啓発本を読むと、よく書いてある言葉ですが
本当その通りなんだろうなと。

出さないと、当たり前だけど滞留する。
滞留すると、なんだか調子がよくない。

うん、どこかで聞いたことある話だね。
ピンとこない人は、TOP画像を見てみようね。

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ということで、
noteは、脳の容量を軽くする為の
「置き場所」かもしれない…という話でした。

みなさんは、自分が置いた(書いた)記事のこと
覚えていますか?

<あとがき>
書いた記事はたびたび記憶から消えますが、「ここに置いてある」という安心感があるからなのかもしれません。書いたことすら忘れてる過去記事にスキがついたりすると、「置いておいてよかったな」と思います。記録って大事ですね〜。
今日もありがとうございました。


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