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多様性って、たぶんしんどい。

以前、こんな記事を書いた。

私は「お酒を飲まない」という選択をしている。
状況により一杯目の乾杯は飲むが、それ以降は飲まないことにしている。

上記記事は、義母から「なぜ飲めるのに飲まないの?」というような質問をされ、面倒だなと思った…という内容。

先日、また同じようなシチュエーションに遭遇し、また同じ説明をしたのだった。
そして飲酒しないと言うと、不思議そうな顔をされるという。

過去記事でも何度か書いているが
私が積極的に飲酒をしない理由は、
ソバーキュリアスの本を読んで、飲酒の必要性を感じなくなった、というのが一番の理由。

でも結局、世の中は
「20歳以上の人は、原則お酒は飲むもの」
という前提に成り立っているのだと思う。

飲酒する人が多数派で
飲酒しない人は少数派。

だから、20歳を過ぎている私がお酒を飲まないというと「なぜ飲まないの?」と問われる。

だって、飲み会でアルコールを注文して
「なんでアルコールを注文するの?」
「なんでお酒飲むの?」
って言われたことある人、いないはず。

多数派は、説明不要。
少数派は、「なぜそれを選んだか」の説明が必要。

どちらも「その選択肢を選んでいる」だけなのに、なんとも不思議な話ではないだろうか。

という私も
数年前まで飲酒していた。

だから、その時は深く考えたことがなかったけど、
お酒の席で飲まない(飲めない)人は、他者から「飲まない理由」を一度は問われていたと思う。
それは決して、居心地のよいものではなかったはず。

そして、過去の飲み会の記憶をたどってみると
(かなり曖昧な記憶)

飲む人は飲む人同士
飲まない人は飲まない人同士
それぞれでグループができて、ワイワイしていたような気がする。

それって、今なら分かる。

だって同じ状況の人同士の方が
心理的安全性が確保されるから。

そりゃそうだよ。
同じ状況だから、いちいち説明しなくていい。
それって楽だよね。

この、説明のエネルギーというのは結構消費量が高い。

私は好きで飲まないだけだし、大した話ではないけど、これが
「結婚」「出産」
などの話題だと、さらに説明のエネルギーを消費するのだろうと想像する。

以前読んだ「正欲」でも
結婚願望が全くない人が、周りから「結婚しないの?」と何度も聞かれ、
都度答えるのが面倒
→同じ境遇(結婚願望なし)の男女同士が、お互いが都合よく生きるために結婚した、という話があった。

「多様性を認めよう」とか簡単に言うけどさ、
それって、すごーーーーく大変なことだと思う。


書き出すとキリないので、今日はこのへんで〜。


▼正欲ってどんな本?って方はこちら。








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