断るエネルギーの話。
元日。
家族で義母の家へ。
鮮やかなおせち。
お雑煮。
そして、お酒。
お祝いごとの席には、当然のようにお酒が並ぶ。
「あけましておめでとう!カンパーイ!」
乾杯。
はじめの一杯は、挨拶だと思うのでいただく。
でも、2杯目以降は「飲まない」という選択をしている。
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以前記事にしたが、いわゆる
ソバーキュリアス
(しらふを好む人、飲まない生き方を選ぶ人)
という選択である。
お酒は飲めなくはないし
喉が乾いた時の、一口目のビールは好き。
少し前までは、特に何も意識せず飲んでいた。
でも、2022年の年末にソバーキュリアスの本を読んだり話を聞いたりして、
「飲酒って、私には必要ないかもな」
と思うように。
もともとお酒の味がよく分かるわけではなく、一人で飲むことは皆無。
飲酒について知れば知るほど、デメリットばかり見えてくる。
飲んだり飲まなかったりの
ゆるゆるソバーキュリアス期を続けていたある日の夜。
夜は、本を読もうと思っていた。
たまたま2杯くらい飲んだら、眠くなってしまい予定していた読書ができなかった。
書いてみると、
「たったそれだけのこと?」
「いや、寝たらええやんw」
という話だと思うが、その時本が読めなかったことが、なんだかすごく悔しかった。
飲酒のせいで、やりたいことができなかった悔しさ。
このことがキッカケで、はじめの一杯以外は断ることを心に決めた。
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で、おせちで乾杯の話に戻る。
はじめの一杯が終わり、義母に2杯目を勧められたが、もう結構ですと断る。
残念そうな顔をされるが、私はソバーキュリアスなのだ。飲まないと決めている。
なので、冷たいお水をいただいた。
コクコクと水を飲んでいたところ
「でも、お酒飲めるんでしょ?」
との言葉。
…
「飲まないことにしてます」(キリッ)
と言い、数の子をポリポリッとして、飲酒の話題は終了笑
一応弁解(?)しておくと、仲が悪いわけではないし、義母は根っからの良い人で、悪意などこれっぽっちもないことは分かっている。
純粋に
「なぜ飲めるのに、飲まないのだろう?」
という疑問をぶつけてきたのだと想像する。
ただ、私が飲酒の面でマイノリティであり、それを貫いているだけという話なのだ。
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で、この「断る」という行為は、意外とエネルギーを消費する。
そもそも、なぜ「断る」エネルギーが必要なのかというと…
飲酒=マジョリティ(多数派)
非飲酒=マイノリティ(少数派)
だからである。
私は飲みの席は多くない。
エネルギーを消費する機会など、年間でも片手で数える程度しかない。
それでも断るという行為は、ちょっと疲れる。
でも、そのちょっとで自分を守っていると思えば、そのエネルギーは惜しくない。
自分の主張は、自分でしかできないもんね。
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ということで、
断るにはエネルギーがいるよねーって話でした。
ソバーキュリアスの人、増えないかな〜。
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