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社内観察日記🕵社長の履歴書

お世話になっております!
株式会社ヨコゴシステムズ広報/人事/BOセクションのスズキです。

この社内観察日記では、ゲーム会社である弊社のメンバー達に仕事内容や経歴をお聞きしていきましたが、今回はなんと弊社社長のヨコゴシさんにインタビューをしてきました!
しかも、社長のこれまでを追いかけるために履歴書をつくってしまおうということで、みっちり話してもらいました。

では、よろしくお願いします!

中学時代:プログラマーとしての第一歩👣

スズキ:
早速ですが、会社を立ち上げるまでの経歴を教えてください。
以前、学生時代からプログラミングしていたと聞いたことはあったのですが、本当ですか?

社長/ヨコゴシ:
うん、そもそもゲームが好きで、学生時代は自宅のパソコンでゲームをよくしていたね。当時はやっと家庭用パソコンが出てきたという時期だったよ。

プログラミングのスタートは、中学生時代に制作したタイピングゲームかな。たまたまパソコンの付属品としてベーシック言語を用いたタイピングゲーム制作の説明書があって、当時はプログラミングの意味もよくわからないままとりあえずやってみた感じ。
やってみると、実際にその通り動くのがおもしろいなと思って、そこからかな。

さかのぼって考えると、「自分で組んだプログラムによって、想像した通りに動くのが楽しい!」と思ったこのときから、将来これを仕事にできたらなと考え始めていて…

あと、この時には既に自分の会社を持ちたいと考えていて「ヨコゴシステムズ」という会社名も考えていたんだ

スズキ:
その頃から起業を?!
しかも弊社の名前は、中学生のヨコゴシさんが考えたものだったんですね…

高校時代:初めてのグループ制作💻

スズキ:
因みに、誰かと一緒にゲーム制作をし始めたのもこの頃ですか?

社長/ヨコゴシ
そうだね……そんな感じでプログラムに興味を持ち始めて、中学時代には部活でパソコン部に入部してみたんだけど、自分と同じようなことに興味を持つ仲間がいて。ただ、いたけれども当時はどちらかというと、一人で作っている方が楽しかったんだ。

その後進学して高校でも電子技術研究部というパソコンを扱う部活に入部して。部活の発表会で同級生とゲーム制作をすることを経験して、それがすごく面白かった印象があるな。その時がグループ制作の最初。

スズキ:
ある意味それが皆でゲームを作っている今の原点とも言えますね!

社会人1年目:プログラマーではなく、デザインの道へ🚶

スズキ:
グループ制作が面白かった、ということは……もちろん卒業後はすぐにゲームの世界に進まれんたんですよね!

社長/ヨコゴシ:
それが、卒業後はゲーム業界に入りたかった気持ちはあったものの、社会人1年目は印刷会社に入社してillustratorやPhotoshopをつかって、チラシをつくったりしていた時期があって……。

とは言え、ゲーム制作も自分で続けて並行していて、そんな感じで2年くらい活動していたのかな。

スズキ:
え!! デザインの仕事をしてたんですか?!
今はプログラマーとして活躍しているのに、意外です……。

20代:活動拠点を東京へ🚅

スズキ:
では、ゲーム業界にどっぷりと浸り出したのはいつごろでしょうか?

社長/ヨコゴシ:
それから地元を離れて東京に住む友人の元へ行き、一緒にゲーム制作をしてコミケに出したんだ。初めて自分で作ったものを売る体験をしたのがこの時。
当時はまだ今みたいにコミケでゲームを売るっていうのは珍しかったんじゃないかな。

本格的にゲーム業界に入ったのはその後から。プレステ2やゲームキューブ関連の仕事をするようになって、色々な会社を経由して……5年くらいはそんな感じだったと思う。

最初は派遣でスタートして、その後派遣先から自分を社員にと相談があったんだけど、実は派遣会社で知り合った人からも声がかかっていて。結局後者を選んだんだ。
この頃参加していたゲーム開発においては、3日に1回くらいしか帰れない状況が続いていたね。(今なら考えれられない働き方だよね。)当時はそれでも楽しい!という気持ちが勝っていたけど。

20代の頃は仕事を通じて知り合った人だったり、友人だったりから声がかかり、面白そうならとりあえず行ってみよう・やってみようと、拠点を移しながら活動していて、一時期はフリーランスで活動していた時もあったよ。

一度地元に戻って自堕落な生活を送ってみた時期もあるんだけど、その時も東京で勤めていた頃の同僚と趣味で一緒にゲームを作ることはしていたから、ずっとゲーム制作をしている状態だったよ。

スズキ:
ゲーム制作が好きなことがとても伝わってきます。あと、直観で『面白い』と思ったところに飛び込んで、それが着実に人との繋がりやスキル、経験に繋がっていますよね。

社長/ヨコゴシ:
うん、それはたまたまだけど、20代の頃はそんな感じ。
いや、30代に入ってからもかな(笑)

30代:リバーシクエスト制作スタート🎮

社長/ヨコゴシ:
20代の頃(株)ユークスで一緒にゲーム開発をしていた同僚から、「ソーシャルサイト制作を手伝って欲しい」と言われ、関西への拠点移動を決意して…。
その頃はサーバ―のプログラムにも興味があって、それが経験できるならと思ったのも決めた理由の1つかな。

その後からかな、専門学校の講師を2つ掛け持ちしながら、リバーシクエストの開発をスタートするのは。人に見せられるゲームを作れたと思ったのはこの時がはじめてだった。

リバーシクエストのプレイ画面

スズキ:
ここで、弊社設立のきっかけにもなったリバーシクエストシリーズの開発がスタートするんですね。
本業の仕事があるので大変そうですが、当時はどうでしたか。

社長/ヨコゴシ:
リバーシクエストを開発している途中に、活動の場を学校から(株)ディンプス、DeNA Osakaと再びゲーム業界に変えたこともあり、そこでの仕事に追われ、自身の活動が止まっていたこともあったね。
一緒に活動していたメンバーが勢力的であったおかげもあって、リリースまではなんとか進めることができたけど、一人だったらできていなかったと思う…。

その後、リバーシクエスト2の制作を始めるんだけど、この頃のゲーム業界は社会全体の流れもあって、働き方が大きく変わっていったんだ。残業を控えるようにって。

働き方の整備がされる前は、毎日早朝から夜遅くまでやっていたな。周りも心配するくらいゲーム開発にのめりこんでさ。自分ではしんどいというより面白さが先にきていたから、そこまで気にしていなかったんだけど。
だから働き方が変わっていったことで、ゲーム制作がしたいのに、残業はできないから帰宅しなきゃいけない……という(一般的な発想とは少し違った)思いを抱えていたね(笑)
そういった背景もあって起業について、より考えるようになった時期でもあるかな。

スズキ
客観的にみると大変そう…と思いますが、面白いんですね。並行してされていたリバーシクエストの制作はどうなったんですか。

仲間と制作していたリバーシクエスト2は、無事リリース。
その時に団体名を決めないといけなくなって、中学2年生の時に決めた「ヨコゴシステムズ」をみんなに、どうかな?と伝えて……。

結果、現在に至ると。

スズキ:
中学2年生から温めていた社名が、とうとう!

2019年 株式会社ヨコゴシステムズ誕生🏢

社長/ヨコゴシ:
その後は、当時在籍していた会社が解散となり、その時点でももちろん起業というのがずっと頭にあったけど踏み切れず。

結局、別のゲーム会社で約1年ほど活動して、色々タイミングも重なって、やっと重い腰をあげたんだ。それが「株式会社ヨコゴシステムズ」の設立に繋がっていくという…。

スズキ:
ここで、設立なんですね。これは履歴書を1つにまとめるには大変だ…

ということで、次回も続きをインタビューしていきます!さらにさらに、詳しい社長の履歴書をつくるために、次は様々な経験をされた中で最も印象的であったゲーム開発について語ってもらおうと思います!!


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