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プラン・ジャパンのスポンサーを体験して

こんにちは(^^

今日は、子育てしていた時期に、重なって続けていた「プラン・ジャパン(現在の名称はプラン・インターナショナル・ジャパン)」のことを、思い出しながら綴ります。

マンスリーサポーターとして寄付を続けていたのは、2004年9月~2012年までです。そのうちの2年間だけ「チャイルド・スポンサー制度」を体験しました。

前提として、ご存知でしょうか?

評判は、こちらの方の記事がバランス良いかと...


いろんな考え方があると思いますが、私は単順に「世界中の子どもたちの暮らす環境が、良くなったらいいな。」と思い、毎月1000円~の寄付をスタートしました。

長男が、幼稚園に慣れてきていた、2004年9月のことです。

届くパンフレットを毎回、眺めるうちに、「特定の子ども」と繋がる スポンサー制度 を知ります。寄付額は3000円~。

当時は、手の届く範囲に感じて、興味を惹かれ、2006年11月から2年間だけ「チャイルド・スポンサー」を体験しました。

もっと続けられたら、良かったのですけれど(汗)。金銭的な負担と、心の苦しさがあったこと、そのまま表現してみます。

私が紹介されて繋がったのは、エジプト ベヘイラ在住 の Ahmedくん。

◇ 2001年生まれ。我が家の長男 T のひとつ年下です。イスラム教徒、アラビア語で、両親と姉と暮らしています。
◇ 家は、日干しレンガ造り、コンクリート製の屋根の家。
◇ 水の供給:一年を通して家族は、1km以内にある公共水栓から水を得ています。
◇ トイレ:家族は敷地内に私有のトイレがあります。
◇ 保健施設:最寄りの保健施設は45分ほどのところにあります。

...初めてプロフィールや説明を受け取り、読んだとき。そして写真を見たとき。いろいろな前提の違いに、たくさん戸惑いました。

靴は履いていますが、たぶん室内(?)土間のような印象です。

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後日、FACT FULNESS 関連から検索で見つけた「世界保健チャート」について記事にするかも...ですが、基本的な暮らしの前提を、当時の私は、理解しきれていなかったです。

日本の暮らし、前提となっている環境(インフラ)の豊かさを、ものすごく感じる体験になりました。

「ぜひ、お手紙を書いて交流してください」と推奨されています。

エジプトのチャイルドと交流する時の注意点です。 ↓

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そうか、夏だからといって、肌の出ている服装の写真はNG。犬を抱いているのもNG...など、初めてのことをいくつも知ります。クリスマスカードがNGの件も。

私は、全部で5回ほど、お手紙だったり、メッセージと、プレゼントの品物を送る体験をしました。

高価なものはNGだったので、100~300円程度でノートや鉛筆、絵柄のあるクリアファイル、縄跳び...などを、その都度、じっくりと選んで添えています。

このとき、100円ショップや選び放題の品物、便利な商品が次々と日本では誕生し 存在しているのに、なぜ、全く無い地域が、同じ地球上にあるのだろう...と、ものすごく違和感を覚えたこと、強く印象に残っています。

お手紙を送ると毎回、数か月後に、届いたことを知らせてくれる写真付きのお手紙が、わが家に届きました。

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プランのボランティアが アラビア語 → 英語 → 日本語にまで訳してくれています。アラビア語 の原文は、裏に一緒に留めてありました。

Ahmedくん は、まだ幼かったので、姉の Asmaaさんが、お返事を書いてくれていました。残念ながら、私には読めないのですが、気持ちが伝わって来て、とても嬉しかったです。

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ある時には、お礼として(?)姉の Asmaaさんが編んだ品物と、塗り絵が届きました。裏には、家族構成が、穴埋めシートに書かれていました。

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思いがけず受け取ったとき、嬉しいような、申し訳ないような...泣きそうな気持ちになりました。

最近、この note を書くために、当時の資料を振り返って読みました。改めて自分の役割は「スポンサー」としての継続が、最も大切だったんだなぁ...と気がつきました。

プランジャパンの現地報告(一部分)には...

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...とありました。将来的に依存させないような、地道な活動なんですよね。

プランの案内を今、改めて読むと、2005年からこの地域に入っています。健康問題に絡んで、飲料水がないこと。飲料水用の装置を取り付ける活動が大きな柱の1つ。

教育環境の問題 以前に、識字率が低く、女子の中途退学率が高い。教育の重要性を認識させる活動...と書かれていました。保育士の訓練、医療所の修復と設備の増強、残るファミリーへの飲料用装置の設置などです。


当時は、変化の緩やかな報告に、実感がわかなかったこと。それと世界規模の格差を強く感じてしまい、自分が受け止めきれず、心が痛かったこと。

そして、次男が誕生し、自分の生活に再び忙しさが戻ってきたこと...が重なり、スポンサーを降りました。

その後も、マンスリーサポーターとして寄付自体は、継続していたのですが、2011年 東日本大震災を目の当たりにします。

まずは日本...と思い、当時、Twitter や ネット上で目にしていた、いくつかの個人や事業宛てに寄付先をシフト。2012年には、プラン・ジャパンとの関係を終えています。

振り返ると、本当に中途半端な関わり(汗)でしたが、私にとっては、異文化や地球の規模を、とても感じる体験でした。

本「世界がもし100人の村だったら」この内容を、リアルに感じました。

注)現在は、その当時よりも、全体的に変化していると思います。

最初の、父親とAhmedくん の写真。当時、わが家の飾り棚に、ずっと飾ってありました。

小学生になった長男に「だれ?」聞かれたとき、「エジプトの知り合いなんだよ」と、話して聞かせた記憶が残っています。


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