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感情的な痛み、そして和解するまで...

こんにちは(^^

今日は、この一件の終了まで綴ります。前々回と前回の続きで、2005~6年 の内容です。

発達障害のある長男 T (幼稚園 年中5才)が、夏の預かり保育のとき、障がい児クラス 年少の○○くんに怪我をさせています。○○くんは退院していますが、通院は継続中...。

関係がぎくしゃくしていた晩秋、○○くん親側の要望により、幼稚園内で話し合いの場が持たれました。当時、お互いの担任も同席。現場にいて頭を守ってくれた、元担任 H 先生は席を外しています。

お寺の幼稚園で住職の園長と、夫は、自分の立場から言えることを、ただただ丁寧に繰り返し説明している感じでした。

園は前面に立って謝罪、手続きの順序、全ての治療が終了しないと補償額の計算が始まらないこと...などです。夫は、ご不便をおかけしている事に焦点を絞って、謝っています。

相手側の母親は、病院で言われた言葉「もし頭を打っていたら、この程度では済まなかった」が、感情を揺り動かしていて...。なのに「この対応や金額、そして必要な時に貰えないのはどういうことか!」と、怒りと悲しみでいっぱいで攻撃的でした...(涙)。 

○○君の父親は若く、すでに疲弊しており、大人しく うなだれて奥様の訴えを聞いている感じで...こちらへは、特に何も意見の無い様子なのです。

○○君のご両親は、弁護士を立てている様子はありませんでした。夫は最初、かなり身構えていましたが、相手の様子を伺い、園の対応も常識的なので、そのままお任せでいこうと考えた...と、後に打ち明けてくれています。

私は、母親の気持ちを聞き続けて...共感してしまい、次男を抱きながら、泣いて、謝る言葉しか出てきませんでした...

どうどう巡りの場でしたが、気持ちを吐き出して訴えることで、少し落ち着いてきた○○君の母。これ以上言っても、何も変わらないことを理解したのか、少し投げやりになり、諦めて落ち着いてきたところで、話し合いの場は終了し、解散しています。

年を越えた冬。○○君の通院が終了したようです。園から「補償金の支払いなど全て終わりました。説明が下手で申し訳ないです。」との連絡がありました。

夫と揃って、園長先生へお礼に伺っています。ぼろぼろのソファーの応接室。園長先生にも頭を下げられ、こちらとしても、ずっと盾になっていただいていたこと、改めて感謝を伝えています。

その後、○○君のご家庭へ、お見舞金を支払う行動を、ようやく取れています。○○君母に、今まで動けなかった意味あいや、順序を、少しだけ理解してもらった感覚がありました。

私は、この経験で、補償や責任の範囲のこと。順序や、謝罪する内容、タイミング...様々な事柄が入り組んで関連していること。法の解釈の下では、感情で動いていては、更に物事を複雑にしてしまい、逆に ご迷惑が広がる...ということを、少しだけ学びました。

この頃、自閉症児・者親の会 の会報紙と一緒に、障がい児・者でも加入できる傷害保険が発売...とのチラシが入っていました。公園等で怪我をさせたとき...を考えて、すぐに加入しています。

年度末。元担任で、現場で○○君の頭を守ってくれた、一番若い H 先生は、退職されることを知ります。

謝り、頭を下げ続けるしか、ありませんでした...(涙)。

H 先生は「何のことですか...?全然 違いますよ~」と最後までとぼけて、かばい続けてくれていたまま、わが家との関係を終了しています。ありがとうございます m(_ _)m

○○くん母とは、その後、あまり刺激しないように気をつけながら、T が先に卒業しています。

ところが数年後。大型スーパーでばったりお会いしたときに、相手から声をかけられ、再び笑顔でフランクに会話しました。その時のお話では、離婚されて、子連れで沖縄へ引っ越しする直前...とのこと。

急な話の展開に、かなり驚きながらも...。私からは、応援と励ましの言葉を送りました。○○くん母との関係、最後はさわやかに終えられて、とてもホッとしています。(^^

そして最後に。

T が年長の途中で、実は園長先生、ご病気の悪化で亡くなります。幼稚園 選びのときから、このピンチのときも最後まで、T のことを見放さなかった出会いに、本当に何度も助けられました。

園長先生、本当にありがとうございました。

今でも、夫と当時のことを話しながら、親子共に、育ててもらった幼稚園への感謝の気持ちで、胸がいっぱいになっています。

追記:この記事でクラッカーいただきました、応援ありがとうございます♬

感情的な痛み、子育てクラッカー

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