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児童精神科医による、診断名のつくころ

こんにちは(^^

今日は、長男 T が2才後半~で、初めての医師による発達診断のころの流れを、思い出しながら綴っていきます。2003年5月末~の内容です。

この年の4月から、児童相談所内で毎週の「療育サロン」に通っていました。初めて医師による診察と判定は、ここと連携している女性医師に、児童相談所内の診察部屋で行っていただいています。

他の医療機関へ改めてかかる必要がなく、T が通い慣れてきていた場所で、とても助かりました。

療育 とは障害のある子どもの発達を促し、自立して生活できるように援助する取り組みです。

以前と同じ心理士により「発達検査」が、別部屋で行われます。遠城寺式という検査方法でした。同じ時間帯で母親は、医師との面談です。

当時の T(2才9ヶ月)の様子は、衣服の脱着や食事にかなりの手が必要で、オムツも必要、危険が全く分からない...状態でした。

そして翌日。結果を聞くための診察。その時には「自閉傾向を伴う精神遅滞」「中度遅滞」との診断でした。発達指数 DQ は 40(月年齢相応が 100です、涙)。

当時、特別児童扶養手当 の 認定診断書 を受け取り、手続きを進めています。

一緒だった「療育サロン」仲間が、ほとんど同じ境遇なので、お互いにどうだったのか...1人で葛藤することなく、いつでも何でも相談できたこと、励まし合えたことは、心強くて幸いでした。

その中の母親には、元薬剤師でご主人が医師の方、元教職員の方がいらっしゃいました。発達検査 結果の詳細な数値の見方や、家庭で取り組める具体的な内容、何が出来たら伸びている...と解釈されるのか。

その後は、療育サロン以外でも、深くお付き合いが始まっていきます。お互いの家に数家庭で集まっては、子ども同士を遊ばせてみたり、発達についての解釈を教えて頂いたり、児童発達に特化した医療機関の情報交換などです。

当時の資料を振り返ってみると、T が療育手帳を取得しているのは、翌年の早春でした(ごめんなさい💦)。

それ以前には、セカンドオピニオンを探すかのように別の医療機関へ、個人で掛かりつけ始めていました。

わが家から自分の運転で 通える場所に、道立の総合医療・療育センター(当時の名称)があります。そこの児童精神科 医師の評判を聞き、2か月程度の予約期間を経て、8月から掛かり付けていました。T は3才です。

当時、T を担当して頂いた 児童精神科 医師は、長沼睦雄 先生でした。現在、HSPの書籍を数多く出版されている第一人者で、驚いています。この医療機関での発達検査は、新版 K 式。いろんな指標があることを、親も学習していきます(笑)。

ざっくり公表しますと、
姿勢運動:発達指数 62、認知適応:77、言語社会:67
全領域:発達指数 70 ...診断名は「自閉傾向、ADHD傾向」

親も家庭での対応を次々と学習していき、発達を促すことを意図的に始めていました。検査方法も違い、5月の結果とは少し違っています。

長沼先生には、他へ異動されるまでの約5年間、T の個別セラピーを、年10回程度、ずっと個別に対応していただいていました。セラピーでは、T と思いっきり身体を使って遊ぶんです、長沼先生ご自身が。

子供みたいに「今」を楽しみながら発達を促す、共感能力の非常に高い、とても優しい長沼先生。T はもちろん、先生もセラピーも大好きでした。(^^

追記:この記事でクラッカーいただきました、応援ありがとうございます♬

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