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苦しかった子育ての日々、2才半

こんにちは(^^

今日は昨日の続きで、長男 T が2才半ころのことを綴ります。2002年 下半期~ころです。

T には、多動の様子がはっきりと出てきていました。ですが、当時の私には知識が無く、手探りの状態が続いています。

何か予定のある日が、本当に待ち遠しい日々でした。

そんな日々でも楽しかったのは「ママ友親子との交流」です。産婦人科のマタニティヨガ教室で一緒だった人に、元幼稚園教諭の方がいました。親子ともに楽しめる企画がとても上手で、夏には、地域の会館をお借りし、8組ほど合同での2才誕生会✨を開催。

その時の集合写真で T は、ものすごく楽しそうな笑顔で私の方を向き、服を引っ張っていて、全くカメラを見ていない姿(笑)。個性がはっきりと出ているけれど、純粋な笑顔で、宝物の写真です(^^

わが家に大集合✨で楽しんだこともありましたし、お互いの家に行き来しては励まし合い、一日一日を過ごしていました。

「児童会館」では毎週、決まった曜日の午前中が、幼児の枠でした。広い体育館で、思いっきり遊べるコーナーや、カーペット敷きで、まったり絵本や手遊びできる場所などがあり、自由に動いて遊べます。

ここで児童指導員の方に、子育ての悩み相談をしていました。指導員の方は「元気があっていいと思うよ」「可愛いよ~」など、いつも前向きな言葉を頂いていました。

この頃の T は、全く人見知りしませんでした。母親じゃなくても大丈夫で、親子で体操する時間には、他の大人やスタッフと一緒のことが、よくありました。

私は秋ころ、保健所での「母性相談」を予約して受けています。我が子がかわいいと思えない...を悩んでいて、その観点から相談していました。子どもの様子で、どの程度から注意が必要なのか...の理解は不足していました。

保健師さんには T も一緒に見てもらっていますが、初めての場所では新しいオモチャに夢中なので、特段、変わった様子には見えなかったのかな、と思います。

月齢を重ね、スーパー(エスカレーター)から上手く帰れないこと、公園でも同じ遊具を繰り返してしまい、だんだんと迷惑な感じになってしまうこと...などが、次々と重なっていきました。

辛かった私は、夫に相談して、冬前から車の運転を練習し始めています。スーパーから連れて帰るため、遠くの公園などをジプシーするためです。車の中なら大泣きして暴れても、家へ連れて帰れる...と考え、必死でした。

そして冬。私が本当に「おかしい」と感じて、危機感を持ったのには、いくつかの要因があります。

1、出ていた言葉が出なくなっている(語彙が増えないどころか、減る)

2、朝、時間になると外遊びに出たがるのですが、私の準備もあり、待たせていると...壁に頭を打ち付けたり、のどの奥に指を入れて吐きそうになる動作を繰り返す...など、想像すらしていなかった展開になる。

3、冬、児童会館の帰り道。T は、そり(北海道では冬、そりで幼児や買物を運びます)が止まると降りて歩き出そうと、ものすごい力で前進したがる。国道で赤信号。目の前を、車が何台も通過しているのに、出たがっていて、危険が分かっていない。話して聞かせようとしても、聞こうとしない様子。

...隣りでは、今まで一緒に遊んでいた、同じ年齢の双子と母親が、手をつないでゆっくり立ち止まったり、歩いて帰れている...。なんで、我が子には分からないのか、伝わらないのか...。正直、私が、泣き叫んだ日もあります。

...私自身、育児ノイローゼ気味 だったのかもしれません...。

日に日に苦しくて、地域の「子育て相談」に再び電話したのが、2才半の冬のことです。「発達に心配のある親子のサロン」 月1回...というものを教えていただき、すぐに参加を決めます。

そこから、新たな出会いに繋がっていきました。

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そのお気持ちが、もう嬉しいです♡ お互い幸せに、栄えていきましょうね(^^