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発達障害グレーゾーンの中学校進学ってどんな感じ?(娘の小さい頃)編

私は娘を産んだ

みんなと同じように痛い思いをして産声を聞いた

人生初めて嬉し泣きをした、

こんなにまで綺麗に涙が出てくるものかと思うぐらい感動した。

そのまま無我夢中で子育てをした

シングルマザー未婚、仕事もしながらとても大変だったけど 

かけがえのない時が過ぎていった  

区の乳児定期検診、何も変わらずみんなと同じなのだとその頃は思っていた

少しだけ少しだけ目が合わない? 

少しだけ少しだけ言葉が遅いかも。。。

でも早生まれだからみんなについていくの大変だからと思っていた                                   

保育園では先生に可愛がってもらった  

手の係る子ほど先生は可愛いとも思ってくれてたのかもと後になって思うこともある 

そんな中でも、少しずつ不安が近づいてくる

お母さん達と話していても、何かが違うそんな不安が自分だけにはあった

「そんな事みんなあるから大丈夫だよー」

「みんなそんなものだから子育てなんて」 

「うちだって全然できてないよー」

この言葉に違和感を感じるのは、グレーゾーンの母親にしか解らないと今なら言える  

みんなが同じと言ってくれても何かが噛み合わない 

すごく違うわけじゃないのに微妙に何かが違うって毎回思っていた 

滑り台をしていても、お絵かきのやり方色のチョイス、言葉のチョイス 

個性は親として感じることは多く自分的には少し嬉しいとも思えることもあった 

こんな表現は差別的に捉えられてしまうかもだけど  

生まれたときも小さいときも障害を指摘されなかったし 

発達障害なんて言葉も言われたことなかった  

最近はよく発達障害かもとか調べてきてくださいとか 

何も分かってない教育者が自分たちの仕事がやりづらいから、 

すぐに勧めてくる世の中だ 

幼少期に周りから個性を否定されて 

大人になって個性が大事だなんて勝手な意見だ 

みんな都合のいい個性がいいって思ってるし 

みんなから評価されない個性に価値などなく批判する 

だからと言って団体生活の中でみんなと交われなくてかき乱す人は少し困るとも言える

だから小さい頃からの温かい愛情というなの手助けが必要なのかと思う 

大人になると自分はできていたなんて勘違いしている 

このときの自分は今のこの苦労など考えもしていなかったし、 

娘がこんなにまで少しだけ人と違うことで  

傷を負うことになることも


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