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ピンキィの青春

『日本にいないエッセイストクラブ』やってます!
世界各国に住む物書きのみなさんでリレーエッセイをはじめました。その名も『日本にいないエッセイストクラブ』。第一回目のテーマは「はじめての」。4人目はインドネシアの武部洋子から、5人目は記事の最後に紹介します。告知記事はこちら、随時エッセイをまとめているマガジンはこちらです。

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日本の大学を1993年に卒業した私は、卒業式を待たずにそのままジャカルタに移り住んだ。これは、私がはじめてジャカルタに住み始めたときの話。

日本で就職もせず、ジャカルタの若者文化を取材して書くフリーランスのライターになろうとしていた若気の至り大炸裂中の私は、当時トレンドの中心だった南ジャカルタのブロックM地区(その後一旦寂れて、今また盛り上がりつつある)に通いやすい、閑静な住宅街に下宿を見つけた。大きな家の2階に4畳半ほどの小さな部屋が4つ、トイレとシャワールームは共同。私の部屋は一番手前、間に2部屋はさんで、一番奥のシャワールームに近い部屋にいたのがピンキィだった。

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映画『Blok M』 (1990) ポスター画像

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ピンキィは、私の苦手なタイプの女の子。声が大きく厚化粧、面倒見はよいがうっとうしい。友達としゃべっている時はゲラゲラ笑いっ放しなのに、他人と話すときは、これ以上ないくらい不機嫌そうに眉間にシワを寄せる。
生活の時間帯が違うのでめったに顔を合わせることもなかったが、彼女の声が聞こえるだけで私の神経は逆撫でされるような気がした。もちろん、そこまで彼女を憎む理由はなかったのだが。 

彼女は当時22歳、職業は歌手でホテルのパブにレギュラー出演していた。
彼女の部屋の前には20数足もの靴が、壁掛け式のポケットにしまわれていた。狭い部屋の中には、ブティックのように洋服が吊るされ、鏡台の前には各種化粧品が林立している。部屋にいるときは小さなブラウン管テレビがつけっぱなしで扉もあけっぱなし。

ピンキィは夕方3時頃に起き出して来て、まず水浴びをする。出勤時間までは友達と電話をしたり、テレビを眺めたり、時には新しいレパートリーの練習や、歌詞の聞き取りをしている。まだまだネットで歌詞を検索するなどできなかった頃の話だ。

5時を過ぎると、顔面塗装にとりかかる。その間、メンソールの丁字タバコを吸う手はいっときも休まず、1日に2箱は吸っている(なんだかんだ言って私もずいぶんしっかりピンキィを観察していた。こうして詳しく描写できるのも、当時のメモが残っているからだ)。

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そうこうしている内に、同じバンドのもう一人の歌手であるニニスがやってくる。2人であーでもない、こーでもない、キャアキャアいいながら互いの化粧を直したり、ピアスを取り替えたり、帽子の角度を直したりをえんえんやっている。何がどう悪いのか、どこをどう直したのかよくわからない…と思いながら、その日私はなぜかピンキィの部屋に座り込んでその過程をずっと眺めていた。

同じバンドのメンバーである、スリナム出身のスティーヴが作った陽気なビートの曲とラップが中心なのに、そんな厚化粧の完全武装じゃまるで国営放送TVRIに出ている懐メロ歌手みたいだよ…。

そんな私の心配をよそに、ニニスは「キマった!」とばかりに鏡の前でのけぞりながら両腕をまっすぐ前に出し「クィーン・ラティーファー!」と憧れの女性ラッパーの名前を叫んでご満悦だ。彼女らの首からは、ペンダントがわりにぶらさがったCDがきらめいている。

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帰って来るのはいつも朝の4時頃。彼女は友達を連れて来ていて、音楽をかけながらおしゃべりをしているので私はつい目覚めてしまう。この下宿には2年近く住んでいるそうだが、ある日突然、階下に住む下宿のおばさんの堪忍袋の緒が切れた。思い出してもぞっとするおばさんVSピンキィの激しい怒鳴り合い。時々、近くにあるものを叩き付ける音。声が台所の方から聞こえたので、私はちゃっかり、水を取りに行くフリをして様子を見に行った。やってるやってる。2年間たまりにたまった鬱憤を吐き出すおばさんと、それに負けじと抵抗するピンキィ。あまりにひどかったので、私はすぐにその場を逃げ出して翌日まで帰らなかった。

下宿に戻ってみると、ピンキィの部屋はすでにからっぽ。その後彼女がどうしているかは知らない。一度彼女あてに電話があったが、もういない、と言うと「困ったなあ、ポケベルの番号も、もう使われていないって言われちゃうんだよ…」とその人は言っていた。

数日後、私もこの下宿を出ることになった。そのことをおばさんに言いに行くと、おばさんは突然ピンキィのことを語り始めた。
「前ピンキィがここに来たばかりの頃ね、婚約者がいたのよ。でも、あの子の浮気癖があんまり激しいんで、もう殴る蹴るの大ゲンカしてさ。ここで、よ。すごかったんだから。別れたんだけどね、結局。その後、ドイツ人の男の家に2ヶ月くらい住んでた。でも親には知られないように、ここの部屋はそのままだったのよ」

そのドイツ人とも別れて下宿生活に戻ったある深夜、おばさんは別の男がピンキィの部屋に入るのを見たのだそう。
「いつもあの子、部屋の扉は開けっ放しなのに、このときはきっちり閉めてたねえ。やっぱり疑うわよ!朝6時頃だったかしら、英語で話す声が聞こえた。きっとアレの後でしょ!」
「ホテルでやる分にはいいのよ、他人事なんだから。あたしには関係ない。でも、ここはあたしの家なんだからね。許さないよ、男をとっかえひっかえ…歌手だから!歌手だからなのよ、歌手なんてみんなそう!」

おばさんのテンションが突如高まり、謎の偏見がさく裂。目の前にいる私まで身の危険を感じはじめたところ、うまいことおばさんの腕の中にいた孫のタニアがおしっこをもらしてくれた。私はここぞと部屋に逃げ帰ったのだった。

ピンキィ、今どうしてるかな。

次のバトンはイスラエルのがぅちゃんです。
先日、中学生の娘が卒業写真の撮影で「90年代」がテーマのファッションをするというので(90年代なんてついこないだじゃん!張り合いない!)と思ったのですが、こうして文章にしてみると90年代…やっぱり遠い昔…。
それにしても、当時の写真がないのが残念です。
『日本にいないエッセイストクラブ』、次回のバトンはイスラエルのがぅちゃんにお渡しします! 公開は3/9あたりを予定。お楽しみに!

前回走者、アルゼンチンの奥川さんの記事はこちら

実は東・東南アジアから出たことのない私なんですが、今一番気になっているのが、何を隠そうアルゼンチンです。きっかけは、Netflix映画の『2人のローマ教皇(The Two Popes)』。ほんとうにちょっとしか出てこないんですが、街の喧騒とスペイン語の響きにゾクゾクきてしまいました。そんな憧れのはるかなアルゼンチンの日常が垣間見れる奥川さんの文章。現地でジューシーな熱々アサドを食べることが、私のバケットリスト入りしました。その節には奥川奉行、ぜひお願いします!

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