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7回忌を終えて

11月3日は45歳で亡くなった兄の七回忌だった。

1周忌の食事会はお葬式が終わった直後だった。

よく冗談で静かな食事会を「お通夜のような食事だね」と言うけれど、実際にそんな雰囲気で、食事をしながら「まるでお通夜だな」と思い、「あ、そうだ。今そうだった。」と自分でツッコミを入れて笑えたことを思い出す。


親戚が集まるといつも面白い話で盛り上げてくれるムードメーカーの叔父さんが居場所がなさそうに小さくなっていた。
私が「兄は叔父さんのことが大好きで、よく飲みに行きたいって言ってましたよ」と言うと、「そんなこと言うなよ。どうしようもなく悲しくなるじゃないか」と本当に困った顔で言ったことが思い出される。


3回忌は、断片的にしか覚えていない。
体の一部にまだ「何か」が残っていて、拍子付いて押されたら、涙と共にどっと出てくる感じがして、そうならないようにと義姉とともに食事会の場をせっせと仕切っていた。万が一お互いの中にある「何か」が出てきて動けなくなっても、フォローしあえるかと思って。

食事会には笑顔が戻ってきていて、飲めば笑い、思い出話をすれば泣きという時間だった。
兄の娘で高校生になった姪っ子が思い出話に涙を流して泣いていたのが印象的だった。お葬式の時には、私が気づかなかっただけかもしれないが、人前ではあまり泣いていなかったように思うから。月日が経ってようやくみんなの前でも泣けるようになったかと、叔母としては少し安心する。


そして、先日。七回忌がやってきた。
法事も食事会でも涙を流している人はほとんどいない、静かな談笑が溢れる食事会となった。そこでは、兄の思い出話もたくさん語られたが、笑いはあっても涙はない。
思い出話と共に振り返るのは故人であり、その時の自分自身であり、今までのような悔やむ感情が薄らいでいることに気づく。

実際に、この6年で、兄が亡くなった時に中学生と高校生だった甥っ子、姪っ子も成人となった。私もよく知っている兄の大学時代からの親友は会社を上場した。
兄がいてもいなくても時間はどんどん流れて、日々アップデートされ、変化していく。

私だってそうだ。兄の死が私の人生に多少の影響はあったにせよ、振り返れば私は私の人生をかなり利己的に生きてきた。折に触れて兄の代わりになんて思ってもいたが、それもひっくるめて、全て私の人生でしかない。
誰も兄の代わりの人生を歩むことはできない。

「そんなこと、わかってたよな。いい加減、俺のせいにするなよ。」そんな兄の声が聞こえてきそうだ。

私の人生は私のもの。私が選んで決めるもの。
そんな当たり前のことを思うに至り、小さい頃から兄と喧嘩するたびに言われてた「本当にお前は自分の事しか考えてないな」を思い出し、まだまだその癖は抜けていないな、と振り返るのである。


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