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一番好きな言葉のように生きるのは大変だ

好きな言葉、座右の銘と言われて、みなさんはなんと答えますか?

私はずっと、「君子豹変す」です。

三省堂の辞書には次のように書かれています。

現在では「要領のよい人は、今までの態度をすぐ変えて、主義も思想も捨ててしまう。」という、いずれかといえば悪口に近い使い方をされている。
しかし本来は、「優れた人間は、過ちは直ちに改め、速やかによい方向に向かう。」という評価の言葉である。原義が著しく変えられた一句である。
「豹変(ひょうへん)」は、豹の毛が秋になって抜け変わり、紋様が鮮やかになることで、これを人の態度が一変することにたとえる。

余談ですが、学習マンガが多い家庭で育ち、この言葉も「マンガで読む孔子」で知りました。それが長らく座右の銘なのですから、マンガ学習侮れず!

閑話休題。
しかしながら、座右の銘のようにはなかなか生きられません。慣性の法則に負けています。

変わる=負ける

そんな感覚があり、頑固な私は変わらない理由をあれこれひねりだし、壁をさらに高く、厚くしてしまいます。

昨日は、会社の昇進発表がありました。
これまで昇進には全く興味なく、「会社の奴隷の鎖を強くするだけ」とむしろそっぽを向いていました。

しかし、なんだか心がざわざわするのです。経営企画に異動して、会社の人事に少し触れたからかもしれません。

なんだろう、このざわめきは。
ひょっとして、私はうらやましいのでは?
認められて讃えられたいのでは?
年下に抜かれて悔しいのでは?
これまで怠けていたことを後悔しているのでは?

自問しても自問しても、私の心はかたくなに口をつぐんでいます。

ようやく口を開いたた思ったら、
「そんなこと、あるわけない。あなたのこれまでの考えの方が正しいよ。自由がなによりも大切でしょ?使い倒されても会社は応えてくれないもの。管理職なんて、人生を会社に捧げるだけ。出世を目指す人たちに囲まれて、ちょっとゆらいだだけ」

そうなのかな?
今こそ豹変すべき時?
それとも流されかけているだけ?

答えがでないまま家に帰ると、夫がソファーでテレビを見ていました。
ころんと丸いおなかをなでながら、この時間が、この感触が、大事だということはゆらぎないな、と思いました。

さて、孔子のマンガによると、この言葉には続きがあります。

君子豹変す
大人(たいじん。すぐれた人物)虎変す
小人(しょうじん。小物)面をあらたむ

すぐれた人は、豹や虎の毛が美しく抜け変わるように、あざやかに変化できる。しかし、小物は表面だけ変えて、すぐれた人たちの後をついているだけ。

私もそれなりに変わり、成長してきたと自分では思っています。でも、それは、表面だけのことなのかもしれません。

パサついてくすんだ毛を、一度生え変わらせたい。自分の心も分からないくせに、そんな思いがふつふつと沸いてきます。

もうすぐ、春ですね。

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