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「新卒の会社〇ヶ月で辞めました!」ってドヤ顔で言えることなのか? 半年足らずで辞めたけど人生の汚点でしかない

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 ▼▼【追記】2社目編の詳細と、その後現在までを綴った8500字の記事を公開しています。長いですがそちらも併せてご覧ください。▼▼



「新卒の会社〇ヶ月で辞めてフリーランスになりました!」 

「2日で辞めたったぜ!」

なんてブロガーがTwitterを賑わせて、一時期論争になっていた。

 

会社員VSブロガーの論争に加担するつもりはない。

ここでは新卒の会社のスピード退職が転落人生の始まりになった話をしようと思う。

 

間違えてブラック企業に入ってしまった


僕は就活に苦戦し、目先の内定にとらわれて新卒で週6勤務・月300時間労働の零細企業に入ってしまった。

週6勤務で年休90日程度、しかも安月給なのは入社前から分かっていたことなのだが、「いけるやろ」みたいな軽いノリで入ってしまった。大バカ者だ。反省してもしきれない。浪人してまで中堅大学に進んだのに何をしているのだろうか。

ここから人生のレールを外れていくことになった。

 

思考停止営業マンになったのがすべて始まりだった


僕は経営学部出身で、「文系=営業職」という固定観念にとらわれていた。自分は内向的で人見知りの性格だったので、明らかに営業マンに向いていないことは分かっていた。ただ、他の道を探すことはしなかった。雰囲気に流されたのだ。

 

営業のストレス、みなし残業、土曜日も仕事という苦痛…

プライベートはほぼなく、入社1ヵ月半で帯状疱疹が出た。原因はズバリ「疲労とストレス」とのこと。

 

帯状疱疹自体は1週間ほどで治ったが、心身の不調が続いた。体力が急激に落ちた。

社長面談があったので、その時に不安を伝えた。すると

 

「休め。完治するまで戻ってくるな」

 

と言われた。こうして1回目の休職生活が始まった。

 

 今思えばうつだったかもしれない


それから体が鉛のように重く、体力が戻らない状態が続いた。

 

「完治」をめざし、夏の猛暑の中ランニングして体力をつけることに励んだ。

といっても、何がどうなれば完治なのか分からず、復職するのに2ヶ月ほどかかった。

 

転職も考えてハローワークにも行った。そこで復職することを勧められ、悩んだ末に戻ることにした。

上司には「戻ったということは、完全に治ったとみなして指導していく。体調の考慮はしない。同じ病気では休めないよ」と釘を刺された。

 

復職してからはメンタルがおかしくなっていった。

車通勤だったのだが、ストレスをアクセルペダルに向けるようになり、田舎道を毎日110キロでぶっ飛ばした。

山道のカーブ手前で「このまま真っすぐいってガードレール突き破ったらどうなるのかなぁ?」なんて考えたこともあった。

 

当時は診察を受けてないので分からないが、今思えばこの時からうつだったのかもしれない。

 

辞職は突然に


ある日の会議で、えげつないノルマを課せられた。

社長は「数字を達成できない社員はいらない」とも言っていた。発破をかけるためか本気で言ってるのかは分からない。

 

会議室で「もうここではやっていけない、辞めよう」と決意し、その日の夜に上司に退職したいと伝えた。

 

すると「社長室に行こう」と言われ、上司と社長と3者面談することになった。

即日退職が決まった。

 

「15日(締め日)まであと2日あるけど、試用期間やし引継ぎも特にないから今日で終わりな。給料は出すから。お前はまだ若いからこれからなんとでもなる」と言われ、退職届も書かずに辞めることになった。こういう時だけ異様に仕事が速い。

 

荷物を片付けるよう指示され、残業でオフィスに残っている人にだけ挨拶をした。

1つ年上の女性社員は動揺して涙を浮かべていた。

あぁ、女を泣かせてしまった、と思った。

 

こうして一瞬にして無職の世界に放り出された。明日からどうしよう。

9月13日の夜、風が冬のように冷たく感じた。

 

転職活動ではゴミ扱いされ、手に職を付けることを決意


その後、何社か面接を受けた。性懲りもなく営業職である(まだ思考停止状態)。

第二新卒といっても早期退職がネックとなり(ほかに要因はあるかもしれないけど)、採用されることはなかった。

 

「なんで辞めたの?」と必ず突っ込まれる。

「特別ブラックでもないよ?これくらいの仕事で辞めてるようじゃやっていけないよ?」と舐めた目で見られたこともあった。合同説明会のブースで人事呼ばれたから俺は行ったんだけど。

 

ハローワークのセミナーでの紹介もあり、職業訓練校で手に職を付けてやり直すことを決めた。

大手企業に転職して人生逆転…のはずだった

訓練校で資格を取り、そこそこ大手の会社に入社できることになった。

外れたレールからやっと戻れると思った。

 

しかし、半年で今度は地獄に転落した。

正式にうつ病と診断された。

 

社会人経験のなさが響いた。前職ではろくに研修も受けておらず、ビジネスマナーなど何も知らなかった。

失礼だとダメ出しされ、電話応対もままならない。そんな中いきなり一人で放り出された。ストレス、プレッシャー、キャパオーバー…

 

2回目の休職生活が始まった。

 

休職したら預金残高がゼロになった。貯金がないことが響いた。

前職で働いたのは実質2カ月半。退職後はフリーターしながら転職活動。訓練校の学費交通費もすべて親に出してもらっていた(失業保険は支給対象外だった)。

 

経験もお金もないから頑張って取り戻さなければと思っていたところ、うつになって働けなくなってしまった。

休職してもさらに金欠で追い詰められたのも、新卒の会社を早期退職したことが響いている。学生時代の判断ミスがここまで尾を引くとは夢にも思わなかった。

 

1年の休職ののち2社目を退職。傷病手当金をもらいながら療養生活を送り、就労移行支援事業所に通うことを決めた。(※現在は傷病手当金は満期になり障害年金を受給)

フリーランサーになることも考えたが、体はなんとか動くので会社員として再々出発しようと考えている。Googleの一存で振り回される生活はリスクがありすぎる。

 

赤の他人の生き方をどうこう言うつもりはない。ただ、自分は「新卒の会社4ヶ月半で辞めました!」なんてドヤることはしない。むしろ恥ずべきことだと考えている。

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