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かなわない夢を見ました

わたしはむかしから大きい賞を取ったら家族みんなで帝国ホテルのビュッフェを食べに行こうと言っていて、べつにコース料理でいいじゃんって話なんだけど、わたしも家族も好き嫌いが若干あるので、ビュッフェなら好きなものが何度でも食べられてしかも一流のサービスを受けられる、すごくいいなと思っていた。

けれどいま父が脳梗塞の後遺症や歳をとったことによって食べ物をうまく食べられない時がある。こぼしてしまったり、固いものが苦手だったり、なにより飛行機に乗ってわたしのお祝いのために帝国ホテルに行くのだ、ということを父は出発前に理解することが難しいと思うし、飛行機という乗り物にじっと乗っていられるかもわからない。

そのことを思っていて、でも個室ならこぼしても気にならないよな、とか、いろんな配慮をしてもらって父とお祝いがしたいなって考えていたのだが、あれ?と思った。

わたしって、賞をとって祝ってもらう側の人間ではなかったっけ?

それなのにいろんな気を遣ってあれこれ考えていて、家族には祝ってもらってない、それってわたしだけが焦りすぎていてみんなにとってはどうでもいいことなのでは?

と思いながら目が覚めた。

起きてぶわぶわ泣いた。
ぜんぜん、祝ってもらってないなんてことはない。お母さんはもちろん、父も賞をとったことを理解してくれたらしく、よかった、と言ってくれたらしい。そのときの父はとても嬉しそうで、動画に撮っておけばよかった!と母がほんとうに楽しそうに報告してくれたのを覚えている。
弟はわたしのTwitterをぜんぶ見ているからいろんなことを知っているし、おめでとうとも言ってくれた。

ほんとうに、祝われてないなんて思っていない!

でもお祝いはしたいのでなんとかみんなで揃う機会をつくりたいなという気持ちはある。弟は11月頭に帰省するのだがそんな文フリ出店勢にとって地獄のシーズンに帰省されても合わせられないわって感じである(これはもともと決まっていたことなので、受賞したからわたしも帰る!という風にできないのは別に誰も悪くない)。

*前提としてわたしが先日現代短歌社賞を取りましたってことを書いてなかったのでここまでの意味わかんなかったひとはすいません

すごくありえないことを夢に見て泣いてしまったのでマジで涙で体の水分が足りなくなって、お水をごくごく飲んだ。

お祝いをしたい(外食をしたい)というのがそもそもわたしの夢のなかの発想の中でずれているところで、実家に帰って豪華ご飯を作ってもらってみんなで食べれば、まあ母にはすいませんお手間おかけしますだけれど、それで全然いい。

なにがいいかなあってコロッケが食べたいのでコロッケにしてほしいけどお祝い感あるだろうか…いいか、お祝いは気持ちなので、コロッケ作ってもらいにどっかで実家帰ろうと思います。

祝われてないってなんで夢の中で思ったのかほんとうにわからなくて、昨日もおばに母が賞の話をしたらなんかあんまり覚えてないままいとこに伝わって、いとこがしっかり検索してこの賞だ!って法政大学のサイトに載っていることを(なぜかめちゃくちゃ誤字だらけのあのサイトを)調べてくれたらしいという話も聞いていて、お母さんには本のデザインどうしよう〜とかもう話しているのになんでそんなこと思ったのか、やだな、と思って、でも過去のわたしのやりたかった「お祝い」の形はもうかなわないものであるということをどこかで切り分けておかなくてはなかったから、そのタイミングだったのかもしれない。

わたしはいまの家族たちのあり方でお祝いをしてもらいたいし、家族全員集合をしばらくしていないのでどこかではしたいなと思った。

眠れなくて、すごく長い夜だった。眠れてしまえばあっという間の夜でもあった。
朝になっていることがしばらくわからなくて、自分が何を考えているのかもわからなくて、夢の中で考えていたことといまの自分の考えがあまりに違いすぎて、わあっと泣いた。

離婚したり友達が何人もいなくなったりを経て、わたしは自分の言葉や考えを獲得していっている、という気持ちが強くなってきた。
自分の思ったこと、をちゃんと大事にできるようになってきて、いままでごめん自分の意思、っていう気持ちで生きている。

少しずつわたしは自分の気持ちを大事にできるようになってきている。だから大丈夫だと思う。夢で見たことに惑わされない。

でも帝国ホテルのビュッフェは普通に食べたいので今度どこかのタイミングで行ってきます。まっててねローストビーフ…🍖🍖🍖

ものを書くために使います。がんばって書くためにからあげを食べたりするのにも使うかもしれません。