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ATLアングラキングFatman Key!

 アトランタアングラシーンにおいて圧倒的なカリスマ性を持つFatman Key!。イーストサイド生まれの生粋のATLienで、ATLトラップシーンに最も影響を与えたKilo Ali(*1)を叔父にもつ。私の知る限りでは、33歳(2024年現在)で、3児のパパ。すでにベテラン中のベテラン、レジェンドラッパーの域に達している。ストリート(ギャング)にいながら、ジュエリーにも、ハイブランドにも興味がない。来るもの拒まず、去るもの追わず。いつしか、アングラの帝王と呼ばれるようになったKeyを紹介したい。

(Kilo Ali :1986年頃にドラッグと共に北上してきたギャング組織マイアミボーイズ。ウエストサイドにあるフッド(あのAbemaですら地元という意味で使っているが、正しくは、貧困や犯罪に塗れた低所得者が住むスラム街のこと)、バンクヘッドを拠点にしたことから、マイアミベースやグリルも、バンクヘッドを中心に広まっていくことに。こうしたマイアミ文化に影響されたのがKilo Ali。”Baby,Baby””Love In Ya Mouth”など、今でもATL民のクラシックソング。)

誰にもコントロールできない男

 2016年2月。「俺はハリウッドになるんや!」と、LAに移住するも数ヶ月後にはATLに戻ってきたKey。その直後、毎週日曜日のパーティー”Bonfire”で顔を合わせた。私事だが、ラッキーなことにBonfireの立ち上げから声をかけてもらって、かれこれ10年以上、毎週Bonfireで撮影している。パーティーシティーと呼ばれるアトランタは、月曜から月曜まで、至る所でパーティー(イベント)が行われていて、入れ替わりも激しく、10年続くパーティーは異常だとBonfire経営陣ですら自負している。Bonfireは、ボトルサービスやVIP席があるようなブージーなクラブではなく、ATL市内近郊の古倉庫や空き地を利用し、屋外に焚き火(bonfire)を設置。ライブバンドあり、地元アーティストのパフォームあり、フードトラックあり、とローキーなパーティーとしてスタートした。そんな雰囲気がKey自身も好むところで、Bonfireによく顔をだす。 
 「俺、今、マネジメントも全部自分でしてんねん。来年に、日本行くかも」。めちゃくちゃ嬉しそうなKeyに、LA移住はどうなったのか切り込んだ。急に、険しい顔をして「I am everywhere! (俺は、どこにでもおんねん)、その話はしたくない」とその場を立ち去った。「今、マネジメントも全部自分でやってんねん」。そう、Keyのマネージャーは代々、長くは続かない。Keyの自由奔放な素行癖にすぐお手上げ状態に陥るからだ。

 そんなKeyが、その3年後に来日を実現させた。NYベースのJ $tash と同行のアジアツアー合間の休日だった。インスタストーリーには、道に倒れ込んでいる酔っ払いを、かなり遠いところから見つけ、一目散に駆け寄り「お前、大丈夫か、大丈夫なんか」と、身を寄せて声をかける優しいKeyがアップされていた。酔っ払いとはいえ、人が道端で倒れているのは、アメリカ人にとって衝撃的な光景だ。一緒にいた人が「そいつは、酔っぱらって寝てるだけや」と言えば、「なんやねん、それ!」と、返す刀で態度を豹変させ、その場を去っていった。いかにもKeyらしくて吹いた。

ウーフィンインタビュー実現

 KeyがATLを離れる少し前、当時唯一のヒップホップ雑誌Woofinで”ATLiens”というATLに特化した連載がスタートした。NYTimesがATLをヒップホップの中心地と認定されてから、随分と月日が流れていたが、日本では、まだまだ認知度が低かった。そんな中、ゴーをいただいた当時の編集長やスタッフの方、そしてATLの重要性を説き、サポートいただいた渡辺志保氏にもこの場を借りて、改めて感謝したい。
 その連載で、keyをマストで取り上げたかった。でも、本人は、メディアへの露出やプロモーションに興味がないので、インタビューしようにも、まず、つかまらない。電話にも出ないし、テキストにも返事がない。Keyの出没スポットに出向き、インタビューの機会をずっと狙っていた。そんな折、Reebok 主催のブロックパーティーにKeyがブッキングされた。ここしかない。会場で声をかけると「(私から連絡が何回もあったの)知ってるって」といたずらっぽく笑う。アングラキングという名に相応しく、この日はトリを務め、集まったローカル達を完璧にロックオンした。パーティーがはねて、まさに車で現場を去ろうとしているKeyを呼び止める(オープンカーで追っかけやすかった)「今から、Jacks Pizza行くから、そこへ来たらええやん」。Jacks Pizzaとは、Old fourth Wardという古い街並みのエリアにあるピザ屋で、グランジ系やヒッピー系ATL民の溜まり場。とうとう、日本にKeyを紹介できる!飛び上がりたいほど、嬉しかった。


2016年Reebok主催のブロックパーティーにて


 Key御一行ーTwo9のメンバーや、音楽仲間5,6人はいたと記憶しているーは、レストラン奥に設けられてるテラス席にいた。ここのピザは、待ち時間が長いことでも有名。しかし、その時間を利用して、Keyを引っ張り出せたのだから感謝しかない。私の顔を見ると、Keyは「あっちへ行こう」と、御一行から少し離れた所にある木でできた長椅子に座った。隣に座ろうとすると、咄嗟に、その長椅子を素手で何回もはたき、綺麗にしてくれた。そして、その手をすぐに引っ込め、自分のズボンに擦り付けて、何事もなかったかのように演出。「ありがとう」と目を覗き込むと、視線を宙に泳がせ、ガン無視。ドラッグの影響もあったのかもしれないが、そんなKeyの尋常でないツンデレ具合は、とうの昔に気がついていた。アーティストの多くはスタジオにこもったり、ストリート(=ギャング)活動で忙しいので、あまり出歩かない。だがKeyは、制作活動の傍、かなり出歩くタイプ。私がアトランタでカメラを持ち始めたころから、顔を合わす機会が多かった。

 Cam’ronに影響をうけ、初めて曲を完成させたのが、16歳の時。
「でも、生まれてこのかた、ずーっと音楽やってるようなもんや」と笑う。
そして2009年、18歳で、Two9を結成する。相方は、Curtis ( A.k.a. Danko)。
「奴とは、11歳、小学校6年生で知り合ったから、もう、15,6年のつきあいになるな」。その後、Two9は、ATLアングラシーンにその名を馳せ、2014年、Mike Will Made It のEar Drummer Recordsとサインをする。もともと、大所帯だったTwo9だが、サインをしたのは、5人のみ。そこには、Keyの姿はなかった。Two9創設者でありながら、すでに、グループを脱退していたのだ。「俺は、単に、ソロアーティストになりたかってん、それだけの理由や」。その場に及んで、団体行動には向かないと悟ったらしい。現に、脱退後も、Cutris始めとする、他メンバーとの関係は変わらず、Two9が活動を休止するまで一緒にレコーディングしたり、ステージに上がることもあった。
 ソロアーティストに転向後から、今日まで、ありとあらゆる注目の若手(今ではベテラン域となっているアーティスト)とリンクし、作品をつくってきた。韓国のKeith Apeをはじめ、Post Malone ,Raury, 6lack , Lil Yatchy, Playboy Carti, Uno the Activistなど、枚挙に遑がない。「コネクションのためにコラボしてんねん。そうやってネットワークを築いてきてん」

ウーフィンに使用したインタビュー時の写真/Jacks Pizzaにて


”有名になりたいからって音楽をやっている連中とはちゃうねん”


 2014年に客演したOG Maco “U guessed it “、Father “Look at Wrist” が大ヒットとなる。「Father は、マコネン(IloveMakonnen)から紹介されて、一緒にやってん。クールな奴やで」。 ただし、MVには、口パクしないKeyがいる。「俺は、俺のヴァースを全うしただけや」。OG Macoの”U guessed it “に関しては、出演すらしていない。「あれは単に、俺の個性を出したかってん。俺はストリートで生まれ育ったってこと、そして、俺は音楽をやりたいから、やってるだけっていう。有名になりたいからって音楽をやっている連中とはちゃうねん」。当時から、2人はお互い敬遠していたのだが、そこには一切触れないKey。OG Maco との共同作であるEP”Give Em Hell “ からMacoのクレジットをとったり、MacoはMacoで、ディス曲”Fat Fuck”をリリースし、泥沼化。修復不可と思われたものの2015年、和解し、Macoを客演に迎えた”Street Fighter” をドロップ。和解直後の2人のコラボでありながら、このタイトルってのもKeyらしいし、あの任天堂ストリートファイターの”波動拳!”をガヤに入れてたり、ビヨンセの”To the left “をパクっていたり。とにかく面白い。歴代のアルバムのコンセプトやカバーのアートワークも、アイデアの塊。タイトルにビヨンセをモジってKeyonceとしてみたり、ベジータの顔だけKeyに変えたイラストをカバーに使ってみたり。年に一回のUS雑誌XXLのフレッシュマン企画ー選出されたアップカマー達にスポットライトが当たり表紙と誌面を飾るーでは、連続でノミネートされるも、落選。すると、選ばれたフレッシュマン達の顔を全部Keyに変えたXXlの表紙をポストしたり。かっこいいものと、笑えるユーモアを常にバランスよく両立させる才能がKeyにはある。

 KeyとOG Maco、その後日談。OG Macoと、Twitter(現X)で再度ビーフが発生し、インタビューの日に至っていた。が、先のReebokのブロックパーティーでも”Street Fighter”をパフォームしていたので、もしかしたら、和解してるかもしれない。改めて、二人の仲を尋ねる。「そもそも、俺はビーフなんか、ないっちゅうねん。あいつとの関係?普通やで、普通。でも、俺からは、話しかけへんかもな。知らん奴やから」ーいやいや、仲悪いやんw でも、こういうクスッと笑えるユーモアに落とせるところが、やっぱりKeyらしい。

”俺には俺のチャンスがある”

 それにしても、Two9のメジャー契約といい、そして再生回数が4000万越えの”U guessed it “のMV出演キャンセルといい、明らかに、大きなチャンス(機会)を逃したのではないか?OG Macoや、Trinidad James , Rich homie Quanなどの新世代がNew Atlanta と呼ばれ、注目されていた時代。Keyも、これらのチャンスをうまく活かせば、同世代のラッパーらと名前を連ねていたはずだ。「(たとえ、MVに出演していたとしても)Macoは、俺のチャンスをつくられへんかったわ、俺がMacoのチャンスをつくったんやからな。Two9脱退にしても、俺には俺自身の別の機会があるから、後悔も何もないねん。みんな俺のこと知ってるし、メジャーも俺の音楽をわかってる。メジャーになりたいんやったら、とっくに、自分の好きなレーベルとサインしてるって。でも、メジャー契約金以上の金は、もう稼いだから、意味ないねん。自分の金は、自分で稼ぐ。それに、縛られたり、操作されたくないしな。俺のタイミングで、ツアーに出たり、スケジュール組んだり、もしラップやめたくなったら、いつでもやめれるし、カムバックも自由。制限もないしな」
 Keyの言う通り、NYのAsap Mobからも一目おかれ、彼らのデビューアルバム、そしてセカンドアルバムにも参加している。そして、こんなエピソードもある。Wiz Khalifaと、当時の恋人Amber Roseの2人が、Keyにラブコールを送り続け、Taylor Gang に迎えようとした。が、首を縦にふらないKeyに業を煮やしたWizは、ヒップホップ界のソーシャライト、Ian ConnorをATLに飛ばしてまで、説得にかかったが、結果は同じだった。
  このインタビューの最後に、2016 年当時の近況を聞いてみた。「OPB(OuttaPocketBoyz)には、俺の血のつながった弟Manman Savage、21Savageなどが所属している俺のレーベルなんやけど、今は、俺自身あんまり携わってないねん。この2人も、それぞれハードに動いてる。俺も、俺というブランドを強化したいねん。無駄な金の使い方は、したくないし、金がない会社をもってたって、意味ないやろ?それに、今年中にリリース予定のアルバム” Scream Dream”に集中したいしな」。Keyと21Savageは同じ高校だったらしく、ラップを始めた21がKeyを頼ってリンクしたのだった。そして、21はKeyのレーベルに所属することになった。Keyのことやから、契約書類も契約事項も何もなかったことは想像に難くない。さらにKeyが21にMetro Booming を紹介したことで、21の名前は、メジャーへと大きく動き出す。二人の名作””Savage Mood”がリリースされたのは、折しも、このインタビューを行った1週間前だった。

Key!とドラッグと日本からの来客

 日本のトッププロデューサーLil Yukichiがアトランタに修行に来たのが2019年。NYやLAをすっ飛ばしてATLに来るくらいなので、ATLは勿論、サウス事情には、異常に詳しい。現場で付け焼き刃的に吸収してきた私なんかよりも遥かに精通している。よって、Keyがアングラシーンの帝王であることも、把握していて、なんとかリンクしたいとのことだった。連絡を取るが相変わらず、つかまらない。Keyが現れそうなスポットを何日もかけてまわり、ついに遭遇できた。
 そこは、ブルーハウスと呼ばれる知る人ぞ知る、アフターアワーのスポットで、コカインなどハードドラッグ常習者の溜まり場だった。クラブやバーが立ち並ぶEdge Woodのメインストリートから、奥に入った古い一軒家。そのメインストリートですら、何年も放置されているテナントが点在していて、浮浪者も多く治安が良いとはいえない地域。Keyは、ポーチの奥に座っていた。目がバキバキで明らかにおかしかった。話しかけると、いきなり私の腕を引っ張り「お前、ちょっとそこに立ってろ」という。私を盾にし、みんなから見えないところで、ウィードを巻き始めた。無造作に突っ込まれた銃が見えているサコッシュから、白い粉を取り出し、その上にふりかけた。俗にいうレースというやつで、ウィードと一緒に、コカインなどを混ぜてジョイントにする。
 アトランタがあるジョージア州では、少量の所持は刑が軽くなったとはいえ、マリファナは違法だ。では、なぜ、警察官が派遣されているクラブでも公に吸えてしまうのか。それは、警察官が薬物所持目当ての任務ではないから。なので、普通に大麻天国と勘違いしてしまう人もいると思うが、ハイな状態での運転は完全にアウト。運転手だけでなく、車内で使用した形跡があれば、同乗者全員が麻薬所持で逮捕される可能性が高い。また、その他ハード系のドラッグは、少量の所持でも重罪になる。
 話はそれたが、そんなバキバキのKeyとまともに話ができるわけもなく、ゆきっちゃんは、ATLを後にした。とはいえ、Keyの弟分でもあり2Chainzが所属するStreet Execsの若手bear とも曲ができたし、何より、この街の独特なエネルギーにヤラれたと思う。そして、私にとっては、10年以上前の伏線を回収することになった。2007年当時、ヒップホップカルチャー雑誌Custom Lowriding (略してカスロー)に寄稿していたため、送られてきた見本誌に毎月さっと目を通していた。そこに紹介されていたあるグループ。それこそATLレペゼン、喧嘩上等ソングでお馴染みの(当時の)Crime MobにLil Jonを混ぜたような出立ち。ドレッドロックスにブレイズ、グリル、ブリンブリンなチェーン、、、、そのあまりにの強烈さゆえに、ビジュアルだけが印象に残っていた。ゆきっちゃんなら、このグループ知ってるかも、と尋ねたところ、「それ俺!」となったのだった。さらに衝撃だったのは、そのグループに、あのDJ Fuji Trillがいたこと。2人とも、黒歴史の如く、そこには一切触れないので、あえてここで書いておくことにした。

豪快すぎるKey!

 インターネットの普及とともに、雑誌業界が不振となり、最後のヒップホップ雑誌Woofinも休刊となって、5年が経っていた。ある時、日本の雑誌のインタビューや取材に時間を割いてくれたにも関わらず、希望者ー大方はアートやファッションに興味があり日本好きな人ーにしか掲載誌を渡していなかったことに気づいた。もともとメディア露出に興味がないKeyが、掲載誌など気にするはずもなく、ただ時が流れていた。突然思い立った私は、該当するウーフィンを車に積んでおいて、いつKeyと会ってもいいようにスタンバっていた。
 「昔、インタビューした時の雑誌を渡すから、ちょっと待ってて」と、Bonfireに来たKeyを呼び止める。駐車場に雑誌を取りに行ってる隙に、案の定、Keyの姿は消えていた。通常運転。何週間後かにも、Keyが顔を出した。ダッシュで雑誌をとりにいき、Keyに掲載ページを見せた。見たことのないような満面の笑みを浮かべる。自分のページに目を落とした後、「見てみ~、これ」と周りにいた連れに、見せてまわる。そして唐突に、ビリビリ自分のところだけを破って、雑誌を突き返してきた。そして、破ったページを荒く2つにおって、無造作にポケットにしまった。自分のとこだけ破って、突き返してくる人おる?呆然としている私に「ありがとう、ほんまありがとうな。 I Love you !」といつになく、がっつりハグしてくれた。ポケットに入れたまま、そのまま忘れて洗濯するであろうことも容易に想像できたが、それでも、メディアに興味がなかったKeyがあんなに喜んでくれた。そして、感謝してくれた、それだけで十分だった。


2022年12月 Bonfireにて

Rehabードラッグからの更生

 Keyのインスタは、定期的に全消去されるので、活動状況や過去など把握しづらい。Xでもなんとなくキャッチアップができる程度。でも、確かなのは、昔も今も変わらず、いつも通り、若手達とリンクしハードワーク(音楽制作に関し)しているということだ。昨年行われた、KeyやTwo9らの古くからの友達、Original FaniーバンダナでATLシーンのアングラファッションシーンを底上げしたーのお店で行われたアップカマーTia Corine のポップアップ。クローズ時間をすぎた頃、Keyがフラっと一人で現れた。まずは、主役であるTiaを見つけ、ハグしに行く。Tiaも「Key! 来てくれたん!」と言って、かなり嬉しそうだった。Tiaは、ノースキャロライナ州ベースのアップカマーで、日本人の血を引いている。後輩のポップアップにもちゃんと顔を出し、サポートするKeyの面倒見の良さと、そのネットワークの広さを改めて痛感する。その時、”今、Rehabードラッグ更生施設に行ってんねん”と、私の目をしっかり見て、自慢げに話してくれた。顔色も良くメンタル面でも安定しているようだった。

 先日、久しぶりにkeyと偶然会った。Mike Will Made Itの新しいスタジオを見学させてもらっている時に、ちょうどOriginal Faniと一緒にやってきたのだ。KeyのRehab宣言から、1年以上経っていた。誰であろうとRehabを宣言すると、称賛が集まる。現役のドラッグユーザーでさえ、「お前、やるな」「誇りに思う」など、応援してくれる。もしかしたら、大半の人は、本当はやめたいけど精神的にも肉体的にもやめれない状況にあるのかもしれない。それは医療用が認められているマリファナでもそうで、ハード系のドラッグとなれば、尚更だ。Keyや私の周りでもハード系のオーバードーズで命を落とした人は少なくない。オーバードーズというと、窃取過多だと思われがちだが、ストリートでは、ドラッグに不純物が混じってるケースとみなされていて、だからこそ、知らないディーラーや他人からドラッグを譲り受けるのはタブーとされている。そんなわけでKeyのRehabは、素直にめちゃくちゃ嬉しかったし、「今でもクリーンなん?」と咄嗟に口をついた。Keyは目を泳がせて「多少はな」とそっけない返事をして、すぐに背を向けた。嫌なことを聞いてしまったようだった。


愛と葛藤と

「めちゃくちゃハイで、アホやったw。俺が俺が、って前に出過ぎて、Mike Will (Made it)にも、落ち着け、って怒られた。メジャーとのサインも断り続けてた。でも、今になって、サインしとけばよかったと思ってる。若手はよう考えてほしい。それに、あの頃、周りにいる奴らも全員嫌いでたまらんかった。謝るわ、ごめんw」。
 Rehab後、Keyはあるポッドキャスト番組に出演し、ウーフィンインタビュー前後の自身の20代の頃を振り返っていた。いつかの”俺はハリウッドになってやる”を思い出した。建前と本音。自分の中にある様々な葛藤と常に闘いながら、20代を、そしてATLシーンを駆け抜けてきたことを知る。

 Keyの初めての子供、長男は生まれる直前に亡くなっている。へその緒が首に巻き付いてしまったのだ。Keyが19歳の時。顔面に彫られた”Blake"というTattooは、その赤ちゃんの名前だ。その7年後(ウーフィンインタビューの翌年)にリリースされた”Grown Key “には、終わりのない悲しみと痛みが綴られている。長男が亡くなった翌年、次男を授かるが、フェアーではないという思いを抱きながら、父親として子供と接する苦悩。その悲しみは、母を亡くした時よりも深く、決して消えないことを悟る。ドラッグをポップし、何事もなかったようにハスリンしている自分に「俺は乗り越えていくんや、大人になったんや」と言い聞かせてるようなタイトルとフック。私がみてきた黒人コミュニティーには、自分の身に起きた悲劇の詳細を他人に話さない、そして、他人が立ち入って聞くのも遠慮するという習慣が存在する。自ら長男の死について触れたのは、この曲のみで、後にも先にも、Key自身自ら語ることはないだろう。
 Key自身、自ら語らないことが他にもある。自身の楽曲や功績だ。「みんな俺のフローを真似してんねん」といいながらも、集まってくるアップカマー達をサポートし、メジャーへ送り出してきた。だが、その見返りを求めることも、自慢することもない。アングラ帝王は、今日もアトランタのどこかのスタジオで、葛藤しつつも純粋な人間愛と音楽愛で、若手達やローカル民とリンクし、曲を作っている。完成した楽曲は、Keyの気分によって、今まで通りSoundCloudにアップされるだろう。Keyという男の生き様である。


S.O to the most beautiful man in the world - Post Malone
この世で、最も心が綺麗なヤツーKeyに感謝を捧げるーポスト・マローン



Tia Corine Pop-upイベントの様子


Mike Will Made it  ニュースタジオ見学


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