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私自身のトラウマ(心の傷)の話 - 母との関係や育った環境から

こんにちは。

養生デザイン/ ねむりのサロンBlue Moonの青木優加です。

重めなタイトルなのに投稿に足を踏み入れていただきありがとうございます。

ココロケアプログラムをはじめるにあたり、実際に私自身が感情を置きざりにして育ってきたことや、それに気づくまでをお話ししていきたいなと思っています。

今回はその初めの一歩。

生い立ちというよりも幼い頃にできていたトラウマ(心の傷)について綴っていきたいと思います。

ちょっと悲観的な内容も含みますので、今心がすごくしんどい辛いと感じている方は、スルーしてくださるか。

またはお天気の良い日の日中に読んでいただけますと幸いです。

それから、本文中には母のことを悪く思っている印象の文が続きますが。

現在は「母のことを愛している私」を感じることが出来ていますし、私を生んで大切に育ててくれたことにとても感謝しています。

そう思えるまでにとても長い時間がかかりましたが

気づけたこと、感じられたからこそ書けるnoteであり

そんな私だから出来るココロのケアにしたいな…という気持ちで綴りました。

よかったらおつきあいくださいね。


生まれてきてごめん、とずっと思っていたあの頃

突然ですが、私の両親は共働きで幼い頃は日中は祖父母の家で過ごしました。

今あるサロンは、祖父母の家。

私がその頃過ごした家でもあります。

そう。

住んでいたと言うより過ごした家。

私の両親と父方の祖父母は最初は同居していたようですが、どうやら折り合いが良くなかったようで幼い頃に核家族で違うアパートに移ったそう。

記憶はありませんが2度ほど引っ越しをしているようです。

ただ、小中学校は祖父母の家から通いました。

正しくは朝、父に祖父母宅まで送ってもらい
夕方仕事帰りに祖父母の家に迎えにきてもらっていました。

登校前と放課後は祖父母の家で過ごし、友達と遊んだり宿題をしたりして父の迎えを待つ生活でした。

私はいわゆるおじいちゃん、おばあちゃん子で

幼い頃の記憶は祖父母との思い出の方が鮮明に残っているような気がします。

母親は地方公務員でフルタイム勤務。

さらに母方の祖母の看護や介護もあり、常にピリピリしているように感じていました。

思い返せば、母の愚痴や辛い気持ちをずっとシャワーのように浴びて育った記憶があります。

楽しい記憶もたくさんあったはずなのに、それに勝る量とエネルギーの

心地よくない言葉のおかげで、正直なところ思い出すことがとても難しいです。

頑張って思い出して、なんとか思い出す、、といった具合。

本当は楽しい記憶をデフォルトで思い出して、悲しい記憶は思い出すのが難しいことの方が理想なんですけどね。

まだそこまでには至れていません。

当時聞いていたのは、父、祖母、祖父、親戚などに対する愚痴。

身体や心の辛さ。

それに伴う仕事の苦労話。

聞くことが当たり前というか、それが私にとっての普通の環境だったので

当時はこんなものだと思うようにしていましたが

あの頃の私の心を代弁するなら

「私にとって大切で、大好きな人たちの悪口は

聞いていてとても辛かったなぁ。」です

それを誰かに聞いてもらうことも出来なかったし、吐き出すことも考えられなかったなと今となっては分かります。

祖母の母への愚痴も聞いていたし、私はずっと家族内のそれぞれへの愚痴を聞く役割をしていました。

もちろん母には

身体がしんどいなら手伝うよと言葉をかけたりしてはいたのですが

母は全部自分でやらないと気が済まない人。

私がお手伝いだと思ってやったことは

ほぼ全て手直しが入り

それなのに

「あなたは何もやってくれない。」と言われ

さらに尻拭いばかりでやることが増える

とも言われ続けていました。

そんなこんなで

自分のすることは母親の邪魔にしかならない

自分はいない方が良い存在

と思うようになりました。

実際「あなたが生まれていなければ」と言うフレーズは

何度も聞いた記憶があります。

ごめんね、生まれてきて

産んでくれなんて頼んでないよ

がずっと交錯した状態でした。

ただ

肩もみやマッサージは喜んでもらえたので

その頃からできる限り喜んで欲しくてツボ押しやセルフケアを独学で学びました。

ここを押すと気持ちよさそうだな

ここが凝っているな

は幼少の頃から得ていた感覚です。

唯一喜んでもらえたことで特技だと思っていたので、本気で鍼灸・あん摩の学校に進学したいと伝えましたが

叱られてあっさりダメ出しされたのもついでに思い出しました。

私は母が好きなのかな?・・家族への愛という言葉が分からない

そんな背景から、母のことは好きなはずなのに、だんだん自分の気持ちがわからなくなってきました。

正直なところ母のことが好きだと思ったことはなかったかも知れない。

また父は好きでしたが、母を困らせているのは父だと思っていたので

私の抱く父への気持ちの正体も分からずにいました。

母の日のプレゼントやお母さんの誕生日には周りの子はこぞって

「おかあさん、だいすき!」

のようなフレーズを書き込んでいて

真剣に「みんな本心で書いてるのかな?」と思う黒い私がいました

私自身は母親、父親は好きでないといけない

という思いから、なんとか好きだと思いたかったのかも知れません。

お気づきかと思いますが、こんなことを考えている時点で既に

自分の感情と気持ち、頭の中はバラバラです。

そして、お互いにそれは違うよと否定しあっている状態なので

自分の中で折り合いがつかなくなっていたように思います。

だってどれも受け止めようがないし

どれかを受け止めてしまったら

残りは受け止められなくなってしまう。

そうなれば自分の中でなんとか保っているバランスが保てなくなってしまう。

無意識に感じること信じることを放棄するようになっていました。

きっとなんとか身体の恒常性を保とうとしていたんだろうなって今なら思えます。

(今の私に、あの頃会いたかったよ)

余談になりますが、思春期を迎えたあたりから持病のアトピー性皮膚炎が悪化。

自家中毒症(アセトン血性嘔吐症)にもなりました。

もの分かりがよい子、母親の言う事を聞く子(=都合の良い子)を演じる技を身につける

そんな子どもだったので

誰の言葉を、誰のことを信じて良いのか分からなくなりました。

勉強だけは、やった分だけ成績や点数、順位という評価で
分かりやすく反映されるのが救いで。

競争心は全くなかったけれど、追われる恐怖感に苛まれて勉強するより他が無くなってしまいました。

当時はガリ勉という言葉がありましたが

本当にずっと勉強してたと思うし、勉強のことを考えない時間がなかった気がします。

今は勉強することがとても楽しいけれど

当時は楽しくてやる、というよりもやらなければまた価値のない私になってしまうという

不安とも恐怖とも違うけど似ているような感覚。

それがまたさらに次なるストレスを生み出していました。

その頃同時に、私が得た技は正解をそれぞれの人から聞きだすこと。

どうせやっても怒られるか受け止められないなら

最初から正解を聞けば良い、となり。

もう答えがあると言われるものがあることに関しては思考停止で過ごしました。

だって体も心も持たないもの。

案の定、そうやって過ごすととても頭の良いものわかりの良い子が出来上がります。

でもそれはものわかりが良いのではなく、ただの都合の良い子です。

よく親になった人から聞く言葉

「あの子はいうことを聞かない」
「子供がいう事を聞かない」

は私の中では当然だろっていつも心の中で反発がありました。

むしろ言うことを聞かなくて良い子は幸せだと思うし

あなたの子どもはあなたの言うことを聞くために生まれてきて生きてるのではないよって。

言葉にはしませんでしたが、ママ友やPTAの集まりで聞くそれらの言葉に

なぜか私自身がすごく傷ついて帰ってきていました。

子どもらしさはフタしていたけれど、その中で救いだったもの

唯一、私が私自身を助けてくれたのは

例え誰かが誰かの事を悪く言ったとしても

私の中でのその誰かの基準は変わらなかった事です。

例えば母が祖母の事を悪く言ったとしても

この部分はダメかも知れないけど、ここは好き

・私はこの人のここが良いなと思うけど、他の人はここが嫌だと思うんだな

と家族であっても、誰かに肩入れする事なく

とてもフラットに一人ひとりを見ていられました。

(まぁ、逆に言えば母にとっては味方にはならない私がまたもどかしかったと思いますが)

その頃から

価値観の違いや捉え方の違い

多方面から物事を見ること

片側だけの話を聞いて判断しないこと

を実体験から学んでいたように思います。

後に学ぶことになる陰陽が見事に繋がり、感動したのはそんなベースがあったからかも。

また、私の漢方の入り口はこんな私自身の身体の不調の原因をなんとか知りたいという気持ちから。

実際今は、あの時こうだったんだなと思い巡らせることができるので

それは本当にこれまでの経験できたことが貴重で唯一無二の財産だと思っています。

経験を与えてくれた両親にや家族に、感謝できたことのひとつです。

40年ほど飛びますが、現在の私

本当は2回ほどに分けようかと思ったのですが、ここまで一気に綴ることにしました。

お聞き苦しく長い私の過去を読んでくださって、ありがとうございます。

冒頭にも書きましたが

現在は好きと愛情は少し違うこと

私は母のことは好きでは無かったけど愛してはいたこと

に気づけている自分がいます。

今は母のことは好きですし、愛してもいます。

そして素直に私を生んで大切に育ててくれたことにとても感謝しています

そう思えるまでに、本当にとても長い時間と周り道をしたし

許す、許さないなど何か違う領域にも入り込んでしまい

随分とこじれましたが。

それでも、こうして今は穏やかな気持ちで過去を振り返ることができています。

養生デザイン/ねむりのサロンのココロケアは

そんな私だから出来るココロのケアにしたいな…という気持ちでいます。

だからこそまずは私自身の心の傷について綴ってみました。

比べることはあまり意味がないと思っているのであえて比較はしませんが

私のように親御さんとの関係性や、過去についてしまった心の傷がある方

それによって今も苦しい気持ちを持たれている方が

あ、こんな人もいるんだなと思っていただけたら幸いです。

同情をしてほしいわけではなく。

もうこうしてネタにできるくらいに回復しています、をお伝えしたかったのです。

気づくことで、自分の自分への誤解が解け(自分認識のバグだと思っています)

新しい自分、本来なりたい自分に軌道修正していくことはできると思っています。

今日は思春期に至るまでのことをお話ししましたが、私の旅はこれからまだ続きます。

また次の機会にもお付き合いいただけましたら幸いです。






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