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「言葉の影、またはアレルヤ」について(前半)


I.

1970年の今日、5月12日はパリ郊外のある墓地でツェランの葬儀があった日です。 日付というものは、そのように記録し記憶されなくてはならないと私は思います。 そして「言葉の影、またはアレルヤ」におけるそれ、「子午線」における1月20日に相当する 日付、私達の「1月20日」は、5月24日なのでしょう。(自己の出会うすべてに対して 払おうとする心遣い、すべての日付を記憶しようとする集中力は、更に「子午線」の中に、 偶然にも、もう一つの5月24日が書き留められていることに気付くでしょう。まさにドキュメントの 引用というかたちをとって。"(...) In Nacht vom 23. auf den 24. Mai 1792 wurde Lenz entseelt in einer der Straßen Moskaus aufgefunden. (...)", (Celan, Gesammelte Werke in 7 Bänden, Suhrkamp, Band III, S.194) )


また、ツェランとはパウル・アンチェルとは別の名前であり、一方ではその名によって自らを 秘匿しつつ、しかしその名前において書くことで、自らの最も奥底の声を曝すためのもの であることに改めて気付かされます。「ツェラン」という名で語る者はそもそも「この世」、 「世の成り行き」(Weltlauf)の中に場所を持っていたのでしょうか?だけれども、「ツェラン」の 名の下において以外に、声を発する術はなかった。「ことばが有声となる途」もなかった。 「ツェラン」という名もまた、或る種の装置であり、回り道だけれども、それは必要だったのです。

別の名は、少年A(この名は更にこれ自体、また別の仕方で与えられたものですが)の 問題でもあり、昇天少年の問題でもあり、「フォルマント兄弟」の問題でもあり、私「よじべえ」の 問題でもあります。この玉石混淆に眉を顰められても仕方ないと私は感じていますが、それはこの問題が 価値の多寡による問題ではなく、基礎存在論的な地平に由来するものと私が考えているからです。


「言葉の影、またはアレルヤ」のことが特別に私の中でひっかかったままで いることはずっと気付いていたことですが、それを書きとめておく衝動に突然駆られて、 こうして書いています。3.11.という日付の敷居を越えてしまった今、もしかしたらそれは最早 作曲者の三輪さんの関心からは外れているのでは、とも思いますし、三輪さんの中では 済んでしまった問題なのかも知れません。

ただし作曲者の三輪さんも2010年冬号の「洪水」誌で掲載された往復書簡でこの作品に 言及されていて、そこで「亡霊」について、「はい」と外にむけて応えることの切実さに ついて語っています。その言葉は近年のフォルマント兄弟名義の三輪さんの活動、とりわけ 「フレディーの墓」や「お化け屋敷」の系列で探求されている(しかも私にはそれが必ずしも 十分成功しているとは思えないことや、感じる疑念について別のところに書いていますが)主題系に 繋がっているように私には見えます。一方、そうした主題系は私にとってずっと切実な問題であり 続けているし、そのことは3.11後も変わっていません。


昨年の夏に、別の文章の副産物として成立した「フレディーの墓に辿り着けない国籍なき少年の「言葉の影」」は 直接「言葉の影、またはアレルヤ」自体を対象としたものではありませんが、そこでもそのように 注記したとおり、「言葉の影、またはアレルヤ」のことが念頭にありましたし、その中で、 吉岡さんの文章に突如として出現した「ゴッホの耳」の、その扱われ方に対する 強い違和を唱えたときにも、やはり「言葉の影、またはアレルヤ」のことを考えていました。

ツェランの詩の中にもゴッホの耳について言及したものがあって、それをこの一週間の うちにまた読み返しました。当然、上記の文章の当該部分を書いたときにも、 以下のツェランの詩をも思い浮かべながら書いていました。(このMächte, Gewalten.は またもや「世の成り行き」(Weltlauf)のそれ、それを構成する成員にさえ制御できず、構成する 成員自身に降りかかるそれで「も」あるでしょう。仮に、一般的なこの詩の解釈においては もっと直接的に、ツェランの個人的な状況、ゴッホと共通の状況を直接指し示していると解釈されるとしても。)


MÄCHTE, GEWALTEN.

Dahinter, im Bambus:
bellende Lepra, symphonisch.

Vincents verschenktes
Ohr
ist am Ziel.

(Celan, Gesammelte Werke in 7 Bänden, Suhrkamp, Band II, S.209)

ツェランもまた、あれ程に傷つき、病みながらも、彼の「メディア」、ただしここでは それ無しには彼自身の、個別の彼としての存在が不可能になるという 極限的な意味合いでのそれである「詩」が、モノローグではなく、対話であること、 神ならぬ「誰でもないもの」との対話であること、また彼にとって詩とは「投壜通信」 であることを確信していました。

彼は最早「幽霊」としてしか存在することを許されない死者である「誰でもないもの」たちの 「媒体=霊媒=メディア」として、やはり、生きながらも「幽霊」としてしか存在することを 許されない私のような「誰でもないもの」に向けて/のために、詩が必要であると信じ、 最後まで詩を書き続けたのだと思います。己を死者達の側に引き渡すまで。 彼の詩は、ある意味で「誰でもないもの」の語りだけれど、それを詩にもたらし、 「誰でもないもの」に名前と日付を与えることができたのは、そしてそれを極東の異言語を 母語とする私のような人間が(いわば「無国籍的」な仕方でしかゆるされていないのですが) 共有することができたのは、彼の詩によってなのです。
ツェランの訳者で研究者でもある飯吉さんは、「神への信仰」から「詩への信念」への 移行という捉え方をされていますが、それには強い違和を感じます。 同様に、飯吉さんとは異なって、私は「誰でもないものの薔薇」以降の彼の詩が自由を喪い、 窮屈になった挙句、悪結果をもたらしたとも思いません。私は詩の何たるかが わからないので、詩として技術的な出来、芸術的な完成度については良くわかりませんが、 窮屈と評価され、悪結果と言われる作品の方が、私にとっては心に響き、かけがえ のないものに感じられます。
ツェランは「子午線」でそう述べるように、一方で芸術を「機械仕掛けの自動人形」として規定し、 それをはみ出していく衝動を擁護する点において、彼にとって芸術は「手段」に他ならない。 だけれども他方で、そうしたいわば「テクネー」としての「芸術」と「詩」とを単純に対比させれば事足りるとは 決して考えていなかったことも確かで、手段、通り道としてであれ、その媒介なしに済まされることはなく、 だから彼にとって「ことば」は信仰の対象の代替などではないし、彼は「ことば」の無力をどこかで 感じていただろうし、だけれども、にも関わらず、そういう「ことば」によってしか可能でないことがあること、 如何にそれが困難であろうとも、それに縋るしかないことに気付いていたと思います。

そして私にはそうした衝動に忠実に、ツェランの詩はますます力を強めていったように感じています。 そういう読み方が詩の読み方として正しいかどうかはわからないけれど、私には ツェランの詩によって私に伝えられる何かが他人事とは思えない。まるで自分の死後も 私のような惨めな存在がいて、誰かが「声を与え」、誰かが名前を、日付を与えて くれることを求めていることを予想して、自分のために、自分に代わって語ってくれている ようにさえ感じられます。

客観的に見れば彼の苦しみの原因も質も、私のそれと同じである筈はないし、 共感など幻想だといわれてしまえばそれまでですが、他人から見れば馬鹿げていても、 私は彼の気持ちが、詩を書かずにはいられない衝動が自分にもわかると思いたい。 自分もそれを共有し、与っていると思えなければ、耐えられないと感じています。 ナンセンスであっても、時間を遡及して届くことなどあり得なくても、「はい、私はここにいて あなたの投壜通信を拾いました。そのことをあなたに返答します」という言葉が彼に 届かないとしたら、何を拠り所にしたらよいのかわからない。


もうおわかりと思いますが、そして作曲者の三輪さんが同意して下さるかどうかの方については 私は自信がありませんが、三輪さんの活動とその結果として生み出される作品もまた、 そうした存在なのです。それに応答することによって、自分がかろうじて存在意義を 見出せるような存在なのです。
そして三輪さんが、「言葉の影、またはアレルヤ」について書かれている文章もまた、 そうした私の感じ方を裏付けてくれているように私は(勝手に)感じています。 「持ち主のいない声」は、言葉を持つことのできない人間のための、つまるところ 常に・既に「幽霊的」にしか存在することが許されない人間、誰にも呼びかけられず、 応答することもできない人間のための「声」の代理なのだと感じています。 (「代理」。でも、幽霊にとっては代理以外の声は、端的にないのです。 装置を通じてしか、私の声は有声にならないし、どこにも届かない。仮に装置が いかがわしく、歪みから自由ではなく、信頼のおけるものでないとしても、それの介在により 例えば剽窃や贋作の、あるいはあろうことか、コミュニケーションの拒絶の嫌疑を受けようと、 独創性の欠如や解釈の困難さについての非難を受けようと、そのようにしか声を 発することはできないのです。)

その一方で、「言葉の影、またはアレルヤ」が「ノンフィクション作曲」であるとも 三輪さんは書かれています。また、バタイユの「ハレルヤ」が「ぴったりだ」とも おっしゃっています。私は(今もどこかで生きている)少年Aについてそんなに多くを 知っているわけではないですが、彼との距離感を測ることはうまくできない。 ツェランもまた病んだ人間だったけれど、少年Aにはそれとも異なった、全く異質な 何かを感じるのです。また、バタイユの言葉が垣間見させる風景は、こちらもまた、 私を囲繞する風景とは随分異なったものに感じられます。

それはもしかしたら「新しい時代」の系列の作品に対して私が感じる異質感と どこかで通じているのかも知れません。でも私には、率直な言い方をさせて いただければ、そこにおいては、三輪さんの作品自体と三輪さんの作品の文脈として 与えられたものがきれいに重なって像を結んでいないように感じられるのです。

わずかでも誤解される可能性を排除すべく急いでお断りしますが、これは 三輪さんへの、あるいは三輪さんの作品へのプロテストや疑念ではありません。 寧ろ私は、そうした異質感を抱く原因を自分なりに突き止めたいだけなのです。


例えば「言葉の影、またはアレルヤ」に関連して言えば、少年Aが書いたとされる 「懲役13年」という文章が伝わっていますが、この文章から受ける印象は、 上述の違和感を解消するような性質のものと感じています。「懲役13年」の 末尾には、ダンテの「神曲」の冒頭が引かれていますが、実は私も 「身辺雑記、あるいは「はじめに」の余白に」というタイトルの文章の冒頭に掲げて、 文章を綴ったことがあります(現時点では「身辺雑記」と改題し、5つに分割した形態で、マーラーに関するブログの中に収めています。) そして私は「懲役13年」の内容についてなら、気質や性格や環境のちょっとした 違いによって、距離感を測ることすら困難な隔たりができてしまっただけなのでは、 という印象をも持っているのです。三輪さんの作品と、「懲役13年」が唯一の接点、 辛うじて存在している隘路のように思えています。

そしてまた他方で、私がこれまで三輪さんのある種の作品に対して抱いてきた違和感は、 実は自分の性格なり気質なりの檻に囚われているが故なのでは、という気も しています。「言葉の影、またはアレルヤ」の上演に立ち会ったことはなく、私は 専ら録音の記録のみで接しているだけですが、この作品に関する違和感は ある意味では非常に特殊で、そこで参照されているAのテキストとバタイユの テキストがのみが、それらを参照していることのみが違和感の原因になっているように 感じているのです。(ちなみに「懲役13年」には偽作説があるようですが、私は 半ばそれを信じたい気持ちですらあります。)

私には「言葉の影、またはアレルヤ」という作品が、少年Aの 「夜空を見るたび思い出すがいい」というたった一つの言葉から出発して、 直ちにそこを離れたものであると、A.とよばれた者の、でも別の名の署名がなされた テキストを出発点にとりながら、寧ろそれは直ちに、寧ろ別の偽名が署名された テキストで語られた不気味なもの、疎ましいもの、メドゥーサの首や自動機械への道のり によりそうものであるように感じられます。勿論それらは全く別のものではないでしょう。 (ほんの一例に過ぎませんが、例えば、こんなに異なる風景にも関わらず、そのいずれにも、 全く異なる仕方であっても「薔薇」の形象が出てきてしまうのは果たして偶然なのか、 問うことはできるでしょう。) だけれども、私もまた、「夜空を見るたび思い出すがいい」と繰り返し呟く類の存在で あったとしてもなお、その夜空に見える星座は異なったものであると感じています。 私は、それが強引な文脈の換骨奪胎であるという謗りを受けたとしても、 別の星座の下で、私にとって親しいそれらの下で壜を拾い上げるしかない。私の住まう岸辺は そうした場所なのです。
その風景の違いの由来を正確に言い当てることが 私にはまだできないし、そうする時間がもう私には残されていないかも知れません。 けれども、それがどこか決定的に違うのだということ、私はそれを、あの、気付かない人には わからない或る種の雰囲気を感じ取る、本能的な勘によって感じ取っているのだということ、 一見共通した形象が観察できても、背後にある動力学は異質のものであり、単なる初期値の 違いに対する敏感さに由来するというだけでないのですが、いずれにせよその軌道は 異なった方向に向かっているだろうということを、ここに書きとめておきたい。

かくして私は予感から、幾つかの手がかりを、大急ぎで、根拠も示さずに、必ずや存在する適切な 連関に基づくことなく提示するよりほかありません。例えばそれは、己の有限性の自覚に基づき、 閉ざされた自己の内部に捏造されたのではない、外なる「あなた」への途、むすびつけるもの、 出会いへと導くものの探求を志向するかどうか、あるいはモノローグではなく、対話を本質的と 考えるかどうか、惨めな生き物としての絶望の裡にあって、それでも「声を与える」ことを、 投壜通信を希求するか、途上にあり、何かを目指すものという自覚をもっているか、言い換えれば (そう、これらは見かけがそうでないように思えたとしても単なる言い換えです) 「儀式」が、自身に対して超越的な他者に対する、自己自身の贈与たりえているか、 声なきもの、声を奪われたもの(それは人間であるとは限りません。否、それは人間という概念の 中に留まってはならないのです、そうであるからこそ)、言葉を持たぬものを己と同列のものと見做し、 それらの犠牲のもとに「奉納」が、「儀式」が行われることを拒絶する意志を備えているか、、、 等々といったものです。

そして私は自らも、価値の多寡はおいて、自ら語ることができるかという違いを超えて、三輪さんやツェランと 同じ星座の下にあることを幸いに感じているのです。声は未来に向かっても、過去に向かっても届きはしません。それは 全く異なる仕方でしか、時間を通り抜けることはできない。時間を飛び越えた通信はできないのです。 そしてそれが届いているのかを確かめる術もありません。応答が有効かを知る術もまた、ありません。 けれども私は応答をするし、しなくてはならないと感じるし、したいとも感じています。「あなた」を 間近に予感しながら。私に代わって語ってくれるもの、私に声を与えてくれるものの存在を予感しながら。 かつて別のところで、同じ予感に浸されつつ書き留めたことばをもう一度繰り返すことをお許しください。

わたしの中に潜んだあなたがた、わたしの中から時おりこみ上げ、立ち尽くすわたしを、だが、そうして支え生かしている、 それゆえに辛うじてわたしが生きている所以である「あなたがた」にとっては私は楽器なのだ。 沈黙の中、あるいは饒舌の支配するなか、私は「あなたがた」を担い、運び、溶け合わせ、響かせ、流れ出させる、 固有の方向づけをもって、永遠には辿り着かずとも、あたかもそれを希求するかのように、 時を通って、だれかのもとに届けられることを希って。私は「あなたがた」の記憶であり、私の歩み、 たどたどしく、覚束無い、時には蹲ることもある歩みのその方角、それは「あなたがた」の定める力学によっている。 声の複数性、複数の声の反響、共鳴の場である私は、「あなたがた」の示す方角に歩むほかない。 こうして語ること、ことばを紡ぐことは、別の部屋に住まう「あなたがた」が、まだ私という搬体を捨てず、 私のなかで結晶し、析出しようとすることの現象でなくてなんであろう。

私はそうした「あなたがた」の運動の痕跡、私が発したと思いなされたことばは「あなたがた」の軌跡、 「私の作品」は「あなたがた」の抜け殻に過ぎない。私という意識は、そうした空間を照らし出す照明に過ぎない。 擁護されるべきは意識そのものではなく、意識が照らし出すわたしではないのに、外からはわたしと見做されるところの、 だがむしろ「あなたがた」の相貌であるところの結晶の構造、結晶が形成される空間の地形そのものなのだろう。


私もまた(ある程度は自ら進んで選択して)声を奪われた身ですし、近年、 その度合いが益々増しているように感じます。 GW前には精神的な緊張がちょっと緩んだと思ったら、ストレスの亢進に 身体の方が参ってしまいました。幸い今年のGWの休みは長くて、 何とか恢復するだけの余裕がありましたが、この先、いつ「よじべえ」という 人格が活動を停止することを余儀なくされるのか、自分でもわからない状況です。 でもそうなる前に、この問題は自分なりに決着をつけておきたく感じていて、 このように書きとめた次第です。これもまた、如何に不完全で価値なきものであったと しても、一つの「山での対話」(Gespräche im Gebirg)の試みなのです。 小さなもの(Klein)から大きなもの(Groß)への呼びかけなのです。

そして最後にもう一編だけツェランの晩年の詩を引用するのをお許しください。 それらはどれもこれも自分にとって近しい言葉たちですが、その中でもあまりにも 直截に私の心の中に飛び込んだものを。原因となった状況をどうすることもなく、 ただ結果として病を獲たものの自己責任において治癒を強制し、それが ままならなければ排除するといった論理もまた、テクノロジーの発達の受益者でしょう。 ツェランの最後の飛躍は、そうした論理への反逆でもなかったかとさえ思えます。

DIE SPUR EINES BISSES im Nirgends.

Auch sie
mußt du bekämpfen,
von hier aus.

(Celan, Gesammelte Werke in 7 Bänden, Suhrkamp, Band II, S.117)

II.

8時間の時差を考慮したとしても、もうツェランの葬儀は終わったでしょうか。

今や私は、譬えて言えば、船がいつ沈むかわからない状態で、とにかく壜を投げてしまわないと、 永遠に通信の機会が喪われてしまうことを懼れているのだと自分で 感じています。それゆえもう少しだけ、一旦閉じた文章を補足しておきたいのです。


私は寝起き前後に「ひらめく」ことが非常に多く、それは浅くなった眠りの 中であるか、起きた直後か、自分の意識が届かない向こう側から、 それは到来します。私は極めて自然言語的・空間的な人間なので、 非常に多くの場合それは自然言語による命題のような形をとります。 たまに抽象的な空間がある形をとるとか、ある姿で見えるというような 形をとることもありますが。何かを意識的に必死で考えているような折に それはよく訪れます。逆にそうしたことが起きるとき、自分が必死なんだと 事後的にわかるのですが。例えば、プログラムのバグをとってもらったこともありますし、 そのひらめきで何度も状況を打開してもらった経験があります。

私の場合、それは人格的なものではないし、こちらから語りかけたり することはできず、受動的に受け取るだけ、いつ受け取れるかもわからない のですが、あまりにそれが多いのである程度は、それに自分を委ねるような スタンスをとるようになっています。逆にそうした「ひらめき」がない場合には、 自分はまだ必死でないのだと判断したりします。

これはしばしば記録されている、「夢のお告げ」と同じものなんだと思います。 それは私のような能力のない人間ですら、限定されたものであれば 起きることなのですが、おそらくそれを実現している基本的な仕組みは 物理的・生理学的基盤に基づく説明が必ずや可能なもので、 天才と呼ばれる人、ラマヌジャン、マクスウェル、ポワンカレ、同時代では 南部陽一郎博士(南部さんの場合は、数式が動くようですが、これは 南部さんの中では、数式の記号レベルでの操作が、普通の人間の言語の 操作並みの自然さで行われていることを告げているように思えます)と 基本的には変わらない。ラマヌジャンは定理が「証明」ぬきで彼の信仰する 女神様から告げられると言って、ハーディを困惑させたようですが、これは インド人の信仰体系による翻訳が行われているのと、彼のその「定理」の ひらめきのレベルが常軌を逸して、サヴァン並みのものであったからで、 そこに神秘的なものはない。ハーディにだって「ひらめき」はあったに違いないと 思います。

もっとも、世の中には「お告げ」をあてにしない天才もいるとは 思います。意識的な活動のレベルで常人では想像がつかない速度で 遠くまで辿り着くことのできる人間を私はわずかながら知っています。 だからハーディはこっちだったのかも知れません。(比較するのもおこがましいのは 百も承知の上で、能力が遥かに劣る私のような人間ですら、或る種のモデリングを するような場合のスピードに限って言えば、どうやら自分がそう思っている以上に 普通ではないらしく、時々顰蹙を買って傷つきます。 ヘーゲルの言う「世の成り行き」(Weltlauf)においてはそれは自分勝手だとか、 他人への配慮がないと怒られたりしますから。) でもその場合でもそうした 意識的な活動を支える、高度に「技能化」された回路ができているのは 同じだと思います。そうした回路が、意識が活発なときに働くのか、不活発な ときに働くのかの違いに過ぎない。もっとも、この両者における意識のあり方は 随分と違ったものだと思いますが。


なぜこんなことを書くかというと、一つには、今しがたもそうした「ひらめき」が 訪れて、昨日書いたことをもっと簡潔に言い表せることがわかったからでもあり、 こうした「ひらめき」が、対話の問題と、「言葉の影、またはアレルヤ」の問題と 密接に繋がってるからでもあります。
まずは前半からいきます。

例えば、スクリャービンが顰蹙をかったのは、彼が「神智学」やオカルト的な ものに凝ったからだとしたら、同じ志向がカトリック信仰の形をとるようなケース (例えばトゥルヌミールやメシアンの神秘主義)と実質はどれだけ異なるのだろうか、 という疑問があります。オウム真理教はなぜだめで、既成の仏教ならなぜいいのか。 同様に「言葉の影、またはアレルヤ」の文脈なら、少年Aの「バモイドオキ神」との 対話はなぜだめなのか、ということになります。私は「懲役13年」には別のものを 感じたと書きましたが、そこでも対話ではなくても自分の内部にある他者との 対立・葛藤はあります。両者はどういう点で異なるのか、私は説明を求められている と思います。(そして昨日の文章の後半において、或る仕方での説明を、過去に 書きとめた文章の自己参照などを通して試みたつもりです。)

その上で、「言葉の影、またはアレルヤ」は「バモイドオキ神」信仰の記録としての 「ノンフィクション作曲」なのだろうか、という問いが最も端的な問いの形であると いうことに気付いた、気付かされたのです。

私は「神秘主義」というのに対する警戒心を持っていて、「お告げ」や臨死体験の ようなものでも、自然主義的な脳の機能を基盤とした説明ができることを疑って いません。一方で現時点では説明のつかない現象があることも認めるべきです。 要するに問題は理解・説明の仕方であって、現象そのものではない。 バタイユはその点で両義的な存在に感じます。私は個人的には彼のもつ或る種の 雰囲気に生理的な嫌悪感を感じる一方で、彼の言っていることには、それを徹底的に 自然主義的に修正することを条件に、でも絶対に無視できないものがあるとも 思っています。

私自身、超越的なものへの志向、普通には宗教的なものへの傾向を強く持って いると思います。中学生のとき以来、でも私はそれをカントに倣って、理性の宿命と 考えたいと思い続けていますし、カントの「批判」のあり方は(それが実際には持っている 時代の制約は認めなくてはならないけど)規範であり続けています。

一方で、自分の「お告げ」だって「バモイドオキ神」信仰と変わりないのかも知れない という疑念はあります。けれども私は、何かが違うと感じています。 私の内なる声、誰でもないものの声もそうではないと言っている。 原理的に説明できるものなのかすらわかりませんが、そして間違っているかも知れませんが、 私は「言葉の影、またはアレルヤ」は「バモイドオキ神」信仰の記録ではない、 仮に発端はそうであったとしても、それとは違った何かに辿り着く経路を啓いていると 感じています。

あるいは「バモイドオキ神」信仰を、別のものに変える力を持っていると言うべきかも 知れない。三輪さんもそのことに気付かれていて、少年Aに、それもまたテクノロジーの 力に他ならないのですが、「声を与える」ことによって、少年Aを救済する可能性を ヴァーチャルに試行したのだというように感じているのです。ここではテクノロジーは 両義的なものです。でも三輪さんの言う「コンピュータ語族」である我々にとってはそれが「現実」 なのだと思います。

「言葉の影、またはアレルヤ」に、私は或る種の「救い主の危険」を感じます。 (これはアドルノがマーラーの第8交響曲を評して使った言葉です。そしてこの 評言に限ればアドルノの指摘は私にもうなずけるものがあります。またそこで、 アドルノとしては異例なことに、カバラの形象すら出現するという点にも目配せして おきましょう。) でも、「コンピュータ語族」である私達にとっては、それは別の形をとらなくては ならない。そして三輪さんの「言葉の影、またはアレルヤ」が、それをまさに 具現していると感じているのです。ここでマーラーを引合いに出すことは、私の文脈の 制限に由来するものですから、マーラーを特別扱いするつもりはありません。 もっと他にもそういうものはあると思います。あるいは人によって、それが何であるかは 異なるかもしれない。強調したいのは、「今、ここ」での同時代の試みとして、 私は「言葉の影、またはアレルヤ」をそのように捉えているということだと思います。


これで終りと思って離席した間に、「お告げ」がもう一つやってきましたので、 書きとめておきます。

ゲーテのファウストは「嬰児殺し」が救済されてしまう物語であると見做しえます。 私はかつて、「カラマーゾフの兄弟」の有名な大審問官の直前の「反逆」の節で、 イヴァンが幼児虐待を根拠に「反逆」を呟く部分を参照しつつ、マーラーの 第8交響曲をどう自分が受け止めているかを文章にしたことがあります。 それは一緒に暮らしてきた鳥が、長い闘病の末に逝ったときに書いたものです。 三輪さんのLux aeternaとは比べものにならないけど、私なりのLux aeternaです。 (マーラーのブログに収めてある「ある日、第8交響曲第2部を聴いて」がそれです。)

少年Aが救われるべきなのか、少年法とかの次元を超えて、でも法制度が どうあるべきかという視点も含めて、多くの人が思いを巡らせただろうと思います。 「言葉の影、またはアレルヤ」は、それについてはどうなのだろうか、と考えるに、 やはりここにも「救い主の危険」があると私には思えます。

ここでの文脈からは一見離れて見えるだろうけれども、もう一点、 アドルノがツェランから「山での対話」を送られた際、返書において自分の マーラー論の第9交響曲についての部分を引用しつつ「山での対話」についての コメントをしていることを思い起こしておきたいと思います。私見では、それは決して トリヴィアルなことでも、偶然もありえません。更にまた、アドルノのマーラー生誕100年に ちなんだウィーンでの講演の特に末尾を思い起こしてみましょう。そしてそれをツェランの ことばの途と、「言葉の影、またはアレルヤ」から「新しい時代」を経由し、 フォルマント兄弟の「フレディーの墓」や「お化け屋敷」へと通じる途と交差させてみましょう。 「対話」として予め意図され、仕組まれたものではなく、それぞれが別々の 時空を持ちつつも、ある「どこにもない場所」において、「対話」に通じる途の可能性そのもの についての声の交響が私にははっきりと聴き取れるのです。

”..., sondern sein starkes Ich hilft dem geschwächten, sprachlosen zum Ausdruck und erretter ästhetisch sein Bild. (...) Seine Symphonien und Märsche sind keine des disziplinierenden Wesens, das triumphal alles Einzelne und alle Einzelnen sich unterjocht, sondern sammeln sie ein in einem Zug der Befreiten, der inmitten von Unfreiheit anders nicht zu tönen vermag denn als Geisterzug. Alle Musik Mahlers ist, wie die Volksetymologie eines seiner Liedertitel das Erweckende nennt, eine Rewelge. "

(Adorno, Gesammelte Schriften, Band16, S.337 ff.)

私はまだ、半分しかお話できていません。話の穂を継いだもともとの契機のうち2つ目のもの、 即ち、「ひらめき」が、対話の問題と、「言葉の影、またはアレルヤ」の問題と密接に繋がってる点に ついてこれから書くつもりでいます。けれども外的な事情から、今それを果たすことが叶いません。 その理由については、このようにだけ言っておきます。書いている最中には私の意識にとっては 未知であった事実が、この文章を一旦公開して後に明らかになった結果、またもや不思議な 偶然の重畳により、更に、もう一つの「5月24日」があることを事後的に私は知りました。つまるところ それは今度は私自身にとっての「5月24日」に他なりません。そして(僭越の謗りは甘受することと して)ツェランの顰にならって、ツェランの詩が、特定の読み手にとってのみ解読できる、ある具体的で 私的な出来事を記録する「暗号」でもあるように、私の文章もまた、意図せずそうした暗号として 機能する結果になったことだけをここに記録しておきます。

いずれにしても当初目論んだ通りに、ここの部分に後半を埋め込むことは最早不可能です。 というのもこの文章自体が、最早私にとって他性を帯びつつあるからです。とはいえそれは、 書かれている内容について考えが変わったりといった事を言っているのはありません。そうではなくて、 単純に、上述の、「私の5月24日」についての事後的な発見と、そうした状況変化への対応に 忙殺されることにより、私は文章を続けることを一時断念せざるを得なくなっただけでなく、 それによって生じた風景の変化に応じて、後半部分を別途書き始める必要を感じているからです。

もう一言だけ付け加えることをお許しいただきたく思います。「私」は、最初にこの文章を書き始めた時に、 「よじべえ」の遺書として、遺作として、「よじべえ」を葬る意図をもって書き始めました。けれども この文章を書くことは、結果としては「よじべえ」とは別の「私」にとっての危機の予告であり、「よじべえ」が その「私」に救いの手を差し伸べるという、全く逆のものに今や変容してしまったのです。従って今は ここで筆を擱かざるを得ないのです。そしてそのことは、私にとってこの文章自体が、或る種の「お告げ」による ものであったことへの気づきという変化に応じたものであり、私はその「お告げ」、ある意味では聞き違いを していたかも知れない「お告げ」に応えるべく、稿を改めるよう命じられているように感じているのです。


いずれにせよとにかく、「言葉の影、またはアレルヤ」の問題を解決せずに 自らを葬ることはできません。それは私の内側に響く声に反することです。 ヘーゲルが精神現象学で言う「世の成り行き」(Weltlauf)の論理ではそれが、 「バモイドオキ神」信仰並みの、排除さるべきものであるとしても、否、懼れているように、 「世の成り行き」の論理の外においてすら、「よじべえ」としての 私しか知らない人たちにとってすら、「バモイドオキ神」信仰でしかないのではないのか という、ずっと苦しみ続けてきた疑念、最近は半ばそれから自由になりかかっていた 疑念に再び苛まれながらも、まだ「反逆」は可能ではないかという思いを捨てきれずにいます。

でもこうして書いていると、「どうだい、お前の「バモイドオキ神」はそろそろ満足したか? もう十分じゃないか?」と言われても仕方ないように感じます。ツェランの詩すら、 批難されたのです。そんなことはあってはならないのに。それなのに、私のような人間が、 一体、こんなことをして何になるのか、、、私も自ら去年の夏の「フレディーの墓に 辿り着けない国籍なき少年の「言葉の影」」で、そのように擬したように、 全く異なってはいてもやはり、もう一人の少年Aなのではないか、、、 そして私自身、時間に追われ、「もう満足したか、言いたいことは言ったか?」と 確認している現実があります、、 、

そして再び、かつて別のところで、同じ予感に浸されつつ書き留めたことばをもう一度繰り返してこの文章を結ぶことをお許しください。


そう、これは私の「投壜通信」である。だが、より正確には、私の奥底の誰かが私を介して 投じたものと言うべきだろう。それは私の内なる「別の部屋」に響く他者達の声を「外に」伝えるために 為される必要がある。そしてそれは己が投壜通信の受信者であることを証することでもある。 このようにして時間のなかを他者達の声は伝わっていく。私のたどたどしいことばは、 勝りたるものの仮晶、私の個性そのものが、あるいはまた個別性そのものもまた、 そうした他者達の声の交響が浮かび上がらせるホログラムなのだ。 意識である私はそうした他者達に耳を傾け、それを書き留めることでしか存在し得ない。 かくしてことばを綴ること、誰に宛ててでもなく、だが、決して独語ではなく、 誰かにあてて自分が聴き取ったものを書き記すことこそ、崩壊した私の修復の営みに等しく、 そうやってばらばらになった断片が拾い集められ、貼り合わされて私が恢復されるのだ。 そう、私とは他者達の幽霊に他ならない。かつまた他者達にとって私は私ではない 私のうちなる他者達のことばから事後的に構成されるほかない(まずもって私自身に対してもそうなのだ) という意味合いでも幽霊でしかありえない。


(2012.5.13暫定公開, 5.20, 23, 26補筆, 7.1修正, 7.14加筆, 2024.3.18自己引用にリンクを追加するなど加筆, 2024.7.14 noteにて公開)

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