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ディスプレイの道案内

縦割りになりがちな日々の活動を、横軸で繋げないものかと画策している田森です。(noteは色々気ままに書けていいですね)
今回は、前回の投稿の続きというか、技術メディアに関する最近の自由研究から旅の話に繋げて、最後は無理やりホームタウンの上野に戻るつもりで書いてみたいと思います。

4月の香月恵介作品展で見たディスプレイの構造を絵画に転用した作品から、threeのディスプレイシリーズ(新作数点を今月25日より展示予定)に繋がり、何かというとディスプレイ、ディスプレイ言っています。

最近、超リアルなゲーム制作に使われているUnreal Engineというゲームエンジン(制作ツール?)が無料※で使えるということを知りまして、自分でも使えないものかと調べてみたら、PCのスペックが全く足りないことが分かり、私の場合ディスプレイの中の世界とはまだ距離があることが分かりました。
※制作・販売したゲームが一定の売上を達成した場合ロイヤリティを課す仕組みだそうです。


ということで引き続きディスプレイ、ディスプレイ言っておりましたところ、そういえばディスプレイというのは機器そのものを指すこともあるけれど、コンビニやお店の陳列なんかもディスプレイって言うよなあと思い、ちょっと語源を調べてみたら「たたまれていたものを開いて見せる」とのことで、そういう状態のことをそもそも意味しているのだと改めて思ったのでした。

画面でもお店の陳列でも、ディスプレイされたものを見るときというのは、自分が意識しようがしまいが、そこにある何かしらの意図と向き合うことになるんだろうと思いますが、コンビニのディスプレイように他者の意図が向けられることもあれば、自宅のインテリアのように自らの意図を表示させることもあります。それで例えば、ディスプレイの状態と、そうでない状態のものが身の回りにどれくらいあるのかを意識してみると、朝から晩まで、ディスプレイだらけの環境の中で生活しているような気がしてきたのでした。

以下の記事は、今年一月にラスベガスで開催された世界最大のテクノロジー展示会CES(Consumer Electronics Show)で発表されたディスプレイに関する記事なのですが、窓をディスプレイに置き換える技術やプロダクトが紹介されていまして、これを読むと、今後さらにディスプレイに取り囲まれた生活が来そうな気配がします。

オランダのスタートアップVideoWIndoWは窓そのものをディスプレイにする技術を紹介していた。モジュール型の当プロダクトは空港、病院、商業施設、コワーキングスペースと、設置場所の用途にあわせて窓全体 or 一部をディスプレイ型窓に変更することができるそうだ。

このデバイスには光センサーが搭載されており、その光センサーを利用して高度なアルゴリズムにより、外のデータをリアルタイムで取り込むことにより窓としても機能しながらアドオンで映像を表示することができる。外の景色をみる開放感を残しつつ、広告スペースもしくはエンタメスペースとして窓を活用できるようになりそうだ。

https://www.pronews.jp/special/202201111214260704.html


記事によるとこの技術の応用先としては基本的に商業施設での利用を想定しているみたいですが、広告スペースとしての活用にも触れていて、要はそこが売りなのか?という気もしてきます。そのうち電車の窓なんかにも使われるようになったりするのでしょうか。外の景色をボーっとみるのが私は好きなのですが。(特に好きなのは日暮里舎人ライナーの車窓)

意図されたものを意図せず見てしまうような例は他にもあって、これがかなりさりげない見せ方だったりするので勘弁してほしくなります。例えば鑑賞中の映画のワンシーンに、看板が映り込んでいたとします。鑑賞中は気にも留めないでしょうし、普通はそのシーンのロケーションにたまたまあったものだと思いますよね。でも実はそれが、自分の嗜好に合った広告だけをさりげなく見せることができる技術による表示だったとしたらどうでしょうか。

下の動画をちょっと見て頂ければと思うのですが、紹介されている技術は凄いなと感心するのと同時に、恐ろしくもある技術です。動画は2019年にリリースされているので、もしかすると既にあちこちで導入されているのかもしれないですね。


自分が意識しようがしまいが、そこにある何かしらの意図と向き合う生活について考えると、自然と広告よりの話になってきますが、技術的にここまでくるとなんとなく暗い気分になりそうなので、ちょっと話をオフラインの方向にもっていきたいと思います。

私は散歩するのが好きなんですが、当然外にもディスプレイされたものはたくさん、というかほとんどそうなのかもしれないくらいあります。なんですけど、ときどき、自分の目線によって本来の意図から外れて見えるもの、あるいは時を経て解放された状態のものを見かけることがあったりします。赤瀬川原平さんのトマソンみたいなことですね。

例えば以下の写真に写っている看板は、知人と同じ名前が付いていたため、つい妄想してしまったついでに撮影したもの。トマソンどころか個人的過ぎて全然伝わらなさそうですが、こういうものに出会うとなんだかホッとするというか、個人的にはこっちの余白のある世界の方が好きです。

中身は何なのだろう?とか、
菅野さん、いつの間に新規事業立ち上げたんだろう?とか。


こんな感じで自分なりの楽しみを見つけながら街を歩くのが好きなのですが、じゃあいわゆる観光というものはどうかといいますと、自分は昔からあまり観光というものに惹かれないなあということを思ったりします。観光地は比較的ディスプレイ性の強い街並みになる傾向があるように思うのですが、おそらくその傾向が関係しているような気がしています。

昨年の梅雨明けの時期に、千葉県佐倉周辺をthreeのメンバーと旅したのですが、このときも観光スポットには寄らなかったことが思い出されます。じゃあどこに行ったのかというと、印旛沼の龍伝説にちなんだ3つの古いお寺を巡ったのですが、これが本当に楽しかった。(話が逸れてきましたね)

当時、threeの干支をテーマにした作品シリーズの制作に関して毎日のようにやり取りをしていました。それで、ある時のWeb会議中に龍(辰)のことを調べていて出くわしたのが印旛沼の龍伝説でした。
千葉出身の私でしたが、印旛沼に龍伝説があることなど知りませんでした。ちなみにチーバくんで言うと目のあたりに位置するのが印旛沼です。せっかくなので、もう少し紹介しますと、いくつかあるバリエーションの中でもよく知られている龍伝説は以下のようなちょっと切ないお話。

雨を降らせた竜
昔、印旛沼のそばに、人柄の良い人々が住む村があった。印旛沼の主である龍は、人間の姿になってしばしば村を訪ねては村人達と楽しく過ごしていた。ある年、印旛沼付近はひどい旱魃に見舞われた。雨乞いは功を奏さず、水田は干からびて、村人達は餓死を覚悟した。そのとき龍が村に来て、村人達から親切にしてもらった恩返しとして雨を降らせること、しかし大龍王が降雨を止めているため雨を降らせれば自分は体を裂かれて地上に落とされるだろうことを話し、姿を消した。間もなく空が雲に覆われて雨が降り出した。喜んでいた村人達は、龍が天に昇って雲の中に消え、直後に雷鳴と共に閃いた稲妻の光の中で龍の体が三つに裂かれるのを見た。村人達は龍の事を思って嘆き、翌日、皆で龍の体を探し出した。龍の頭は安食で、腹は本埜で、尾は大寺で見つかった。村人達はそれぞれの場所に寺を建てて龍の体を納めた。それが龍角寺、龍腹寺、龍尾寺である

印旛沼の竜伝承、wikipedia

ということで、龍角寺、龍腹寺、龍尾寺の三寺へ行ってみることに。

弘法大師も訪れたという龍尾寺
残念ながら龍腹寺はお休みで中に入れず
龍角寺は709年に建てられた関東地方で最も古い寺院の一つ
どこに行っても基本的に人との接触はありませんでした

観光地否定のつもりは全くないのですが、有名スポットのプレゼンを自動的に受け止めるモードになるより、本当にあるかも分からないようなところへ宝探しに出ているような気分で、想定外の事態に出くわす方が個人的には好きかなと思うところがあります。(30代半ばとは思えない発想ですかね)

実際に旅の途中で道に迷ってしまい、途方に暮れた瞬間もあったのですが、今思うとその景色にディスプレイは一切ありませんでした。ディスプレイのない世界とは、手がかりのない世界ということも言えそうです。これが観光地なら丁寧な道案内があるはずで、観光地のディスプレイの性質とは基本的にホスピタリティによるものだとそのありがたさにも気づきますね。

龍腹寺にたどり着く道中、本当に道に迷ってしまう。
人の手が離れた(ディスプレイのない)うっそうとした一帯。


随分と夏休み感が出てしまいましたが、もともとは作品制作の過程で出た話でありまして、リサーチ旅行を経て作品も完成し、今年3月のアートフェア東京に展示されました。
ちなみに龍(辰)モチーフではありませんが、5月25日からのギャラリー展示にも干支シリーズ作品が再登場する予定です。

three "5036g"
2022年 / W.380 x D.380 x H.550 mm / フィギュア、鉄、PVC、木
龍の被り物から顔を覗かせた少女がモチーフになっている


話の流れからホームタウン上野に戻ってこれそうです。今回はディスプレイに関して、私の脳内ディスプレイが示す道順に従いあれこれと書いてみましたが、多少無理やりでも色んな話に繋がるものだなあと思いました。そして次はthreeのディスプレイシリーズが5月25日からギャラリーに登場するわけですが、こちらはどのような作品なのか(何を開いて見せているのか)、またの機会に考えを書いていきたいと思います。よろしければギャラリーにもぜひお立ち寄りくださいね。

ところで今更ながら、ディスプレイという言葉は、展示という意味もあることにはたと気づき、ディスプレイ、ディスプレイ言っているのも今に始まったことではなかったと思うのでした。

NewChord_#1 - three "Displays"
5月25日(水)ー6月11日(土)
13:00-19:00
休廊:日曜日


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