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建築界の草野マサムネ、隈研吾 〜突撃!例の建築家の手すり ①


自ら血迷ったな、と思わなくもない。だがやるのだこの企画、面白そうだから。
手すりは建築家にとっての名刺がわり、シグネチャーだという話を以前書いた。ならば、それが具体的にどういうことか、という切り口も、建築設計から手すり職人になった自分なら書けるのではないか?


そして新コーナーの始まりにはこの方をおいて他にないと思い、今月広島に遠征したついでに見てきたのである。


クマさんについて

かねがね、隈研吾という人に興味があった。作られたものはそんなに好きともなんとも言えないことも多いが、たまに自分のど真ん中に弾丸ライナーの満塁ホームランがある。
そして、なぜこれがこうなったかをとても理解しやすい言語で話す、稀に見る建築家でもある。

もちろん全ては言語で説明しないから、こちらの憶測や妄想も含まれるのだが、よく彼に向けられる非難を見るに、それを充分わかった上でこの人は確信犯でやっちょる、ということが理解されて、こちらはニヤリとする。

そもそも、経歴からして稀である。東京大学の院を出て、日本設計というその筋では凛として一目置かれる設計会社(大和と共に沈んだ矢矧の生き残りの、故 池田武邦さんが興した会社)に勤めたあと、今度はゼネコン戸田建設の設計部に転職、その後コロンビア大に留学したのち、奥様(日本女子大の現学長さんである)と設計事務所を開き、設計業務を開始している。

建築家は、修行時代を過ごした建築家の弟子筋で語られがちなのだが、このクマさんは大学の外では明確な建築家の師匠を持たず(学内では内田祥哉と原広司が師匠筋)、設計と施工の実践的な会社、そして改めて海外で建築を学ぶという、あまりない経歴である。
オリジナリティのある自分のバンドの方向性を悩み探りながら、しっかり実力をつけてきたという感じだ。

自分も最初に入ったアトリエ系設計事務所で、図面を描けば描くほど、現実にどうやってそのものが出来上がるかとの乖離が気になり、造るプロである建設会社に転職した人間である。それぞれの規模はクマさんの1/500スケール以下ではあるが、そのキャリアパスの動機を想像して、親しみを覚える。

そして、この人は本質がパンクである。異議申し立ての破壊衝動を上品さに包んでいると言っていい。
先日も自分が「和の大家」と報道されたことを不当な評価だと怒り、そもそもお前ら和とは何か知っとるのか?と考え出したら自分もそれが説明できないぞ?!ということで面白くなり、そこから足掛け8年掛けて「日本の建築」という良書を産んでしまったそうで。

このオブラート使いは、根が上品だから出来ることかもしれない。

また、M2ビルという、東京の環状8号沿いにあるイオニア式の柱ボーン!の建物をご存知の方も多かろう。
あれは元々マツダ系のグレードアップ車を扱う子会社の建物だったのだが(かつてロードスター乗りだった自分には聖地である)、あれが潰れて葬儀場になったとき、クマさんは最高や!!!と思ったはずなのだ。

なぜならあの意匠は、バブル期の東京の建物が、歴史も地理もなんの脈絡もない様々なデザインを節操なく使っていることを、それが今の東京の特徴なのだ、と捉え直して再構成したものだからである。そして、それをちょっと(ではないな)強調しつつ合わせて表現してみましたが何か?というのがこの建物である。ご本人がそこまで意識したのかはわからないけれど、そう解釈はできる。

わかりやすく言えば、クソを拾って増幅しお化粧して、君たちの眼前に君らがクソまみれであることをしっかり見せてやるわ、というパンク魂が感じられるからである。

ところが、それが葬儀場になった。その時から、そのギリシャ神殿ベースの意匠は死を司る聖地としての意味をまとう。クソが聖地に?!これは輪廻転生かな?沼地にハスが咲いたかな?くらいのことは思ったに違いない。


あと、麻雀も好きそうである。そういえば原広司氏も麻雀の手練れだったそうなので、その影響もあるのかもしれない。彼がロトンダと麻雀というエッセイを書いていたことを、大学生活の4分の3は麻雀をやって過ごしていた自分はよく覚えている。
要素と全体の入れ子構造の美、それが共通しているみたいな話だったと思う。ほんとにそう思う。

ちなみにラ・ロトンダ(パラーディオ他 1591)とははこれです。おおよそ雀卓ですね。真ん中の丸を見るにきっと全自動卓。

もはや間違いない


そして猫好きである。

こちら未見だったのだが、2021年開催の展覧会のタイトルがこれである。

「隈研吾展 新しい公共性をつくるためのネコの5原則」

その展示に至ってはこの有様である。

《東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則》
隈研吾×Takram
(略)
今回、隈は、そんな丹下の《東京計画1960》への応答として、《東京計画2020 ネコちゃん建築の5656原則》を美術館での展覧会で発表します。対照的なのは、都市へと向かう視点。丹下の、海上の人工都市を俯瞰から見る視点に対して、隈が選んだのは、なんと地面に近いネコの視点。一箇所に定まらずテンテンと暮らし、スキマに入り込んで自らノラミチをつくっていくネコの生態に、コロナ禍以降の人々は学ぶべきだと隈は問いかけます。

https://kumakengo2020.jp/highlights/a-plan-for-tokyo-2020-five-purr-fect-points-for-feline-architecture/

間違いない、この人は猫の奴隷。

調べたら、そもそも猫好きで獣医になりたかったそうな。

ここまでクマさんの話を書いてきたが、ここまでで既に草野マサムネ好きの方には、表題の見立ては了解が得られたのではないか。

パンクに憧れ、凄腕の先人を見て真っ直ぐその道を行くことを諦め、キャッチーな作品に毒を潜ませる技術を磨いてきた、品が良く4人組プレイが好きで猫になりたい男。


これでは、もはやどちらのことかわからない。


あと見た目の類似性はないですが、お名前にはクとマがありますね。
ヒロトとマーシーにサンダーストラックされて以降のマサムネ君の話は長くなるので、解説は省略します。猫の件は歌だけ置いておくね。

彼らの毒についても、別の曲から各自あたってください。ガールズにあんな歌を聴かせたりとか、本当にやり手だね、としかおじさん言えない。



本筋に戻ります。

ここしばらく、日本だけではなく世界中から隈研吾が求められている理由のひとつは、その草野マサムネ的な、職人芸を思わせるキャッチーさであると思うのだが、彼はその仕事ひとつひとつに、そのお客さんに応じて柔軟に対応しつつ、時折毒を潜ませていくところが面白い。
ただし、それに気づくお客さんとそうでないお客さんがいるとは思う。それはそうだ、彼のデザインはクライアントの鏡なんだから、むしろ気づかれたら困る。アレはクマさんが産生している毒ではなく、クマさんが食べたものの毒なのだ。クライアントを濃縮した、フグ毒のようなものである。

木のルーバーが劣化する?
当たり前だろ(ニヤリ)。

と思ったらルーバーが実はアルミ製?
よくわかったじゃん(ニヤリ)。

ひどいスタンド席の配列だと?
そう、あり得ないよなそんな与条件(ニヤリ)。

絶対に言えないと思うが、心中そんな感じではないかと。


ちなみにクマさん、クマだけに嗅覚も抜群らしく、原発城下町と大阪万博にはなぜか顔をだしません。不思議なことですね。


そんなクマさん論を一席ぶったところで、その手すりを見てみましょう。

音戸市民センター(2006)

海に向かって緩やかにさがる屋根と階段

そもそも夕暮れの音戸大橋を見たいがために行ったところなので、暗いのはご容赦いただきたい。ちょうどお誂え向きに、イカ釣船のように明るいフェリーが狭い海峡に渡した赤い橋を潜ってきたのがトップ画です。いいところよね。

この市民センター、2階のバルコニーが常時解放されており、土曜日の夕方訪問したにも関わらず、手すりチェックもバッチリです。

なんか縞々です

まず、特記したいのは手すりがくたびれているが大きく錆びてないこと。海沿いの建物としてはこれだけで素晴らしい。もちろん、ステンレスや真鍮を使えば耐久性は上げられるのだが、実は異種金属の併用は難しいのだ。電食という問題があるから。
なので、ここの手すりは鋼材の亜鉛メッキ仕様になっている。亜鉛は鉄よりも酸化しやすいので、先に錆び、痩せていくのだ。なんと献身的なことでしょう。でもその保護膜も縞模様になりそろそろ限界、という感じ。もしかしたら一度塗ってるかな?そろそろローバル(ジンクリッチ塗料)でも塗りたい。

スケール持って行くの忘れました(汗)
どうやって支えているのかな

で、ここの手すりを触って、覗いてみる。75×45×15サイズのCチャンと呼ばれるリップ溝型鋼をヒラ使いしていると思ったら、その幅だと握りにくかろうということで、50mmくらいのところで切り落として、平板を溶接しているのね。出隅の処理は職人芸って感じ。
ブラケットになるL型鋼は横通しでつけているけど、そこに水が溜まらないようにアングルピースを噛ませて接続部は持ち上げているのがお上手。水はすぐに吐き出さないと錆びちゃうからね。
くるっと手を巻き付けての保持は出来ないけど、握るには十分だし、なによりハンドレールとして手をすべらせて使うときにブラケットにあたって指が傷つかない納まりです。お優しいデザイン。

でもなんでこのブラケット、横に通しているのかな?の答えは下に。

ブラケットはルーバー材を支える材料でもありました

実はこのブラケットが、クマさんのデザインコードでもある、ルーバーの支持材でもあったのだ。
ただ、後で木のルーバー材を交換する時のネジ外しが大変そうだけど、やりようはありそう。ブラケットと手すりを溶接ではなくねじ接続にしておけば、手すりが外せてルーバーのメンテは楽だっただろうけど、出隅部の溶接なども含めて、そうしなかったことに拘りを感じる。

てなわけで見学時間10分、でもルーバーを含めて無駄を省きまくった合理的な納めと、実用性とのせめぎあいがとても感じられて満腹です。賢さの塊なのだが、全くそのように見えない謙虚な手すり。

クマさん曰く、「建築の評価はそのまわりにいた人、いる人の評判の総和なのだ」とのこと。
だから彼は、自分の設計した建物にお客さんがいろいろなものを置いたりアレンジしても、そのことを残念がるどころか面白がったり感心するという。

そんな、プライドの柵を越えまくって自由闊達な建築家の、渚に佇む手すりレポートでした。クマさんのこれからの手すりも楽しみであります。


※参考文献


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