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【あなたはWhy?を5回言ってから、ものごとを進めていますか?】・・・why?は、問う力であり、生き方に繋がる


はじめに)

今年3月下旬、野中郁次郎名誉教授が「"why?"を5回言いながら、コンセプト創造にはwhy?が極めて大切なこと」とお話しされていました。
「''what?"は何を企画するかは分かるが、その前に"why"が極めて大切である」と力説されています。

野中郁次郎 - Wikipedia


世間でよく知られている「whyを5回を繰り返す」は、トヨタ生産方式を体系化された大野耐一が説いた言葉です。
why?を5回繰り返せば、問題の【真意】が分かる。
問題の真意を探すことに時間をかけることが大事だと言われています。

そのことをきちんと続けていたら、今年1月の豊田自動織機のディーゼルエンジンでの認識取得の不正など起きなかったし、10車種の出荷停止などなかったことでしょう。
その直前のダイハツの認証問題での不正もなく、出荷停止もなかったでしょうね。

しかし、そんな中で今年3月、トヨタは連結決算で、過去最高の純利益で3.95兆円。
今年の決算は,昨年までの業績でしょうが、企業全体で、効率を重視しながら、結果不祥事を起こし、同時に、企業最大利益をとり続ける現象を見ていますと、企業の在り方を考えなければならないと感じます。
そして、こんな時代だからこそ大切なのは、個としての我々一人ひとりの生き方であり、まさにそこが問われているということです。

生き方とは即ち“構想力”であり、全体と個の在り方、過去や歴史を見ながら未來の視点を考え、実行する力だと私は考えています。

そんなことを考えさせられる同じ時期に、why?何の為に生きるのか?生き方を問われるという野中郁次郎先生の言葉には迫力があります。

企業のあり方、個人の生き方こそが問われているのではないでしょうか。
(利益が最終目的ではないでしょう。)



1.平安時代中期を"をかし"と表現する枕草子に学ぶ
(藤原家1000年の存続を考える。)

慶應義塾大学の片山杜秀教授が、「これからの知恵は、やはり歴史から学ぶこと」と言っています。
("歴史的な思考 発想が生む"――大局の視点で殻を破る――(2024/05/22 日経朝刊)

これ自体至極当然なことですが、さらに日本人の原点に近いところまで考えて、日本人の深層心理や日本人としての方法論も考えてみたいと思います。

現在NHK大河ドラマ「光る君へ」は、紫式部と清少納言が、同時に宮中に出て会話をしています。
実際には、清少納言が仕えた藤原定子、紫式部が仕えた道長の長女で、藤原彰子は、5年の差で宮仕が重なっていないので、今回の大河ドラマ大石静脚本とは実際には異なっているかと思います。しかし、紫式部にとって、清少納言がかなりのライバルだったことが、紫式部日記からも分かっています。

その清少納言の「枕草子」最大のキーワードが、"をかし"です。
極めて興味深い分析が最近NHK「歴史探偵」で放送されていました。


枕草子に出ている10万語で、出現するワードNo.1が、【をかし】=現代語で「素敵」だそうです。
次に【めでたし】=現代語で「たいそう素晴らしい」だと言われています。
この10万語のバーチャル空間で大きく表示された【をかし】
有名な枕草子冒頭を見てみると、
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春はあけぼの
ようよう白くなりゆく山ぎは、
少しあかりて、
紫だちたる雲の,細くたなびきたる。夏は夜。
月のころはさらなり。
闇も,蛍もなほ、蛍の多く飛びちがひたる。
また、一つ二つなど、
ほのかにうち光りていくも,【をかし】。
雨などふるも、【をかし】。
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最近の研究では,【春はあけぼの】の【紫雲】こそは,まさに藤原定子を暗示していると言われている。

滋賀大学データサイエンス部のワードクラウドの分析


ここでは、未來に向かう無限の可能性を"をかし"が表していたのではないでしょうか。

晩年に定子が没落しても清少納言は、定子を"をかし"と表現しています。
時間推移と共に言葉は変化をしながら、ここでは"をかし"を、思いやりのある、風流を楽しまれるということとして表現しています。

"をかし"が、未來に向かう無限の可能性から、人を思いやる気持ちへと変化したように、日本独自の美意識を表す興味深い言葉ではないかと思うのです。
日本にはこんな言葉が1000年前からあるのです。
"をかし"は、主観であり、目に見えてはいないですが、感じとるものではないでしょうか。

2.日本人のwhy?は"をかし"から考えるという仮説


1)why?とwhat?の比較

【why?とは】
・物事の本質(根源)を問うこと
・生き方まで考える
・生きる意味を考えることになる
・難解であり、回答がすぐに出るものではない
・目に見えないもの、時間は,短期的ではない
・暗黙知の領域だから、言葉になっていないものがある
・無意識(フロイト)
・ディオニュソス的(ニーチェ)
・主観的
・関係性
・構造
・思考回路

【what?とは】
・具体的な表層
・表面に見えるもの
・目に見える
・個別事象
・形式知

と分類してみますと、whatとwhy?どちらから考えれば本質を追求することになるのでしょうか。

2)why?とwhat?は、どちらから考えるのか?

実はこの質問は、昨日弊社内会議で、出てきた質問です。

おそらく両者は,相互に関係性を高めて、why?を繰り返すことによりwhatの内容もアウスヘーベンすると考えています。
目に見えないかつ無意識下にあるwhy?を最初に問うのがよいと私は思います。
大事なのは、【対話】の仕方です。
相互主観で、共感領域とそうでない領域を徹底的に知的コンバットすることが大切です。

whatからはじめると、分かりやすく、目に見えますが、それだけで終わらせると、表層的情報になりがちです。
知識だけ、情報だけで,広がりがなく、短期的視点になりがちです。表層的にならないためには、What同士の関係性を紡ぐことです。

どちらにしても、言えることは、
why?を核にすると、whatは,複数出てきます。
whatを核にすると、whyなき対応で終わらせてしまうことが多くなると思います。

3)whyなきwhatの事例

私たちの社会、仕事、生活の周りにはwhyなきwhatが散見されます。

①今日、明日の売り上げが欲しい。近未来戦略はないという上司(経営層)
②(日経朝刊5月20日の記事)スズキ、シニア人材確保 再雇用の給与現役並、日本精工は賃上げ
→シニアの雇用に対して収入と働ける期間をwhatとする
③毎年ゴールデンウィークになると、目的なく海外視察する国会議員
④以前のそのアイデアは上手くいかなかったという理由で、 現在出たアイデアを深く考えないで一蹴する上司

4)日本人独自のwhy?を考えるとは

why?とは人間の生き方であり,哲学的思考の鍛錬とも言えます。
我々は何故存在するのか?を考えることは、人間と社会の関係性を考えることになります。
ここでは、コンテキスト 文脈が重視されます。
そして、このwhyを考えるには、民族性,歴史,宗教と密接に結びつけることが必要になってきます。

日本人としてwhyを考えるベースには、平安時代に中国の影響を受けた文化を国風文化に転換した時期の歴史が一つのエポックメイキングではないかと考えられます。
(絵画であれば,平安時代の唐絵→大和絵→室町時代の山水画→江戸時代 琳派&浮世絵→・・・)
その意味で、“をかし”は、日本人がwhyを考える時に、無意識の中で様々な回答を誘う媒体ワードではないでしょうか。

「ヒト」と「もの」と「自然」の調和
調和ですから,西洋的な、人が自然を制圧するという概念とは異なります。
時間を超越して日本人に内在したこの調和が、"をかし"ではないかという仮説です。

3.世界の潮流から考えるwhy?の視点の進化


資本主義の進展で価値観が多様化し、混沌とした状況を、「ポスト構造主義」と1970年以降言われています。
現在NHKで何回か「欲望の資本主義」で放送されているテーマです。
「我々は、進歩しているのか?」
「多様化によって幸福になっているのか?」という課題です。
つまり、冒頭のトヨタの最大利益は、我々人間を幸福にし,今後も進歩していくのであろうかという課題と合わせ考えたいものです。

 その潮流を読み込むために、why?をどのような視点から考えるかというテーマです。


①    構造人類学主義アプローチ(1960年〜

1960年代、レヴィ=ストロースの文化人類学によるものです。
親族関係の分析から、最後に神話のパターンまで分析対象にしました。



「野生の思考」は、南アメリカの先住民の研究でありながら、現代のAIネットワーク社会の根本を捉えています。
構造主義は、西欧的な価値観や思考法への反旗です。
・特に音楽への熱中、ワーグナーのゲルマン神話ベースを構造から解明します。
・植物学,地質学にもその構造から新たな繋がりを発見します。
・構造主義のアプローチは,自然界からの生み出された生命からその延長上に人間精神構造を繋いで解明します。
・「自然の人間化」としてレヴィ=ストロースは、鳥獣戯画や河鍋暁斎野風流蛙大合戦之図を想定しています。
・料理と神話学との関係(料理の三角形)で文化と自然を分析しています。


従来の当たり前の概念をエスノグラフィーによって自ら体感することで、新たなる法則性を見いだしているのです。

・静的で、世界をパターンの反復とするアプローチ方法です。

大塚英志のストーリーメーカーによれば,物語はパターン分類可能であり、構造とは、パターンと同じ意味です。
このパターンの変化やパターンから外れるものを“逸脱”として、この逸脱が次のポスト構造主義となります。



②    ポスト構造主義アプローチ(1970年以降)【逸脱】

ポスト構造主義とは、ものごとを単純化しない、単純化できない難しさを、難しいままで高い解像度を目指すアプローチになります。

【脱構築】的アプローチです。【逸脱】は排除されていた余計なものを、クリエティブなものとして肯定してきました。

秩序からズレることが差異性になります。
いわゆる二項対立で、考えることを留保して、善と悪、安心と不安,健康と不健康のという二項の場合は選べますが、自然と文化、身体と精神では、二項対立でどちらかとは選べない。
どちらがプラスか,マイナスかは分からないことを【脱構築】と捉えます。
この捉え方がグレーゾーンにおけるリアリティ、両義性であり、この捉え方が重要であるという考え方です。

4.まとめとして



・コンセプトとは、物事の本質を掴み取ることのできる観点である。
・コンセプトを生み出すには、why?を5回問うことである。
・why?を問いながら、見えない暗黙知,生き方、主観で意味を問うことが繰り返される。
・それは、無意識であったりインサイトである。
・そのwhy?の背景にあるものの中に1000年前の平安時代中期の"をかし"があったのではないでしょうか?
それが、「ヒト」と「モノ」と「自然」の調和という日本人独自の美学にあると考えられます。

・それは、枕草子から1000年近く経て、20世紀の文化人類学の巨人の構造主義アプローチにも同じだったのではないでしょうか!

・さらにポスト構造主義アプローチにまで繋がり、why?を5回繰り返す作業を通じて、さらに精度を上げるのではないでしょうか!

後記)
現在,パリーグ快進撃のソフトバンク小久保監督は、監督就任同時、選手全員に、これだけの戦力ありながら、優勝できないのは何かが欠けていると語り掛けました。
そして、「我々ソフトバンクに足りないのは、【美意識】である」と言いました。
代表柳田選手を中心に選手たちは、様々考えました。
小久保監督が、美意識と言ったものは、今回テーマの【why?】に近い概念ではないでしょうか!
「何故、我々は、プロ野球の選手なんだろうか?」
「何の為に、毎日闘うのか?」

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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