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ようこそ、数値化できない世界へ - 売上やROE、KPIのその先とは -

「全ての事象は、それぞれが重なり合いつながり合っていること。だからこそ部分的ではなく全体把握が重要である」と、『SDGs』って、ファッション企業のものだと思っていませんか?で記載させていただきました。
おかげさまで驚くくらい反応をいただいて、私自身も媒体経由ながら皆さまと"つながった"気持ちになることができ、感謝しております。

過日お伝えしたように「つながる」というキーワードは「新しい知」を生み出すためにも必要な要素となります。これは"思考のイノベーション"とでもお伝えできるかもしれません。
そして、この"思考のイノベーション"たるものの最初の出発点は、西田幾多郎氏の「純粋経験」と野中郁次郎先生の「暗黙知」とが共通している(こちらについては、別途詳しくお伝えする機会を持ちたいと思います)と、私は
捉えているのです。

ということで、本日は"思考のイノベーション"を引き起こす...そんなことをテーマに始めてみましょう。

「禅(ZEN)」体験

9月初旬。私はあるご縁をいただいて「禅(ZEN)」を体感するため大磯に参りました。
参加する私の目的、それは現代社会のストレスに向き合う為の「心理療法」側面ではなく、創造性を養うため「自分をいったんゼロにするという生産的狙い」を体感する手法を会得する、それが毎月開催している弊社 セミナーにも活用できないかを考える為でした。
もう少しお伝えすると「センスメイキング理論」での第1ステップ"感知する力- scanning-"を体験したいと考えていたのです。

さて「ZEN」体験。いくつかのプログラムはありましたが、私が興味をもったのは大磯にある「天台宗楊谷寺」での座禅の前と後ろに行った準備体操でした。

呼吸法(身体を整える、息を整える、心を整える)について住職が実演して教えてくれます。そしてその実演の時の住職の動きが、我々よりも驚くほど大きくダイナミックなんです。
例えば、身体を伸ばしよじる時は、着ている袈裟がかなり乱れるほど大胆に、伸ばし、よじるのです。極限まで身体を使うことでフル稼働する、しかも極めて動的でリズミカルでした。お顔を手で覆いながら、はらう仕草にしても、全力を使ってまるでもののけを打ち払うほどのパフォーマンスをして、我々に範を示します。

ここで感じた驚き。それは「リズムの哲学」著者である山崎正和流にいうと「身体のリズムを作る、それ以上に森羅万象に偏在する『リズムを感じる』」状態を体現してくれたと感じた瞬間でもあり、とても感銘を受けました。住職の動き全てに私は目に見えない音、つまりリズムを感じたのです。

「禅のお坊さんは修行を積んだ後に、一回全て無になるといいます(ホンダ小型ジェットの開発者:藤野道格氏)」。
規制概念や典型的パターンとかロジックを全て取り払った上で、何か新しいことや新しいことを生み出せないかという意識。これも究極的に言えば「場のリズム」を感じることになるのではないかと思います。何もないという
音を捉えるという意味です。
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この座禅をご一緒した方と話をする機会をいただきましたが、彼らの意見は以下のようなものでした。
「自然と一体になる。時間の概念を考える機会になる」
「楊谷寺の座禅によって、呼吸整えられて、自分の存在を見据えられる」
「普段意識していなかった呼吸法は、マインドフルネスとして取り入れられ可能性があります。」

西田幾多郎の"純粋経験"から学ぶ

2020年に生誕150年を迎えた哲学者西田幾多郎(1870〜1945年)の主著「善の研究」は新しい生命論との関わり、社会における個のあり方を考える視座として、脚光を浴びています。
彼によれば、"純粋経験"には主観によって客観を捉える西洋哲学に対して、主観と客観とに分かれる前の「無」のような精神状態を「純粋経験」としていると言えましょう。

ここで事例を1つ。

北京メダリストの朝原宣治さんは、6月15日の朝日新聞取材において以下のような発言をしています。

記者:「朝原さんは、2008年北京五輪の陸上男子400メートルリレーでアンカー。どんな心境でしたか?」
朝原:「その時走った記憶はほとんどない。集中し、我を忘れて走る状態をよくアスリートは『ゾーンに入った』というが、そんな感じだった。不安や気負いも意識せず、勝手に走り出す状態だった。普通は、今は、60メートル地点を走っているとか、100分の1秒差でも勝ちけはだいたいわかる。でも北京五輪ではゴールすぐには勝敗が分からず、電光掲示板で確認した。3着と分かり、わーとなってバトンを投げた。前日は、プレッシャーで押しつぶされそうだった。でも最後の最後は、もう『諦め』のような心境だった。『かならずメダルを取る』という強い意志が意志が消えてしまうほど没頭していた。」
記者:「朝原さんの経験は、西田幾多郎の純粋経験にあてはまりますね。環境と一体になる瞬間だったのでしょう。」
(*取材を担当したのは、西田哲学が専門の上原麻有子教授)
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つまり人というのは「無の局地」に経った時に見える何かがあるのかもしれません。これはビジネスにも私は通じると考えます。

「ZEN」体験からの学び

今回の体験を通して感じたこと。それは「自分に向き合うため、先を見据えるためにあえてリセットする(=無になる)」というのは、形骸化した修行ではなく"発見する楽しみ"のようなものではないかということです。

弊社では、レシピを学ぶというhow toではなく、"器を知り、盛りつける、共に食して対話しながら味わう"という一連の料理体験をを学ぶことも目的としたマーケティングセミナーをして実施してきました。
「どうして料理?」と懸念に感じながらも参加いただいた経営者の方々もいらっしゃいましたが、結果として気づけば延べ300人以上の方に参加いただき好評を得る結果となったのが興味深いところです。
このプログラムを当初担当くださった成瀬すみれ先生は、残念なことに他界されましたが、今振り返ると彼女から教わった料理は「食を通して様々な人間の在り方を学び、自らを見つめる」という経験だったと思います。つまりこれこそ「ZEN」と繋がる行動だったのではないかと。

また前述の 西田幾多郎氏の"純粋経験"も然りです。主観と客観とが同一視するという"純粋経験"とは、
①現実をありのままに見る直観を養う
②朝原さんのような忘我の循環プロセスが「新しい知」を生み出す
③無の境地に至った時に、人は新たな世界を踏み出す
と理解できるのかと思います。

まとめ

"思考のイノベーション"の誘発するために必要なこと。
前回では"つながる"というキーワードでお伝えしました。今回はさらに、一歩進めて「文化人類学的」視点からもひとつ提示したいと思います。

S N Sで「いいね!」や「スキ!」をもらうと嬉しくなる経験、皆さんにもあるでしょう。これは"わたし"の輪郭が強調される、いうならば自分内部においての他者とのつながり方であり、"共感"と呼ばれるものです。

一方、他者と交わる中で"お互い"が影響し合い変化するようなつながり方もあります。これは"共感"の「いいね!」とは異なって、自他の区別が曖昧になり「わたし」が他者の響き合いを通して、別の「わたし」に生まれ変わるというイメージです。つまり自分内部に変化を感じるという意味において、"共鳴”と定義されます。

「つながる」→「共感」→「溶ける」→「開かれる(発見する楽しみ)」→「共鳴」
といった流れと言えるかもしれません。

"思考のイノベーション"のキーワードとは、「つながる」からスタートして「共鳴」に向かうプロセス、そのものだと言えるでしょう。そしてこれはどう頑張って数値化できない世界なのです。

               ***

本日もお付き合いありがとうございました。
ご質問やご意見ございましたら、お気軽にお声がけください。

(完)