VOL.12寄稿者&作品紹介15 スイスイさん
4月28日に最終結果が発表されたnote創作大賞(#創作大賞2022)でも『愛の《終わりはじめ》のこと』で入賞したスイスイさん。cakesクリエイターコンテストをきっかけにエッセイストとしてのキャリアを重ね、2020年には「すべての女子はメンヘラである」を上梓。現在の活動はnoteがメインのようで(みずのけいすけさんの「スイスイさんと雑談する #こたつラジオ #151」を聞いていたら“まずはnoteマガジンの【ベストアルバム】にアクセスしてみて!”とのことでした)...なにしろフォロワーが28,485人もいらっしゃる! 世の中には「桁違い」という言葉がありますが、私(←発行人)の小誌ブログ告知を兼ねた個人アカウントnoteなんてゼロが3つも少ない桁でして、メディアとしてのスケール感すら想像できません。でっ、そんなスイスイさんがなぜ刷り部数1000のウィッチンケアに書き下ろし掌編小説を? じつは私、スイスイさんのエッセイをいくつか拝読していまして、とくに「葬り去れない私の間違いのこと」というウソかマコトかわからない長文の一篇を読んで、凄ぇ! この人の書く小説も読んでみたいと思ったので連絡をとってみたのでした。たまたまTwitterが相互フォローだったこともあってうまくやりとりが進みましたが、しかしエッセイ内の「わたし」は「小説なんて二度と書かない」と表明しているのに、それを読んで「小説書きませんか?」とオファーしてくるなんて、ヘンなやつだと思われただろうな〜。
小誌への初寄稿となった「わたしはその髪を褒めれない」。やっぱりスイスイさんは小説を書いても凄ぇ! だった。奔放な感情を放置しつつ、でも文章の手綱は緩めず、最後には自身ですべて収束できるという確信があって物語を構成/文字を配しているんだろうと推察します。なんだろう...たとえば椎名林檎がデビューしたころ、その奔放さが(和製アラニス・モリセットだとかリズ・フェアーだとかと比較した言われ方で)話題になりましたが、じつはセルフ・コントロールに長けた表現者であって、その二者より遙かに懐の深い才人だった、みたいな感覚。なにしろ冒頭11行がじつは携帯電話内のメモ書き、というクセ球から始まる作品なので面食らった読者も少なからずいると想像しますが、発行人としては「そこを越えていこう〜」と主張したいです。小誌の醍醐味のひとつは、未知との遭遇。
スイスイさんはTwitterで本作を《🪡女友達の髪を褒めれなくなったらその友情は破綻している🪡を合言葉にしたエターナル友情小説》と紹介しています。たしかに主要登場人物である「折り鶴さん」と「椿ちゃん」はある種の“友情”で繋がっているのだとは思いますが、しかし折り鶴さんの抱えるしんどさは、生きるためのエネルギーの源泉と表裏一体のようにも感じられて...彼女を窮地に追い込んでいく椿ちゃんの、飄々とした得体の知れなさが恐いです。そしてスイスイさんは小説を書いてもやはり、エッセイ「葬り去れない〜」で印象的だった一節=“アホ地獄の深み”という難敵と対峙しているように、私には読めました。
あのあと。あの大雪の喫茶店からしばらく経ったころ。椿ちゃんはわたしが知らないうちにcampusで〈文筆家〉としてデビューしてバズった。バズりまくって取材記事でウェブメディアを一周した。そして、そのしばらくあとに妊娠がわかって相手は敷沼さんということを椿ちゃんが話してきた。でもその直後に敷沼さんは別件で炎上してTwitterからもLINEからも消えて子供の認知もしなくてとりあえず椿ちゃんのお腹はどんどん大きくなって、うちのリビングのコルクボードにはエコー写真が毎月増えて、そのうち毎週ペースで増えるようになった。椿ちゃんがなんで産むことになったかといえばわたしのせいで、わたしが「絶対産んだほうがいい!」と説得し続けたのだ。そうさせないと気が済まなかった。
〜ウィッチンケア第12号〈わたしはその髪を褒めれない〉(P080〜P085)より引用〜
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