マガジンのカバー画像

【ベストアルバム】スイスイ厳選自著note(すべて無料)

19
これまで書いたnoteのなかで、特にスイスイが個人的におすすめのもの達です。スイスイの文章が読みたいと思った方はこちらからどうぞ。
運営しているクリエイター

記事一覧

葬り去れない私の間違いのこと

恥ずかしいことなんて山ほどある。 高校二年の部室で性行為を目撃されたとき確かに私は「これほどの恥は二度とない!」と思ったはずなのにそれ以降もガンガン積み重なっていった。 恥ずかしいことを思い出すとイオンのエスカレーターでもスタバのレジ前でも台所でも叫んでしまう。ここ数年いちばん強く叫んでしまったのは、映画館でだった。息を吸い込みすぎてひっくり返るような短く高い叫びで、だけどその瞬間スクリーンでは、ある映画予告とその音楽が大音量で流れていたから、両隣の息子たちにも客席の誰にも

愛の《終わりはじめ》のこと

愛には「終わりはじめ」がある。 とずっと思ってる。終わったどの愛にもある「終わりはじめ」とは要するに自分で振り返ったとき「あ、いま思えばあのタイミングから(恋愛関係である二人のあいだの何かが)終わり始めたな?」と感じる【目印】を指す。 たとえば個人的かわいい例を出すなら。 セックスに数字を持ち出したとき。セックスに機材を持ち込んだとき。あるいはセックスに貸し借りが発生したとき、食事中に相手の咀嚼音が耳につくようになったとき、相手の元恋人が幸せそうにみえたとき、とかとか!

人生変えたいなんて

2022年2月、富良野。 氷点下の風を受けながら私は、約10年前にカカオトークで届いた「一緒に住んでも人生変わらへん気がするから」という一文を急に思い出してた。 ところで「人生変えたい」とか言う人は、人生を「どう」変えたいか具体的に考えてない気がする。もしそのイメージがあるなら(たとえば、どんな仕事して/どこに住んで/どんな媒体に載るとか?)それに向けて「行動」とかを変えれば済む話で「人生」なんて派手なワード振りかざす必要ない。童話『ウサギとカメ』において最初に走りだして途

ビンテージショップで常連になるのは『選ばれた人』だけだと思ってた

6年前、28歳の秋。 友達と知人の合間くらいの同世代女5.6人くらいで集まったとき。 そのうち1人が異様に洒落た服装で現れた。他の誰かが「そのコートかわいいね!」と声をかけたら「ビンテージの服にハマってる」とのことだった。 「もう安い服とかじゃなく大事な数着を長く着続けることにした」とか語るその子を死んだ目でみながら私は「いいなあ」とか「私もそうしたいなあ」とかじゃなく「そういう人生の人は良いよね」と思った事を鮮明に覚えてる。つまりその瞬間「私の人生には関係ないことだ」とハ

「鬼が来るよ」と息子に言わない

先日、友達の店に息子たちを連れて行ったら少し騒いでしまった。状況を落ち着かせようとしてくれたその友達が「うるさくすると、そのドアから鬼が出るんだよ〜」とおどかしたら、ふたりとも黙って硬直してしまった。 それに対し友人が「え?ごめん!言い過ぎたかな」と心配していて、そのとき「ごめんこの子たち、鬼が来るとか言われた事なくて耐性がないんだわ!」と私が笑って返したら、帰り道、謝罪のメールが来た。 「騒いではいけない理由をちゃんと伝えるべきだったのに、鬼のせいにして楽してしまった結

趣味が合わない夫が好き

フジテレビの面接で出会った。 面接時間直前、お台場駅のトイレで履歴書を書き終えた私は、本社まで走ってた。すでに数百人くらいの就活生が4人ひとくみでパイプ椅子に並んでいて、息を整えつつ最後尾付近にすわった私は係の人に「人数調整のためこちらに」と呼ばれ、めちゃくちゃ前のほうのグループに入れられた。 急遽すわることになったその席の、真横に座っていた男性がリクルートスーツどころかアズキ色のセーターを着ており、手元を見ると彼の履歴書の下半分はぜんぶ彼自身の写真で埋まっていて、名古屋

友人が猫を拾った話

今朝、シェアオフィスに行くと受付のMちゃんが不安そうに慌てていた。聞くと「子猫を捕獲しなくちゃいけなくて」とのこと。子猫......? 私が利用するこのシェアオフィスは90年前の産婦人科を改築した建物で、趣ある庭には樹々とテラスがひろがる。その庭で昨日からずっと、猫の声がし続けていたらしい。昨夜はMちゃんと、シェアオフィス常連のKさんとで2時間かけて捕獲しようと奮闘したらしいけど叶わず、今朝になってもまだその猫は庭で鳴き続けている、という状況だった。 それを聞いた私が、オ

死にたい季節は愛をビュッフェ

セックスよりも恥ずかしいことは、 銀座四丁目。ブランド店がつらなる、 並木通りと松屋通りがあわさったあたりで、 ちょうどランチタイム、サラリーマンが行き交う道端で。顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、泣き叫ぶこと、だと思う。 あの日わたしは上京して2ヶ月、 新卒で入った某R社で、銀座をチャリでかけまわり来る日も来る日も飛び込み営業で怒られ煙たがられ拒否されを繰り返していた頃。 なにかの糸がきれて、止めた自転車の前で、地面にカバンを投げて、涙がとまらなくなったのだった。 あ

本命ともだち

本命友達というのが、常にいた。 より一層深い関係としてのさいしょは14歳のとき。Iちゃんが一人目だった。 中2で同じクラスになって、半年はほとんど話したこともなかった。秋にお互い生徒会役員になって、距離が縮まった。そうだIちゃんと仲良くなるまで私は、同じ小学校出身のYさんと一緒にいた。だけど9月の運動会の日、Iちゃんに乗り換えたんだ。あの日、Yさんは私とふたりでお弁当を食べるつもりだったろうに。ぽんっと突き抜けた青空のまんなか、仲良し同士で木椅子を移動させる生徒達の中で彼女

私たちにとって、あの頃の椎名林檎とはなんだったのか。

椎名裕美子と聞いてすぐに誰かわかる・百道浜と室見川というだけで空港が頭に浮かぶ・「そば・うどん・スパゲッティ麺」と言われたら「もっとはやいものぐー」・虐待と聞けばグリコゲン・御起立と聞けばジャポン・ともさかりえと聞けば少女ロボット・カラオケで「東京は愛せど」と書いてあるのに意志を持って「アイシャドー」と歌う・筆文字を見ればリンスポ・注射器型のボールペンを大切に保管し・完全に風雲ディストーションに入っていた「あなた」……つまり「私たち」にこそ読んでほしい答えについてです。 椎

わたしが滅亡しかけた夏夜

「パピコ、パピコの、ソーダ!」 幼稚園からかえってきたばかりの息子達は、したたる甘い汁をおしりふきでおさえてる。 Eテレでは知らない子たちが、ダンボールでかき氷屋さんになろうとしてる。インサートされたお店の映像では、透明なひかりの跳ねる天然氷のかたまりに、刃があてられ、ざり、ざり、と削られてる。 ざりざりざりざりざりざりざりざり 夏に特別な思い出がない。 それなのに、忘れられない夏がある。 あれは、地味すぎる大学三年の夏。 なのに10年以上たってもまだ記憶の

元彼を思い続ける私の14年は、正しかったのかどうか問題

便器から顔をあげて「つら…」と口に出していた。 その瞬間ひさびさに、いやもうこんなの10年ぶりくらいに、 「つらいな?」と感じた私が選んだこの14年は正しかったんだろうか。 正しかったんですかね。正しかったのかな。どうしたらよかったんだろ。 誰か教えて欲しい教えてくださいほんとお願い教えて欲しいな。 先月はじめて本が出て「元彼を14年も引きずってる件」について取材されるたび「失恋は無理に忘れようとせず一生引きずればいいと思うんです」とか語ってきたが本当にそうだろうか。今目

料理コンプレックスの呪いから解放されたい

ただの塩鮭を「サーモンソテー」と呼び 野菜を焼いただけのものを「夏野菜のグリル」と言い張り、たかだか3品くらいしか並んでいない食卓写真をドヤ顔でインスタにアップできる、インスタグラマーどもが羨ましい。 私だってそんな、 焼いたり煮たりしただけの何の手の込んでないものを、写真加工の技術と言い回しの力だけで、自信満々にアップできる人になりたかった。うそ、なりたくない。厳密にはそれになりたいわけじゃないけど、ただし何の躊躇もなくそれができる人たちが、心底うらやましい。私にはそれが

この夏、精神闇底だった私の回復記録

※このnoteは、2020年夏に精神闇底だった私が回復していくまでの個人的記録です。その方法を推奨する目的はなく、感情の詳細を覚えているうちに書き残しておきたかっただけの人間標本です。一切参考にしなくて大丈夫です。 8月中旬、きづいたら精神が闇底に落ちてた。 幼稚園へのお迎えに向かう歩道でも晩御飯を作る夕暮れの台所でも、散らかったニューブロックを片付けるリビングでも前触れなく涙が溢れる。梱包材のプチプチで私だけぐるぐる巻きにされてるようで社会とのあいだに隔たりがあった。思考