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葬り去れない私の間違いのこと


恥ずかしいことなんて山ほどある。
高校二年の部室で性行為を目撃されたとき確かに私は「これほどの恥は二度とない!」と思ったはずなのにそれ以降もガンガン積み重なっていった。

恥ずかしいことを思い出すとイオンのエスカレーターでもスタバのレジ前でも台所でも叫んでしまう。ここ数年いちばん強く叫んでしまったのは、映画館でだった。息を吸い込みすぎてひっくり返るような短く高い叫びで、だけどその瞬間スクリーンでは、ある映画予告とその音楽が大音量で流れていたから、両隣の息子たちにも客席の誰にも気づかれなかったと思う。他の予告映像もすべて終わり、子供達が楽しみにしていたドラえもん映画本編が流れた2時間弱のあいだ、私はスクリーンの方を見ながらずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと何年も考えないようにしていた約10年前の「恥ずかしいこと」を思い出していた。ちなみにこれはエロくもエモくもない9000字なので離脱するなら今です。恥レベルでいっても高くないかもしれない。でもあくまで私個人にとっては超重大で記憶の最深部に封じていた出来事で、ではなぜ今それをわざわざ取りだして書こうと思ったかといえばこの件について2021年夏、大事な発見があったから。(※相手に関してはものすごくフェイクを入れてます24歳だった私と35歳になった私の、それぞれの〈間違い〉について。



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ときは結構遡り、2009年夏。社会人2年目。
私はリクルートで働きながらバンドメンバー募集サイトに登録して何人ものギタリストに会っていた。会社の誰にも言わずに、連日何百人もの情報を見ながら40人以上とやりとりしつつ、そのうち10人以上と会った。そのなかの一人にSくんという人がいた。

募集サイトには掲示板のように自己紹介ページが並んでいて、気になった相手とはメッセージのやり取りをすることができた。彼のページをはじめて見たとき「とうとう出会ってしまった」と思った。全文章に一切の絵文字を使わないところも良かったし(そういう人は少なかった)なにより印象的だったのは「尊敬するアーティスト」の欄で、他の登録者達がいかにも音楽通っぽいマイナー洋楽アーティストばかり並べるなか、Sくんはまさか「宇多田ヒカル」のみだった。

とはいえ彼の「好きなアーティスト」欄はロックやテクノやサイケなど、あらゆる国とジャンルの名が並び、本当に音楽が好きな人なんだなと思った。Sくんが活動していたバンド音源も貼ってあって聴いてみたらす……………………………………ごく良くて慌ててメッセージを送った。「本物」だと思った。彼が募集していたのはギターボーカルで、こちらのページも見て合うと思ってくれたのかお互い「会ってみませんか」となった。

歌手になりたいと思ったのは小学生の頃で、高校からはギター教室にも通った。真剣に「音楽活動がしたい」と思ったのは大学で軽音楽部に入ってからで、オリジナル曲を作ってバンドで自主イベントを企画したりCDも販売し東京遠征もした。そのまま音楽の道に進みたかったけど流されるまま就職のために上京。諦められず社会人生活と同時に音楽学校にも通いはじめた。プロを目指す人たちが通う学校で、そこに通えば何か大前進すると思ったけど何も起こらず上京2年目。気づけば24歳になっていて、あと1年以内になにか軌道に乗らないと人生終わると追い詰められたまま登録したのが例の募集サイトだった。『ギターボーカル』として登録してから数ヶ月、毎週末のようにギタリストの人たちに会ったけど、メッセージとはかけ離れた印象の人ばかりで上手くいかなかった。その最後の最後に見つけたのがSくんだった。


初対面の待ち合わせは下北沢駅、南口改札前。
もともと見た目や歌声は音源サイト(たぶんmyspace)で知っていたけど、ギターを背負いながら「○○さんですか?」とまっすぐな立ち姿で現れた彼は表情の穏やかさも屈託ない声も思慮深そうな話し振りも、想定以上にSくん過ぎて、安心を超えた希望のなか私は「はい、はじめまして」と答えた。


ドトールだったか喫茶店みたいな場で向き合って話した。音楽の好みも方向性もすごく合って2時間以上盛り上がった。私が活動していたバンド音源も聴いてもらったら「いいですねえ!」「かなり好きです」と前向きな反応で、それから私は「自分がどんな音楽をやっていきたいのか」最大級の熱量で伝えた。(私はYEAHYEAHYEAHSやゆら帝が好きで、音楽的には彼らのように独創的でサイケデリックで、でも芯はポップで、そこにテクノやジャズっぽい要素も取り入れたい。音がどれだけ複雑でもあくまでキャッチーで「新しい音楽」が作りたい。油絵も長くやっておりステージでも披露してきたのでそれもライブに取り入れたい。自分たちにしか表現できない音楽表現で本格的にバンド活動していきたい、と彼に伝えた)

そんな私の話に彼は「いいですねえ!」「最高ですね」と応えてくれて、最終的にはその場で「いっしょにやりましょう!」となった。長かった。やっっっっと始まる……と泣きそうになった。Sくんとここからとんでもなく大きなことが起こるんだ、と世界の全部が新品になった気がした。

ひとまず曲を作るため「次はスタジオでセッションしましょう」という話になった。

それから1週間後、二人で初めてスタジオに入った。忘れもしない下北北口の音楽スタジオ。「忘れもしない」なんて書くのだから特別で暖かなバンドエッセイが始まるかと思ったら大間違いで怖い話がはじまる。
スタジオは冷房が効きすぎていたけど体は芯から熱かった。私はGibsonのSGというギターを愛用していて、エフェクターやマイクなどすべてセッティングし終えた頃には、Sくんもセッテイングし終えていて、いよいよセッションのはじまりだった。

そのセッション2時間が、どんなものになったかと言えば「無」だった。私は、私は、私は、私は、私は、私は、私は(と時間稼ぎしたくなるくらい書くか迷うのだけど)私は、ギターが弾けないのだ。楽譜も読めないしコード進行も知らないし曲を作ったこともないしセッションをどうやればいいかも知らない。さっき恥ずかしすぎてカッコ内にしか書けなかったが私はSくんに(私はYEAHYEAHYEAHSやゆら帝が好きで、音楽的には彼らのように独創的でサイケデリックで、でも芯はポップで、そこにテクノやジャズっぽい要素も取り入れたい。音がどれだけ複雑でもあくまでキャッチーで「新しい音楽」が作りたい。油絵も長くやっておりステージでも披露してきたのでそれもライブに取り入れたい。自分たちにしか表現できない音楽表現で本格的にバンド活動していきたいと伝えた)……と書いたけど〈自分たちにしか表現できない音楽〉どころか音楽自体できなかった。ギターは軽音に4年いて学校にも通ったのに簡単なコードしか弾けないまま。オリジナルバンドでは元彼が作ってくれた曲に歌詞をつけただけ。テクノやサイケが何なのかも分からない。油絵は中二から描いたこともない。
音楽的文脈での宇多田ヒカルの良さもわからない。Sくんと音楽的趣味が運命的に一致したのは当然で、彼のプロフィール欄を私が読み込んだからだった。

募集サイトに正直に「楽器は弾けません、椎名林檎が好きな、ボーカル志望の女です」って書けばよかったのにそんな素人女みたいなやつ本物のギタリストに選ばれるわけないと思った。価値がない人間だと見限られる勇気がなかった。東京で本物のふりをして「本物」のギタリストと出会いさえすれば勝てると思った。その道しかないような気がした。東京に勝ちたかった。夢に勝ちたくて人生に勝ちたかった。劣悪失礼な最低手段だった。

そのスタジオで、Sくんは一度も止まることなくセンスの良いフレーズを鳴らし続けた。それに対し弱めにジャーンと弾く私は自分が何のコードを押さえてるかも分からず全身から汗があふれるけど、思いきり顔をニヤニヤさせ続けながら手を止めなかった。不協和音のなか演奏しつづけるSくんは本当に優しい人で、初めはこちらが「セッション」に入れるよう何度か目配せをしてくれたけど、途中から目が合わなくなった。なぜなら私が白い壁の小さな穴だけに向かって微笑み続けたから。

スタジオを出た私たちは駅の反対側までニコニコ歩いて餃子の王将に行って乾杯した。それで何事もなかったかのように「これからやりたい音楽のこと」や「どんなライブをしたいか」を話した。それでごく自然に、次のスタジオはいつにしましょうという話もした。そうしてお腹いっぱいになって楽しく酔っ払って解散した。それでぜんぶ終わった。

……と言いたいところだけど全然終わらない。なんと私たちの「セッション」はそこから約1年続いた。

途中からは私の大学軽音の友達も一緒にスタジオに入ってもらうようになった。ドラムであるその子は私がまともにギターを弾けないことを当然知ってるけど、そのまま何も生まれないスタジオ時間を3人で過ごす。終わったら王将に行くけど、スタジオ内のことには誰も触れない。だけどCDまで貸しあったりして、やりたい音楽の話とかはする。私とドラムの子は二人きりのとき「彼は私たちとスタジオに入って大丈夫なのだろうか」と心配しながら話すけど直接は聞けない。それでまたスタジオに入ったあと3人で飲みながら、バンド名はどうしようとか未来について真剣に話すのだった。

それを一年近くほぼ毎週末繰り返したころ。私が元彼にギターを持ち去られたことなどをきっかけにこの関係はなんとなく終わり、私は音楽自体をやめた。それ以来Sくんと連絡を取ることもなく、ほぼ下北沢にすら近づいていない。募集サイトに登録してたこと自体も記憶から葬って、約10年思い出さないようにしてたら「もしかしてあれは時空の狭間のエアポケットとかだったのかな?」と非現実的にさえ感じるようになった。結婚して子供も育てつつ、映画館で高く短くさけぶ瞬間まで。


ドラえもん映画本編はまだ始まってなかった。だけど子供たちとポップコーンの列に並んでいたら思ったより時間がかかってしまい予告は流れだしていて、暗くなった座席にジュースなど配置し終わりやっと落ち着いて腰かけ、スクリーンを見上げたときには新たな予告映像が始まるところだった。そのとき大音量で流れだした曲に私は「好きすぎる!!!!」と思った。何てバンドだろ?曲も声も良すぎん????と興奮しはじめた数秒後、体と思考が固まって、そのまま叫んでた。SくんのバンドでSくんの歌声だった。

新しいバンドでSくんが活動していることは何かのSNSで知ってた。やや人気だということも分かってたけど「知る人ぞ知る的な音楽」だろうと予想してた。なぜ予想かといえば私は頑なにその「音」を聞かないように生きてたから。一度applemusicでこのバンドの曲がリコメンドされ再生されそうになったときヘッドフォンをスタバのソファに投げてしまったこともあった。24歳の頃の嘘つきで浅はかな自分を直視するのが無理だった。それに、歌声を聴いてしまい「Sくん本人だ」と認識してしまったら「こんな本物の天才をあんな素人の自己満に付き合わせてしまった」というとんでもない罪悪感にいよいよ潰される、と恐ろしかった。

予告後半には、答え合わせ的にバンド名も表示された。映画館で流れる(ほど売れてる)なんて想定外すぎた。弾けもしないギターをわざわざ背負って「はい、はじめまして」って余裕の笑顔で答えた南口改札前の自分からずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと逃げてきたのに捕まった。その音を聴いたら(精神が)死ぬと思ってたのに、なにより想定外だったのは曲が好みすぎることだった。その数日後には我慢できず全曲ダウンロードして聴いてみた。音楽理論的には全くわからなかったけど、めちゃくちゃに好きだった。その日から私は(大きな罪悪感を抱えつつ)そのバンドのファンになった。

それからも彼らは売れ続け、国民的音楽番組にも巨大フェスにも出まくるようになる。さらに月日は流れ私は35歳になり、2021年。

私は、バンドメンバー募集サイトのことなんて一言も書かないエッセイストになっていた。エッセイのコンテストで入賞し何年か連載も続け、去年はエッセイ本も出した。ありがたいことにエッセイの依頼は定期的に届き、新しい書籍の依頼も届いた。が、そんななか私は2020年末から「小説を書く」と言い出しエッセイの仕事をすべて断り毎日小説を書くようになる。この生活自体が「間違い」だったのだが、気づかずそのまま2021年夏になった。

そんなある夜。わたしは初めてSくんのバンドのライブ映像を見ることになる。曲は何百回と聞いてきたけど「動いてる映像」は(恐ろしくて!)一度も見たことがなかった。だけどこの日はなぜか見れる気がして、というか見たい気持ちに敵わなくなり、暗いリビングでひとり正座して見始めた。

ライブがはじまると「動いているSくんが本当にSくんだ!」という事実に叫びそうになるが、そんなことどうでも良くなるくらいに私は槍でぶっ刺される。どでかい太い槍で急所をぶっ刺され、自我がほぼ即死のなか意識丸ごとステージに引っ張られながらSくんを凝視する。この映像を見たことある人全員がそう思ったのか私だけかわからないけど、すごいステージだった。演奏も歌声も表情も動きもすべての凄みが合わさって、なによりもSくんのまぶしさがえげつなかった。「本物だ」と思った。来る日も来る日もひたむきに音楽を続けたであろう人しか得られない姿がそこにあった。良すぎて泣きそうになりながらそのとき私がハッキリ感じたのは意外にも「もしこの先わたしが、こんなにもこんなにもこんなにも努力して一つの光にむかい突き進む彼の、こんなにもまぶしいこの姿に向けても、恥ずかしくない自分の姿ってなんなんだろう?」という問いだった。「わたしはどんなことでこの先、これほどまばゆく堂々とまっすぐ胸を張れるんだろう???????」と考えだしたとき「間違えた」と気づいた。おんなじだ、と思った。やってしまった。35歳のわたしは24歳のわたしと、おんっっっっっっなじ間違いをおかしてた!!!!また!!!!!!!!!また!!!!!!!!!!!!!!!


24歳の終わり。
Sくんたちと1年近くセッションを続ける会社員の私は、吉祥寺で一人暮らしをしていた。そこにある日、数年ぶりに連絡をとった大好きな元彼が会いにきてくれることになった(名古屋から新幹線で)。その元彼と楽しく過ごしていた2日目の夕方ごろ。部屋の真ん中で喧嘩になった。だいたい私が悪いんだけど(恋愛に10:0なんてないが)いままで一度も怒ったことがないその彼が勢いよく立ち上がり、部屋の端に立てかけてあったわたしの赤いGibsonSG(ギター)を掴んで、そのまま外に出て行ってしまった。

ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ…?と遅れて声をあげながら、私は財布と携帯だけ持って外に飛びだし、中道商店街を走ったけど見つからなくて中央線で東京駅までいって新幹線のホームで喫煙車両を探しまくってもダメで、結局ギターも元彼もいなくなった。そこから数週間ずっと悲しい悲しい無理無理と同僚や友達に話を聞いてもらい慰めてもらいながら、だけどわたしは心の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥の奥でとんでもない開放感を感じていた。それは「これでもう音楽やらなくていいんだ」っていう特大の安心だった。極論、音楽なんてしないまま音楽の人として売れたかった。募集サイトに嘘を書いたこと以前に(それも間違いだけど)やりたくもない事に固執し続けたことから間違ってた。

小説も同じだった。なんと私は「小説を書きたい」と思ったことが一度もなかった。書かないまま芥川賞が取れるならそれが良かった。35歳になったばかりの2020年末から(正確には2019年前半からもたびたび)毎日大量に小説を書き続けたけどエッセイと違って前に進む感じがなく、思えばギターに似た手応えだった。熱量が一切ないから、一応練習はするし量もこなすけど上手くならない。

椎名林檎になりたいだけでギターを弾きたいわけでもなんでもなかった私は、川上未映子になりたいだけで小説を書きたいわけでもなんでもない私になっただけだった。エッセイ本を出したら小説家をめざして文芸誌で評価されるのが「成功人生」と思ってた。認められたり妬まれたりしたかった。同世代の書き手や、私を舐めていそうな同業者から。実際誰も私のことなんて見てないのに架空の視線だけ意識して「勝たなきゃ」と必死だった。東京のタイムラインに。他人の新しいお仕事報告に。

ライブ映像を見終わったとき、もう清々しい気持ちだった。
彼が音楽で駆け抜けるこの世界線で私がワンチャン同じように輝けるとしたらなんなんだろうと勝手に考えたら自然と「エッセイしかないのでは」と感じはじめてた。(※才能の有無はおいておいて)35年、いろいろ手を出してはすぐ投げ出してきた私が6年も熱意を失わなかったのがエッセイだった。連載原稿が書けず苦しかったときもエッセイを書いてストレス発散してたほど、素直にのめり込みつづけた。なのにこの1年は「小説のネタに取っておかなきゃ」と、書きたいエッセイを我慢していたのだ。

アホなの??やりたいことを捨ててやりたくないことし続けるの、アホなの????と混乱する読者もいるかもしれない。だけどこのアホ地獄の深みが分かる人もいるのでは。アホとかじゃなく、たぶん信仰だった。神はASAYANで【幼い頃からの夢を必死に叶える人生】だけが正解と信じてきた。90年代後半から音楽っていう世界に憧れすぎて「そこで生きる人になる!」だけが正しい道だった。高1から憧れた小説界も同じ。そこから外れたら失敗で地獄で死。命懸けだった。

だけどこのたび気づきました。
「本物」っていうのには成功人生とかそういうのは関係なかったです。支持される数でも舞台の大きさでも発行部数でもない。初めてライブ映像をみた数日後、夏布団のなかそのまぶしさを思い返しながら私は突然「あのまぶしさっていうのは気持ちよさでは?」と思った。ステージでのSくんは、本当に気持ち良さそうだったのだ。それで「本物っていうのは気持ちよさを追求できる人なのでは……?」といきなり感じた。自分にとって何が本当に気持ちいいことか知っている人は、たとえ困難で面倒で苦しい局面だろうがのめりこんだまま走れるのかも。それが「本物」の最低条件ってこと?

「迷ったら危険なほうを選べ」的な格言が大嫌いだったけど、こうなると私の場合「気持ちいいほうを選べ」を意識したらこの先同じ間違いはしない気がしてきた。いやべつに、苦しみながら小説を書きたい人は自由にすればいいんだけど、あくまで私の場合いまのところ、熱意も需要もないのに意地で続けるそれは完全に間違いだった。

その証拠(?)に、夏布団で大発見をした翌朝のわたしは大爆笑していた。起きた数秒後には「もう小説書かなくていい!!!!」とおそるべき開放感に包まれた。朝日に吐き気はしないし、殺される夢も久しぶりに見ない。体が軽い。それから毎日このエッセイを書き続けた。かなり長いこと修行みたいなことをしてきた2021年、もう気持ちいいこと(書きたいエッセイをひたすら書くこと)に全振りしたい。


……ところであの頃。
なんでSくんは私を見限ったりせず「セッション」を続けてくれたんだろう?と今までずっと不思議だった。(恋愛関係はまったくないしお互いずっと敬語を使う距離感だったし彼に得はなかったのだ)

その理由がずっとわからなくて、いや今も実際わからないけど、この文章を何ヶ月も書き進めながら私は初めて「もしかしたら」と勝手に思った。もしかしたらSくんは、本当に本当に音楽が好きな人だったのではないか。だから私のような素人の「音楽がしたい」という気持ちさえ無碍にせず大切にしてくれたのではないか。それほど音楽や人に対して温かで真摯な人だからこそ、あれほど人々の心を丁寧に掴んで揺らすような音楽がつくれるのではないか。

(このnoteを本人が読むことはないだろうし覚えてるとしたら最悪な記憶だろうし読まれたとしたら地上にあがってこれないけど)とにかくあの頃、ずっと馬鹿にせず対等に関わってくれて、本当にありがとうございました。自分のことしか考えないで貴重な時間を奪って、本当にごめんなさい。あのときSくんに心を折らずにいてもらえたおかげで私は、その後も東京にしがみついたまま無謀な挑戦が続けられたし「あんな本物と一年やっても何もならないくらい私は音楽に向いてない」という事実が刻まれたおかげで、音楽の夢をきっぱり諦められました。これからもずっとファンとして、音楽を楽しみにしてます。

最後の最後の最後に。
もうすぐ終わるこの文章が結局なんなのかといえば、多分9000字のライブレポートでした。家でひとりで観ただけの映像にこんなに気持ちが動くんだから生でみたらどうなるのか。さすがに申し訳なさすぎて今世そんな勇気持てる気がしないけど、でも生きてるあいだ、一夜だけでいいから、直接ライブが見てみたいなあとも願っている。世界はある日突然新品になったりしないし人生は変わらないし全部は地続きで〈間違い〉は間違いじゃないことにはならないけど。それでも。



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※これは、私が誰に頼まれたわけでもPRでもなく純粋にどうしても書きたいと思って書いたエッセイです。私のように、色々ねじれて間違えてしまっている誰かに届くことを願って書きましたが、多大な感謝と申し訳なさを捧げたいSくん(仮称)に迷惑をかけることだけは、当然言うまでもなく何があっても避けたいので、冒頭にも書きましたが、Sくんに関することには随所フェイクを入れています。


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