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「リアルいいね」開発者の思うこと

*この物語はフィクションです。

 世の中、SNSの普及で「いいね」流行りだ。
 写真だろうと、文章だろうと、音楽だろうと、創作活動に携わる者は、いや、ただの思いつきの投稿しかしない者まで、誰かに承認されたい欲求と、それを簡単に叶える魔法のシステムで、とりあえず「いいね」の数が増えれば満足、少なければ落ち込む、そんな社会になってしまった。

 だから、私は考えた。そして開発した。ネット上だけじゃない、リアル空間でも「いいね」が押せる世界だ。IoTって言葉をご存知だろうか。あらゆるものがインターネットにつながる世界だ。家電も、クルマも、メガネも、腕時計も、なんならペットの首輪も。その世界なら、リアル「いいね」が実現できる。

 例えば、あなたがコンビニに行く。店員さんの応対が良かった。あるいは単純にその娘が可愛かった。あなたは「いいね」とつぶやく。あるいは、スマートウォッチの画面をタッチする。その店員にポイントがつく。
 あるいは、道を歩く。素晴らしい夕日が見えた。あなたはメガネの縁をタッチする。あるいは、声に出して「いいね」とつぶやく。その場所と時間が記録され、そこにポイントがつくのだ。

 位置情報やビーコン、音声などで認識されたシチュエーションから紐付いて、自動で加算されたポイントは、やがて人物なら、その人にフィードバックされ、サービス業や接客業なら、組織によってはそのまま評価につながる。土地や場所、施設に紐付いた場合は、ネット上のMAPに高評価地点として登録されたり、検索時にお勧めされやすくなるのだ。

 このリアル「いいね」が普及してしばらくは、予想通り、人々はポイントを稼ぐべく、必死になった。あるいは、挨拶代わりに、相手に「いいね」ポイントを与えることも多くなった。中には、ポイントを与えることを条件に、女子中高生によからぬ要求をする輩が現れたり、一瞬目を引く看板や外装のお店が増えたり、朝礼の挨拶で少し面白い事を言って、生徒から(本来その学校では禁止なのだが)「いいね」をもらおうと企む校長先生が登場したり、とまぁ、ちょっとした中毒性のあるポイント獲得ゲームに翻弄される現象も散見された。

 そんなある日。私は電車のホームにいた。すぐ前にはベビーカーを押す母親が電車を待っていた。彼女はもう1人、3歳くらいの男の子も連れ、買い物袋を重そうにぶら下げていた。やがて電車が到着し、扉が開く。既に混雑している車両にはなかなか入れない。すると、ある若い男性が、その母親のために、両手を開いて、少し他の乗客を押し込め、スペースを空けた。私もベビーカーを段差のために持ち上げるのを手伝い、なんとかその親子を電車に乗せた。すると彼女は驚くことを言った。
「ごめんなさい。今日スマホを忘れてきて、あなた方に『いいね』が押せません。本当にごめんなさい」
 協力した若い男性は、きょとんとした顔でこう言った。
「何もお礼はいりません。ただ困っていたようなので、少し協力しただけですから」
 私も言った。
「小さいお子さんを連れての外出は何かと大変でしょう。気になさらずに」
 母親はそれでもすまなそうに、何度も頭を下げた。やがて電車が私の降りる駅に着いた。軽く会釈をして、ホームに降りた。満員の電車では控えていたスマホの画面を見る。そして驚いた。
 私の「いいね」ポイントが、電車に乗る前より20も増えていたのだ。
 そう、母親が押せなかったボタンを、周りの乗客が押してくれたのだ。

 不思議なものだ。ポイント稼ぎは自己承認欲求のため、と割り切って作ったこのシステムが、社会の善意を声に出さない形で応援するとは。
 そして考えた。次のシステムバージョンアップ時には、見えない形で他人を支援したり、寄付できるような機能をつけようと。もしかして、小さな善意も、積み重なれば相応の力になるかもしれない。

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この作品は、2年前に書いてそのまま外に出さずにいたものです。
SNSの情勢とか技術の進展から、多少は空気感が変わっているかな?
と思い読み返しましたが、あまり違和感がなかったので、ここに発表させていただきました。