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1枚の似顔絵

 しばらく会えなくなるから、と彼女は包に入った板状の物を差し出した。
「これ、たまたま街で似顔絵屋さん見つけて、描いてもらったの」
 僕は、包を開いて、中を見てみる。
「へー、いい感じの絵だね」
 そこには、わずかに微笑む彼女の姿が美しく描かれていた。
「これからは遠距離になるけど、これ部屋に飾って、私のこと思い出してね」
 彼女はそう言うと、今日は用事があるから、と手を振って別れた。

 それから1週間後、彼女がこの街から居なくなった。僕は寂しさを紛らわすため、毎日部屋の似顔絵を眺めていた。スマホの中には写真もたくさんあったが、なぜかこの絵の方が、彼女が身近に感じられた。朝起きては声をかけ、あるいは寝る前にも、声をかけていた。

 そんなある日、会社から帰ってふと似顔絵を見ると、雰囲気が微妙に違う気がした。わずかに微笑んだ顔に、影が差した様に感じる。気のせいかとも思ったが、見れば見るほど、その顔が悲しそうな、辛そうな表情に感じられた。
「こんばんは。何か変わったことはない?」
 スマホのメッセンジャーでそう尋ねる。
「お疲れ様。そうね、ちょっと仕事で嫌なことがあって凹んでるかも」
 そんな返事が来た。
「そっか。あまり落ち込まないで。ゆっくり寝れるといいな」
 夜も遅いので、そんなやり取りになった。

 次の日、帰宅し、「ただいま」と似顔絵を見る。おや?と思った。今度はなぜか、嬉しそうな、明るい笑顔になっていた。
「もしかして…」
 スマホを取り出して尋ねると、ややあって返信があり、
「何でわかったの? 今日さ、昨日の嫌なことが吹っ飛ぶくらい、嬉しいことあったの!」
 彼女から、かわいいスタンプ付きの楽しそうなメッセージが届いた。
 なるほど、と思った。この似顔絵は、彼女の心理状態を表す不思議な絵なのだ。

 それからというもの、僕は今まで以上に似顔絵を大切にし、その顔色を伺うのが日課になった。嬉しそうな日もあれば、辛そうな日もある。辛そうな日は、無理な詮索や問いかけはせず、早く元気になるようにと願った。笑顔の日は、その顔を眺めながら、僕も嬉しくなってゆっくり眠りについた。

 ある日、いつに無いくらい落ち込んだ表情になった似顔絵を見て、僕も辛くなってきた。そうだ、と思いつき、ペンを持ってくると、恐る恐るその顔に筆を入れた。絵には自信が無かったが、笑顔になるようにと、目尻にシワを入れ、ほうれい線を濃くしてみた。この似顔絵と彼女は繋がっている。絵が笑えば、彼女も笑うかもしれない。
 修正した結果、笑っているようにも見えるが、何となく違和感がある。やはり素人が手出ししてはいけないのか、と思って、それ以上書きこむのは止めにした。

 翌朝、彼女からメッセージが届く。
「ねぇ、なんか最近落ち込んでいるせいか、老けたかな?」
 送られてきた彼女の自撮り写真を見て驚いた。
 自分が描いたのと同じ場所に、深いシワが刻まれていたのだった。

*この物語はフィクションです。