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コピーする鏡

 その鏡が人を映すだけではなく、中の人が外に出てこられる、すなわち人をコピーできる、という事実は高校生の猪口を大いに驚かせた。
 滅多に人が出入りしない美術室倉庫。その奥にホコリをかぶっていた等身大の鏡。普段そこに鏡があることすら意識してなかった。だから、いざ部屋を出ようとした時、自分そっくりのコピーが中から出てきて自分に正対した時は驚愕した。猪口はしばらくそこで茫然とし、その「彼」も自分と同じように話し、声までそっくりであることを知り、自分の代役になるお願いをした。何のことはない。明日以降の授業をサボりたかったのだ。

 翌日、コピーに授業の出席をお願いして、猪口は街に出た。といって、友達を誘うわけにもいかず、少しすると退屈してしまった。 その日の放課後を待って、仲の良い友人数名を呼び出し、鏡の事実を打ち明けた。そして、その翌日から、彼らと昼間授業をサボることにした。
 美術倉庫の鏡は、他の人に気づかれないよう普段は布を覆っておいた。本当ならどこか他の場所に移動したかったが、一応学校の備品だから泥棒になりたくないし、学校内で他に見つかりにくい適当な場所も思い浮かばなかったのだ。

 そうして1週間過ぎた。猪口がいない教室では、通常通り授業が行われていた。数学教師の布川は、最近このクラスの生徒の様子がおかしいと感じていた。誰を指名しても、質問に答えられないどころか、中学までの基礎的なことすら理解できてない様子に疑問を感じていた。そんなある日の休み時間、廊下で偶然、生徒の声が聞こえてきた。
「あいつも鏡のコピーを置いて遊びに行ったよ」
 一体どういうことだ? 鏡のコピー? 布川は気づいてない様子の生徒の後ろに立って続きを聞いた。
「俺、先週、鏡のコピーに頼んで授業サボったけど、結局試験に出るところとか全然わかんなくなったから、もういいや」
 それを言ったのは、普段勉強熱心で、学年でも上位を争う前崎だった。布川は彼が言っている意味を、なんとなく予想できた。そうか。それなら、打つ手があるかも。

 翌日、猪口のクラスは数学の時間になった。布川が教室に入ると、生徒はすぐ静かになった。以前は落ち着きのない生徒が何人かいたのだが、と思いながら、布川は言った。
「では授業を始めます」
 生徒はこちらを見ている。
「全員揃っていますが… 出欠を取ります」
 布川は見渡した。
「といっても面倒なので、一回で。今日授業に出ています、という生徒は、今から一斉に右手を上げなさい」
 はい、と布川は手を叩いた。
 すぐに全員の手が上がった。何でこんなことするんだろう、という顔の生徒もいる。
「はい、今左手が上がっているやつ、結構多いな。先生は誰か覚えたぞ。そいつら全員、後で職員室に来なさい」
 生徒はポカンとしていた。
「鏡では右と左、逆だもんな」
 布川はそう言ってから、その日の授業を開始した。

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