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見る ということ

わたしがお風呂から裸ん坊で出てきても、猫たちは何もびっくりせずにいつも通り、
「ママ、腹減ったんやが?」
「ご飯はまだなのか?」
「構ってくれや」
「お外(お散歩)はまだなのか?」と言ってきます。
私の裸など見ていない。
猫の瞳が、【わたしという存在】を捉える。

わたしの髪が黒髪から金髪になった時、長男猫は若干わたしの目よりも上辺りをキョトンと見つめてましたが、
日頃は、裸ん坊であろうが、ニキビができていようが、
ボロボロのパジャマを着ていようが、
彼らはわたしという存在を見ています。
わたしの魂と肉体を捉えている。という言葉が的確な気がします。(わたしは彼らのママです!)
そんな風に自分のこと、人のこと、動物、植物、世界を見たい。

わたしの外見がどんなに変化しようがそんなことは一切関係がないという彼らは、
もしも、わたしの見た目は笑顔で心が泣いていたら、その変化に即座に気が付きます。
言葉に出来ないほど悲しい気持ちで1人でいたら、
頭突きや体当たりをしてきます。
「ねえ?どうしたの?大丈夫?」
それでも動けない私の背中を今度はトントンと叩いてきます。
「僕がいるよ」
彼らは、真っ直ぐわたしを見つめて言います。

【いま、世界を見るあなたへ】
猫たちより、【見る】ということ。

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