音楽と順位は水と油のよう


先日生まれてはじめて"コンクールの審査員"を経験してきました。
木管部門の全国大会、中学生~大学生までが対象のコンクール。

自分自身これまで吹奏楽コンクールにはじまり、中高生向けのソロコンテストはもちろん 音楽で食っていくと腹を括ってからも国内外でたくさんのコンクールを受けてきました。

はじめて審査する席に座って思ったこと それは"何も隠せない"ということ。

受験者もこの記事を読んでいるかもしれないので特定の講評は避けますが、本当になにひとつ残さずさらけ出すのが演奏なんだなと改めて思いました。人となり…というと大げさかもしれませんが、日々どのような想いで楽器を構えているのかは客席に座れば手に取るようにわかる。

音楽に対する姿勢、自分自身を見つめられているかどうか、息を吸って出すエネルギーの源がどういったものなのかも。

リードがない、指が回らない、息が続かない、ハイトーンが出ない…技術的な悩みは尽きないものですが、その課題に舞台袖まで向き合い続けたかどうかが一番大きな違いとなって音に・演奏に現れてくるものだと思います。
ミスがどうこう選曲がどうこう楽器のブランドがどうこうといった次元の話ではありません。

もしそうだとすると困るのが、"人"そのものに順位をつけるということになること。
あってはならないというか、本来可能なものではないと思います。人類史上はじめておこなわれた音楽コンクールの言い出しっぺは一体誰なんだろう?


最近ハマってよくyoutubeを見ているフワちゃんの言葉で強く印象に残っているものがあります。それは
「自分が出てる番組がいちばんスキ」

演奏をする上でも大切なことはそれに尽きるのかもしれません。ナルシスト上等、自己陶酔と紙一重。でもシェフが最上の料理を提供しようと努めるように、広告代理店の社員がより多くの人の目に留まる策を講じるように、医療従事者がひとりでも多くの命を救う行動を起こすのと同じように。

恥ずかしいかな、審査員という席に自らの意思で座っておきながら受験者に気づきをもらい背中を押されてしまいました。

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