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ISSEY MIYAKE MENと私 追悼・三宅一生さん

初めて、手にしたISSEY MIYAKE MENは、大学3年生のときで。竹内弘高先生からのお下がりでした。それ以来、自分でも買うようになり。約25年間で、合算すると、おそらく輸入車のワゴンを中古で、プリウスを新車で買えるくらいにお金を注ぎ込んできたわけで。

今どきの著者、大学教員からすると相当、浮いていると思うのだけど、私は著者、大学教員はよいものを着て人前に出るのだと勝手に思い込んでおり。特に、ムサビで非常勤をしていた約10年間は、ISSEY MIYAKE MENかYOHJI YAMAMOTOかCOMME des GARCONS HOMMEで、しかもシリーズの講義で服がかぶらないように工夫していました。アーティスト、デザイナー、クリエイターは、カタチから入れ、と。

もっとも、ISSEY MIYAKE MENを着こなせる大人になれたかどうかは疑問で。そうこうしているうちに、2020年にISSEY MIYAKE MENはブランドとして事実上終了し。三宅一生さんも先日、亡くなってしまったという。

なんせ、いちいち美しく。さらに、攻めているデザインなのに、いちいち快適。いまもシャツ、ジャケット、パンツ、さらには靴なども含めて数十着持っており。ISSEY MIYAKEを着こなせる人への模索は今後も続きます。

世界で勝負する日本人でもあり。気づけば、そんな日本人がつくった、MADE IN JAPANの服しか基本、着なくなっていました。いま、ISSEY MIYAKE MENの他、YOHJI YAMAMOTO、COMME des GARCONS HOMME、JUNYA WATANABE MANしか、基本、着ません。など、ファストファッションは下着一枚含めて一切着ないし、一枚も持っていません。

物書きとして賞をもらい、その際にISSEY MIYAKE MENの新作を買って授賞式にあがるという夢はもう叶わなくなったのですが。偉大な道のりをリスペクトしつつ、楽しく生きますかね。

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