行動を妨げる自信という罠から逃げる為に
どうも、ようへーです。
自信って何なんだろうかと考え始めたら止まらなくなったので、久しぶりにnoteを書いてみようかなと。
自信とか運とかそういったものに縛られずやりたい事をやってみよう!って感じのnoteです。
特に何か本を読んでの感想でも考察でもないので、異論反論はご自由に。
自信とは
調べるとこんな説明がありました。
何かを始める時、「自信がないから...」と言う人が多くいると感じています。
僕も少し前まではそうだったので、とても気持ちが分かります。
やりたいし、熱量はあるんだけど、これ!といった自信が無くて始められない。
ここには身勝手にも"絶対"という、矛盾たっぷりな希望的観測が隠れていると考えています。
何かを成し遂げた人を見て、
運が良かった。
才能があった。
と、確率論的な事を言うくせに、自分の事となると自信があれば出来る。と、わがままにも思っているんじゃないかと感じています。
いや、そうではなくて、やろうと思ってたのに。というわがままを隠すための言葉なのかも。
まぁどっちでもいいんですけど。
じゃあ自信とはどの時点で得られるものなんだろうか。と考えてたんだけど、
多分、自信っていうのは経験や結果の連続で少しづつ付いていくんじゃないかと思ったわけです。
という事は、やる前に自信が無いというのは当たり前の事なんじゃないか?という結論になるわけで、始めることを躊躇する理由として"自信が無い"というのはとても言い訳のように感じます。
運とは
少しだけズレますが、運ってなんだろう。と考えてた時期があって、奇跡とか運とかの確率とかを調べていた時期がありました。
遊戯王でエグゾディアが最初の手札に揃う確率は
65万8,008分の1らしいです。
(遊戯王wikiより抜粋)
これは奇跡ですね。
また鳥の糞が直撃する確率は423万分の1。
これも奇跡というか、直撃したら運が良いのか悪いのか。って感じです。
このよく分かんない確率を調べてて行きついたのは、運というのは試行回数で確率が上がっていく。という事です。
運が良かった。
というのは単純にやりまくった。ということも要因になるという事です。
始める前に必要なもの
ここまでの思考を無理やりまとめると、
自信があれば出来るもんでもないし、運が良かったのはやりまくったから。
という結論になります。
じゃあ始める前に必要なものは何なんだろうか。という事ですが、それは
覚悟
かなぁと現時点では思ってます。
ミスをしようが上手く行こうが、広い意味で責任をとる覚悟。
つまり、どれだけその人がやりたいと思ってるか。という熱量に比例するんじゃないかという事です。
誰になんと言われようともやりたい。と自分と向き合う覚悟。
いわゆる"夢"的なものを持ち続けられるかが、自分らしく生きるという事であり、今回1番考えていた"自信という縛りから逃げる"ことなんじゃないかと思います。
このnoteを読んだ人が少しでもやりたい事をやれるようになれればと思います。
それでは👋
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