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ネンキン、そのすばらしき世界と人間。

9月に入ってからもしぶとい残暑が幅を利かせていたけれど、彼岸を過ぎたとたん暑さは鳴りを潜め、秋が、いや長い冬がそろそろと町にやってきた。朝夕の散歩道に我が物顔でせり出していた草花たちはしおれ、得意げにつかまり立ちをしている我が家の赤ん坊の鼻は鼻水でかぴかぴだ。

ネンキンが気になる。

このほしではキノコを収穫したあとの菌床ブロック(廃菌床)を使った新たな素材の研究開発を行っています。この菌床ブロックはおが屑に菌糸(僕たちが食べているキノコの根っこのようなもの)を蔓延させてできていて、菌糸がおが屑を分解してできるナノセルロースを活用しようとしているわけです。この菌糸のもつ分解力やネットワーク力は人間の今のテクノロジーでは到底実現できないすんごいもの。(詳細はインターン生が綴ってくれているので、そちらをぜひご覧ください。)

開発中の素材の原料となる廃菌床たち

ふと思い返すと、菌糸のような小さな賢人たちに興味を持ったのは学生時代のこと。ネンキンとの出会いが始まりでした。

ネンキン。僕たち世代はいったいいくら受け取れるのか、そもそも今のシステムは破綻しているのではないか、これからの日本を僕たちはどうしてくのかと学友たちと口角泡を飛ばして議論していたあの日々が懐かしい。。
いや、うそうそ。真っ赤なうそ。その「年金」ではなく、「粘菌」の方です。かの南方熊楠が熊野の森の中で生涯をかけて研究に打ち込んだ粘菌です。

工学部に属していた僕は卒論のテーマの例として担当教官に見せていただいた様々な写真に魅せられた。
流体の中に周期的に現れる渦、ホタルの集団明滅、岩盤に見られる柱状節理や砂地のバルハン地形などなど、自然界に描き出される数々の模様とその背景を数理的に解き明かしてようというテーマにワクワクした。
そして、その中の一つに件の粘菌が描き出したパターンがあったのでした。

粘菌が描き出すパターン

宇宙をも生み出すネンキンたち。

植物とも動物ともいえない粘菌が、互いにコミュニケーションを取りながら周囲の環境情報を交換し身体を伸ばしていくことで生まれるネットワーク構造は驚異に満ちていました。この粘菌が生み出す構造は量子コンピュータをも凌ぐとも言われていて、最近ですとこの宇宙のモデリングにも粘菌が参照されているそうな。

日常生活では目にとめることもないこの小さきモノたちは、僕たちの足元で、小宇宙を描き続け、生命を育んでいる。
この事実に僕たちが生きているこの宇宙の途方も無い深みを見た気がしたんです。それと同時に、「人間てなんだろな」という問いが漠然と浮かんできたのもこの頃だったと今思うわけです。

人間をどこに位置づけるか。

テクノロジーは日進月歩、僕らの暮らしは凄まじいスピードで便利になっている。にもかかわらず、未だに人類は互いに命を奪い合い、自然環境からの収奪も止まらない。いやそんなことない、数字を見ると着実に良くなってるぜとファクトフルネスでは指摘されていたけれど、それでもやっぱり人類って一体なにやってんだ、という気持ちは消えない。
"すべての生き物の頂点に立つ人間"というおごりを捨て、所詮数多の生命の中のほんの一つに過ぎないんだと自分たちはと認めるところから始めないといけないのではと考えている日々。
人間中心がうたわれてきたデザインの文脈でも生命中心が叫ばれたり、生き物から学ぼうとするバイオミミクリーな態度が現れたり、はたまたマルチスピーシーズ人類学が立ち上がったりと、「人間をどこに位置づけるか」という問いに少しずつ向き合う人々が増えているようにも感じています。
目に見えない微小な菌の世界、足元の土中世界、はたまた銀河の果てまで僕たちの生きるこの世界において、僕たち人間は一体何を担っていくんだろうか。当然ながらググっても答えなんて出てこないこの問いがいつもぐるぐる頭の中を回っているのです。そして、このほしとして何ができるかなと考えながら事業を組み立てているのです。

そうして今日も日が暮れていきます。

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