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頭によぎっては消えていく日々。金木犀の香りに紛らわせて。

金木犀の香りみたいに、あんまり思い出したくない過去の恋愛とか、やらなきゃと思ってやれていない仕事のことが、ふと頭によぎっては消えていく。

頭によぎるだけで、過去は変わらないし仕事が減るわけでもないけれど、ほのかに心地良い。

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最近、何だか「今」に集中できていない。

頭に何かがよぎっては消えていく、それがまた頭によぎってはまた消えていく、波打ち際に立ち尽くして、押し寄せる波をただぼーっと眺めているような日々。

進展はない。けれど、後退も停滞もしていない。

そういう、どっちつかずな日々を“こなせるようになる”のが大人なんだ、と早口で自らに言い聞かせたりしている。

誰しも、不幸にはなりたくないと願っている。それなのに、人の不幸は蜜の味がするし、人の不幸で少し楽になってしまう自分もいる。できれば、誰かの不幸は見聞きしたくない。

そういう、矛盾や葛藤を抱えて生きるのが大人なんだ、と大人の誰かが言っていた。


「没頭」や「夢中」という言葉に憧れがある。

人間関係がうまくいっていない時、失恋した時、勉強や仕事でその穴を埋めていたような気がする。今思えば、それは没頭ではなく自棄糞やけくそだったのかもしれないけれど、あの時、嫌でも没頭できる勉強や仕事があって良かった。

今、何に没頭できているだろうか、夢中になれているものはあるだろうか。

今こうして書き連ねている内容も、日々頭の中によぎっては消えていることのほんの一部でしかなくて、きっと、シャボン玉みたくいつの間にか消えてしまった意見や言葉、感情で溢れている。

こうして言葉にできているだけマシなはずで、忙しない日々を過ごしながらも言葉を探す余裕が少なからずあること、名前のない感情に名前がついていくこと、誰かがそれを見て何かを感じることも。それだけで十分なことなのかもしれない。


「元気だから笑顔になれるのではなく、笑顔になるから元気になる」という話をけっこう信じている。

元気がない時、無理矢理でもいいから笑う。思いっきり口角を上げていつもより少し目を開けてみる、誰にも見せたことがないような、とびきりの笑顔。

たったそれだけのことなのに、なぜか元気になれてしまう。その度に、自分という人間の単純さを自覚して、さらに笑えてしまう。

この文章を書き始める前、あまり気分が乗っていなかった。どうしてなのかは覚えていない。

明日からもまた、何かがよぎっては消えていく日々を、金木犀の香りに紛らわせて、心地よさとともに消費していく。



半年前に書いた文章でしたとさ(桜の季節に金木犀って新鮮)。

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