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散文の日記 1/25 tue

理不尽な都合をきっぱりと断る、大切なこと。
けれども、例えば好きな人からの着信。

都合はつくのだけれど、話したくない気分。
相手は話したいと思い、かけてきてくれている。

なんとなく心の隅に置いて、話してしまう。

断るのが苦手なのではなく、傷つけるのが苦手な人。僕なんかはまさにそうで、傷つけるシーンをつくりたくないから、端からそういった要因を、失くしてしまおうとする。

どれほど寂しくても、話したくても。
自分から電話をかけることはない

傷つけるのが怖い、傷つくのが怖い。
だから誰とも心から向き合うことをしない

最近になり、ようやくわかってきた。
そこには寂しい自分がいた

鏡には映らない、自分のこと。
きっとひとりでは見つけられない

この記事を書きながら、ずっとひとりだったのだと実感している。そんな僕の周りに、多くの人がいてくれていることも。

僕は少しずつ、向き合わないといけない。
誰かを愛するということは、傷つけ、傷つくことかもしれない。

曝け出すことをしてこなかった
なぜなら僕にはなにもなくて、取り繕って生きてきたから。騙し騙し歩幅を重ねても、進めたことはない。気づくのが遅いのかも

人生のフレームを捉えるように、今になってわかったこと。散文のなかに息をする、ちっぽけな自分のことを、伝えていきたい。

僕にしかできないことはないけれど、僕にできることはあって、今はそれをゆっくりと確認している。数えるのはもうやめて、今夜は羊を数えて眠りにつこうかと思う。

どうやら僕のエッセイは、散文の日記のようなものらしい。構成なんてない、思ったことを心地よいリズムで紡いでいく。

こうして明日もまた、記事を書いていきます。
未熟さの酸味の溢れる僕ですが、どうか温かく見守っていただけると嬉しいです。

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