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日本のシルクロード、武蔵野台地の北の縁(へり)
日本のシルクロードシリーズ、これまで、
と、来ましたが、今回は、武蔵野台地の北の縁、です。
日本のシルクロードシリーズ、ここまで来て、今更ながら、そう言えばそうだよな、と、思うのが、東京周辺で養蚕が盛んな地区というのは、武蔵野台地と相模原台地なんです。
多摩川と相模川の扇状地、そこに富士山、箱根の山、浅間山などの火山灰が降り積もった土地。高さがあるので川(水面)から遠い(高い)。火山灰なので水はけが良く、よって井戸は深い。だから水田は無理、どころか人が住むのも難しい。
江戸時代、用水が開発され漸く人が住めるようになり、畑作が始まった。江戸時代の終わり、横浜開港、生糸輸出世界一、横浜に近い武蔵野台地、相模原台地の畑は、ことごとく桑畑になっていきました。
更にこの背景には、渡来人がいます。人が住むのも困難な土地、武蔵野台地と相模原台地に、渡来人たちが住まわされました。渡来人たちによってもたらされたのが養蚕、機織りです。武蔵野台地、相模原台地では、主に自分の家用、あるいはご近所用に、養蚕、機織りがされていました。だから下地があったんですね。
振り返ってみると、武蔵野台地と相模原台地で行ってない所は、武蔵野台地の北の縁、だけになりました。今回はここをexploreします。
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多摩川扇状地の扇の要、JR青梅線で青梅まで輪行、常保寺を訪れます。
ここには猫地蔵があります。
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養蚕との関わり含め、謂れはよく分かってないようですが、背面に南無妙法蓮華経と彫ってあり、日蓮宗の関係者が、養蚕守護神として造立したのでしょう。
鼠は蚕を食べてしまいますが、猫はその鼠を食べてくれますから、蛇同様、養蚕守護神となっていきました。
青梅街道を東へ行って、昭和初期の建築となる旧都立繊維試験場などを訪れます。
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ここには、敷地内に織姫神社もあります。
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昭和16年創建、祭神は天照大神、長白羽神、天羽槌雄神、天棚機姫神です。
長白羽神、天羽槌雄神、天棚機姫神、何れも、天照大神が天の岩戸にお隠れになった時、出てきてもらおうと、長白羽神は麻を育て青和幣を、天羽槌雄神は文布を、天棚機姫神は神衣和衣を織ったとされています。繊維試験場に祀られて然るべきですね。
先を行きましょう、青梅線を越え、東青梅駅の向こうに行きます。ここからは、青梅街道ではなく豊岡街道を行きます。今井の集落に入りますと、ここに、浮島神社があります。ここは境内社に蚕影神社があります。
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ここには嘗てオシラサマも祀られていて、講があってお日待ちもしていたそうです。
先を行きまして、三柱神社です。
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西多摩郡村誌によれば、
"此神、養蠶ノ守護神ナリトテ祭日ニハ遠近擧テ郡参シ米粉ニテ造リシ繭玉ヲ木ノ枝ニ挿シ神前ニ捧蠶ノ繁榮ヲ祈リ、然シテ之ヲ持シテ家土産トナスヲ詣人の習トナセリ。"
ということで、養蚕守護神として崇められていました。
祭神について、風土記には、"荒神社" とあり、境内掲示にも、"三宝荒神" と呼ばれていたとあります。
三宝荒神は、元々は仏教の守護神ですが、竈の神様として祀られるケースが多いようです。
神道における竈の神様は、竈三柱神で、火産霊神、奥津彦神、奥津姫神です。境内掲示にもこの三柱が記載されてますから、明治の廃仏毀釈までは神仏習合で三宝荒神を祀り、維新以降は竈三柱神に設定し直したんでしょう。
にしても、養蚕との関わりは不明ですね。
この三柱神社、豊岡街道を東進した狭山にもあって、同じく養蚕守護神で、例祭日も同じとのことです。
今日走るこの古道に沿って、信仰が伝播していったんですね。
この三柱神社の直ぐ東で埼玉県入間市に入ります。暫く何も無く進みますが、R468/299を越えたらまさかのグラベル!
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舗装路に復帰して入間市駅南に愛宕神社がありますが、ここの境内社に蚕影神社があります。
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愛宕神社拝殿にも、繭玉の奉納品が納められているということですが、この日はお祭りでそれどころじゃなかったですね。でも、久しぶりのお祭りの雰囲気、良かったです。
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入間市駅付近には、旧石川組製糸西洋館もあります。
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石川組製糸の創業者石川幾太郎が、1921年に、迎賓館として建てました。生糸を買ってくれる外国人を接待する為ですね。当時の栄華が偲ばれます。
更に東進し、狭山市駅手前の本富士見橋で入間川を渡ると、養蚕神社があります。
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その先、広瀬神社を過ぎると、広瀬浅間神社があり、ここにも蚕影神社があります。
ここでは毎年8/21に火祭りが開催されます。桑の木をたくさん束ねて護摩木を作り、庚申堂と蚕影神社の前に供えられます。そして、養蚕豊作、安産、鎮火の三つを祈願します。
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安産と鎮火は浅間様ですね。養蚕豊作は蚕影神社でしょう。しかし、浅間様も、座間丘陵・田名原面で書いたように、養蚕守護ですから、合わさったんでしょうね。
隣には県内初の器械製糸工場を設立し養蚕に大いに功績がある清水宗徳之墓もあります。
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豊岡街道に戻りまして狭山市駅東口には三柱神社があります。
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既述のように、青梅市今井の三柱神社と例祭日が同じ、明治の廃仏毀釈までの祭神も同じ(恐らく維新以降に変わったと思われる今の祭神は天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神です。)です。
明治24年頃から例祭日が5/1に定められ、養蚕豊作を願う近隣の養蚕農家が参詣し、大いに賑わったとのこと。
西武新宿線の北側を平行して走る古道を東へ行きます。峰愛宕神社には、境内社に蚕影神社があります。
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この古道は田中交差点からは埼玉県道340号線となり、やがて、東三ツ木薬師堂があって、その参道脇に、馬鳴大菩薩があります。
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埼玉県道340号線を引き続き東へ。草刈街道と交差した後は、畑の中の道を行きます。
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関越手前で北西に向きを変え、大田街道へ。R16を越え、入間川街道を左折、埼玉県道144号線を右折し、入間川氾濫原の中の古道を行きます。この道はクネクネしてますね。氾濫原ですから、川の流れが土砂を運び、寄せ、高まりとなって自然堤防となった道を行っているのだと思います。
クネクネと、田んぼの中の道を行くとやがて奥富の集落となりここに亀井神社があり、ここに1830年造立の蚕影山大権現があります。
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ここでふと境内掲示を見ると、笠山神社を合祀していて、その祭神が竈三柱神、火産霊神、奥津彦神、奥津姫神でした。青梅市今井、狭山市駅前、そしてここ、と、竈三柱神信仰の広がりが感じられます。正に、今回のルートで伝播したんだと思います。
先を行き、赤間川通りに入り東へ、梅宮神社があり、ここの境内社に蚕影神社があります。
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ぐるっと回って戻ってきました。狭山市駅から輪行で帰ることにします。
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如何でしたでしょうか。
多摩川扇状地の扇の要、青梅から今の多摩川沿いに世田谷までは、以前訪れています。
今回は、古多摩川である霞川、入間川沿い、武蔵野台地の北の縁を行ったわけですが、やはり、痕跡が多く残っていましたね。
今回のテーマではありませんが、竈三柱神の伝播も、面白かったです。
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