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約1年の入院、閉鎖病棟からの卒業 : 3月

こんにちは、ヨギーです。
約1年の入院を経て、いよいよ退院する月がやってきました。
週末の外泊は続けていて、A先生と実母とヨギーで話し合って決めた家事育児分担表をもとに、家で過ごす練習をしていました。
ここまで細かく決めなくてよかったのかもしれませんが、ヨギーが何でもやりすぎる傾向にあるので、O先生からも決めたこと以外はやらないように釘を刺されていました。

退院日は3月6日に設定されていました。
3月に入って、不安や焦燥感、うつ症状が全く消えたわけではありません。しかし以前と比べると家で過ごせそうなくらいまでにはそれらのつらい症状は明らかに小さくなっていました。

そして無事に、3月6日退院することができました!
A先生とO先生に感謝の手紙を書いてお渡しし、当日はO先生が見送ってくださいました。
「外来で待ってます。やりすぎないようにね。」と最後までヨギーの特性をよく理解して、優しい言葉をかけてくれました。
退院後の外来は3月はA先生、4月以降はO先生が担当してくれることになり、発症当初から継続して診てくださることにとても安心しました。

退院して子どもと一緒に実家で過ごしながらも、たくさんの人に見守られながら過ごしていました。
地域の保健師さん、児童家庭支援センターの支援員さんは隔週ごとに交代で、訪問看護師さんは週2回実家に訪問に来てくださっていました。
具体的な訪問内容は、退院後の生活や子育てに関して話しをしたり、訪問看護師さんと体操したり、アロマケアをしてもらっていました。
自宅へは夫がお休みの日に子どもを連れて帰っていました。

退院後の生活が順調だったかというと、決してそうではありません。
日記を振り返ると、分担表で決められた以上のオーバーワークをして寝込むを繰り返していました。
いいかげん活動と休息のバランスを学びなさいよと突っ込みたくなりますが、やはりそこはまだまだ双極性障害と付き合っていくということが理解できていなかったのだと思います。仕事も休職中なのに外部の研修に行こうと日程も組んでみたり、ライブハウスのフェスに短期間で2回も言ったり軽躁状態も入っていました。

でもこれは、いま冷静に振り返ることができるから、気づけたことなんですよね。

ちょうど昨日外来受診でO先生と閉鎖病棟1年のことを2人で話しながら振り返っていたんです。
あの1年は全部飲んだのではないか思うほどお薬をいろいろ試して、それでもだめだったから電気けいれん療法をして、それでもなかなか良くならなかった。
結局は生理が再開してピルを導入したことで不安定さはまだ残るけど在宅で過ごせるくらいにはなった、つまりホルモンバランスが落ち着かないとどうにもならないことだったという見解で2人とも一致しました。

精神科で加療したことが無駄だったというわけではありません。
あの精神症状は産婦人科だけでは対応できないことは明らかでしたし、自宅で子育てしながら過ごせるわけもなかった。
希死念慮もあり、命を守るために閉鎖病棟である程度隔離されて専門家が見守る必要はあったので、ヨギーにとっては意味のある入院だったといまならよく分かります。

いつもお読みいただきありがとうございます。
これにて閉鎖病棟編は完結です。
次回からは在宅療養からヨガとの出会い、そして看護師の仕事復帰までの1年について書きたいと思います。
引き続きお付き合いいただけると嬉しく思います。

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